「ムダだよなぁ・・・」そんな思いで参加をしている会議はありませんか?
ムダな会議を終わらせるキラーフレーズ、あります。
ムダな会議の5つの傾向と対策
会社勤めにおける「ムダ」として悪名高いモノに「会議」があります。
すべての会議がムダではないにせよ、ムダになってしまう会議もたしかに少なくありません。
わたしも独立前の会社勤め18年間、そういう会議を経験してきました。ムダな会議がかさんで残業、休日出勤ではむくわれません。
会議をムダにさせるものは何かをあらためて整理し、そんなムダな会議を終わらせるにはどうしたらよいのかを考えます。
はじめに、ムダな会議について列挙してみます。
- 議題がないまま会議がはじまる
- 会議での役割がない参加者がいる
- 配布資料が多すぎる
- 会議のゴールが決まっていない
- 次にやるべきことがあいまいなまま終わる
それでは、順番にみてみましょう。
1.議題がないまま会議がはじまる
いわゆるアジェンダなど議事予定表が提示されない会議というものがあります。当日配布されても困りますし、当日でさえも配布されないのはもっと困ります。
定期ミーティングなどに意外と多いパターンで、「とりあえず各部(各自)報告から」になったりします。
仮に。そこで想定を上回るような「スゴい報告」が出てくるようであれば、それはむしろコミュニケーション障害の証です。
スゴい報告はしかるべき手段により早々に伝達されるべきであり、とりあえず報告するような場面で伝達されることではありません。
会議で何を「議する」か明らかになっていてはじめて、参加者は事前に準備ができるようになります。会議の場になってから考え始めるから、会議の時間は長引きます。
2.会議での役割がない参加者がいる
議事予定もさることながら、議事に合わせて参加者の役割も必要です。ただ居るだけの参加者ほどもったいないことはありません。
「同じ部(グループ)だから」などという理由で参加者を決めている会議も多いものですが、会議のキホンは必要最小人数での開催です。
もしも「情報共有」を参加者に求めるのであれば、メールやイントラの活用など別の手段ではダメですか?わざわざ集まるほどの情報かを判断しましょう。
会議主宰者は、参加者が「退屈そう、居眠りしている」ことを怒っている場合ではありません。非難を浴びるべきは主宰者自身のほうです。
参加者には事前に会議での役割を求め、参加者は求められる役割を果たすべく準備する。忘れずに。
3.配布資料が多すぎる
膨大な量の資料が配布され、その説明に時間がかけられる。これも非常にツラい会議のひとつ。会議は説明会ではありません。
「紙がもったいない」なんてウカツなことを言うのはやめましょう。メールでそれ以上の量になって資料が添付されてきます。ほんとうです。
傾向として。資料が膨大なのは「身がない」ことを隠すためです。量でごまかす。
「要するに何が言いたいのか」に絞って資料は準備してもらいましょう。
いずれにしても、会議当日に資料の「単なる説明」の時間はムダです。事前配布・事前理解がキホン。
会議に充てられるべき時間は「説明」ではなく、「議論」や「決議」などその先にあります。
4.会議のゴールが決まっていない
議事予定に近い話として、「会議のゴールは何か?」ということがあります。
「○○について」などとしか書かれていない議事予定をよく見かけます。これでは、参加者は準備をしようにも何をしてくれば良いかわかりません。
たとえば、参加者それぞれの意見を求めたいのか。あるいは前回会議の議論を経て決議をはかりたいのか、など。具体的に明示しておきましょう。
「○○について」のまま会議がはじまってしまうと、ただの談笑でおわりかねません。成果の出ない会議の典型です。
5.次にやるべきことがあいまいなまま終わる
会議でなにかが決まれば、ふつうは次に起こすべき行動があります。
たとえば、「それでは、新商品開発することが決まりました。以上」ではいけません。冗談ではなく、そういう会議の終わり方というのは実際にあります。
ムダが重なり長時間の会議であったりすると、疲労困憊に身を任せて・・・
誰かがやってくれるだろう、ではいけません。「誰が」「いつまでに」「何をするのか」までをきちんと決めましょう。
もう一つ重要なこと。決まったことは参加者皆が忘れないように記録に残す。議事録がないなんてありえません。
前回会議の振り返りとして「憶測で思い出す」なんてやめてください。会議がはじまる前に書記を決めておきましょう。それだけのことです。
ムダな会議を終わらせる
お話ししてきた「ムダな会議」の責任は、ほぼ会議主宰者にあります。会議を開こうという人は、そのことをようくキモに銘じておかなければいけません。
「たくさんの人間が集まる会議にはお金がかかっているんだ」と”勘定”論を経営者はよく言います。責めていません、その通りです。
ですがもっと問題なのは「ムダな時間を過ごした」という参加者全員の”感情”論。
非生産的なムダな時間は、気を滅入らせることでしょう。「もっとほかにやりたいことがあったのに…」は時間に対する正常な感覚です。
自分の時間をムダにされるのはかないません。だとすれば、ムダな会議を主宰者のせいだけにしているわけにもいきません。
ムダな会議に警鐘を鳴らすのは、参加者全員の役割といえます。
「そんなのきれいごとだ!上司(主宰者)にたてつくなんて」そう思われるでしょうか?そうですね、多少の「害」は生じるかもしれません。
でもそのときは、ムダな時間をささげることを覚悟しつつ、できるだけ会議を逃げるしかなくなります。そんな仕事のしかた、そんな会社にいることは本意ですか?
「よし、勇気を出して」と思われるのであれば、とっておきのキラーフレーズがあります。
「これ、なんのための会議でしたっけ?」
ムダな会議の場で、そうシレっと言ってみましょう。一瞬にして空気が凍ります。
ゴタクを並べずともたった一言で、ムダな会議に終わりを突きつけることができるはずです。
ムダな会議の本質は「会議の目的を見失っていること」にあります。なにごとも「なぜ?」「なんのために?」を問うことは大切です。
ムダな会議を変えたいのなら。自らが終わりを突き付け、会議の在り方を皆で考え直すきっかけにしてみましょう。
************
きょうの執筆後記
************
昨日は午後から知人と会食、夜にかけて研修に参加。
研修はコンサルティングに関する内容でしたが、コンサルタント自身の内面的「自立」が大事であるとのこと。
言葉で言うほど容易ではありませんが、いまこの瞬間からできることでもあります。
内面を鍛える、というテーマができました。