お参りをする、お守りをいただく、おみくじを引く。さぁ、ただしい順番は?
と聞かれて、あなたは答えられますか?
普段は我流で済ましているけど、知っているといいかもしれない「神社での作法」についてお話しします。
知っているといいかもしんない神社の作法
突然ですが、きょうは2017年1月29日。昨日、初詣に行ってきました。
いまさら?それはもう「初詣」とは言えないのではないか、というツッコミはご容赦いただいて。
あらためて神社で周囲を見渡してみると、お参りのしかたも様々なのだな。ということに気が付きます。
特別信心深いわけでもないわたしですが。神社にうかがう以上、「ただしい作法」については少々気になります。
ということで、少しユルめに。知っているといいかもしれない「神社の作法」についてまとめてみます。
「お守り→お参り→おみくじ」説はどう?
神社での3大イベント(わたしが名付けました)である、「お守り」「お参り」「おみくじ」。どういう順序が正しいの?ということについてから。
お守りは願いを込めるための「器」
「お守り→お参り→おみくじ」の順が正しい。そう話すのは、手相占いでお馴染みのタレント・島田秀平さんです。
つい最近、テレビでお話しされているのを聞きました。この順序が正しいとされる理由ですが、
- 自分の願いを込めるための「器」であるお守りは先にいただく(買う)
- お守りを持ってお参り(参拝)をすることで、自分の願いを込めたオリジナルのお守りになる
- お参りでの願い事に対する神様の返事を聞くために、最後におみくじを引く
ほほ~、なるほどね。とかなり説得力のあるお話しです。お守りはさいごに買うものだと思ってました。ある意味、お土産的に。
でも、そんな話もないわけではないようです。
「お参り→お守り・おみくじ」説
さきほどの「お守り→お参り→おみくじ説」とは考えを異にして、まずは「お参り」だという説もある。ググってみるとけっこうでてきます。
お参りが先であるとする理由は、
- 何を置いても、まずは神様へのご挨拶が先
というもの。そう言われりゃそうだよね。神様をお待たせするわけにもいかないよなぁ、というこれまた納得の説があるわけで。
こうなるともう、どちらでも良いのではないか。と私なんかは思ってしまいます。あとは自分がどういう思いで、神様に対するのか。そういうことで良いのではないかと・・・ダメ?
ちなみに、「おみくじがお参りの後」というのは、ただしい作法と考えてよさそうです。
おみくじで凶!引き直しはダメ
おみくじで凶が出ちゃった。どうしよう、気になる。そうだ!引き直そう、というのはやめておきましょう。
神様の返事にケチをつける罰当たり
おみくじの結果がよくなかったからと言って、おみくじを引き直すというのはよくないそうです。
おみくじというのは、あなたの願い事に対する「神様からのメッセージ」とされています。
ですから「引き直す」というのは、その「神様からのメッセージ」に納得をしない。いわばケチをつける、という何とも罰当たりな行為になるのです。
ガマンですよ、ガマン。
おみくじの効力は長くない
初詣などでは、「今年一年の運試し!」的におみくじを引くこともあるかもしれませんが。
本来、おみくじには1年間といった「期間の効力」は無いとされています。あ、もっともらしくお話ししていますけれど、相変わらずGoogle調べでございます。悪しからず。
では効力はいつまでか?それは、あなたがした願い事が叶う(あるいは叶わなかったと諦める)までです。
ゆえに、おみくじを引くときには、明確に願い事をイメージして引くことが大切になります。ボヤっとしながら引いてはダメですよ。
悪あがきしてから引き直すならアリ、という考え方
ということで、おみくじには決められた期間の効力はありません。これを逆手にとって、おみくじを引き直すという考え方があります。
さきほど、凶が出たからといって引き直してはダメだと言いました。たしかにダメですが、それは「すぐに引き直す」場合の話。
そうではなくて、たとえば。凶が出たけれど、ひとまずおウチに帰る。神様の言葉を真摯に受け止め、瞑想。翌日、新たな決意でもっておみくじを引き直す。みたいな。
瞑想なり、努力なり。何かしらの状況を変えて、あらためて神様におたずね申し上げるのであれば。引き直すのもアリでしょう、ということです。
しかしまぁ。なぜにこうも皆さん、おみくじが好きなのか?わたしは絶対にやりません。なぜかって?
「明日」はオレが決めるから。
すみません、ウソつきました。ムダにウソをつきました。本当は、凶とか出たらひと一倍気にしてしまいそうだからです。ちっさいなぁ。
2礼2拍手1礼を忘れない
さいごに、お参りのしかたについて。あれれ、お辞儀は何回だったっけ?手は叩くんだっけか?なんて、神様の前でワチャワチャしてしまわないように。
いろいろな説はあるようだけど
お参りのしかたについては、考え方や説がいろいろとあるようですが。もっともオーソドックスになっているのが「二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)」です。
具体的なやり方としては、
- お賽銭を賽銭箱に入れる。鈴があれば鳴らす
- 2回、お辞儀をする
- 胸の前で合掌。この時、左掌に対して右掌を少し下にずらす
- そのまま2回、拍手する
- 合掌し、願い事(あるいは宣言)をする。このときの掌は左右ともに同じ高さで
- さいごに1回、お辞儀をする
神社は拍手、お寺は合掌
拍手は神社だったかな?お寺だったかな?と迷ってしまうことはありませんか。
拍手は、「神様をお呼びする」ための行為だそうです。そもそも、神社には神様、お寺には仏様がいらっしゃるわけですが。
お寺には、目に見えるものとして「仏像」があります。仏像を仏様と見れば、お呼びするための拍手は必要ないと言えます(注・わたしなりの解釈です)。
一方で神社には、仏像のように目に見えるものはありません。仏様と違って、神様とはキホン目に見えない存在なんですね。
だから、神社の場合には「神様~!」とお呼び立てさせていただくために拍手します。これでもう、拍手するかしないかでは迷わないかな。
掌をずらして、より誠実に
二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)」のやり方で、「左掌に対して右掌を少し下にずらす」と言いました。これにも諸説あるようですが。
左手は「心(霊)」を表し、右手は「体(身)」を表すという神道の考え方に由来するようです。
霊としての左手を神様とし、その神様に対して一歩身を引くという意味で右手を下げる。それが、「左掌に対して右掌を少し下にずらす」ことの理由とされています。
そして拍手の後、神様と人とが一体となったことを示すために、ずらした手を元に戻す、と。
細かい所作ではありますが、神様を敬い、誠実に向き合おうとする「人」の思いがあふれていますね。
まとめ
知っているといいかもしれない「神社の作法」についてお話をしました。
ほかにも鳥居の正しいくぐり方や、参道の歩き方。手水舎での作法などいろいろあります。
個人的には、あまりに細かな所作にまでとらわれる必要はない。大事なのは、神様に対する感謝の気持ち、真摯な姿勢だとは思いますが。
正しい作法を理解し、想いを作法に込めることで、より深い気持ちでのお参りをすることができそうです。
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きょうの執筆後記
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