きょうの一冊一言は、
中村禎さん著 『最も伝わる言葉を選び抜くコピーライターの思考法』
この一冊から、きょうの自分に活きる一言を、名言を。見つけ出していきます。
内容紹介
本書のタイトルからも察しがつきそうですが、著書の中村禎(なかむらただし)さんはコピーライターです。
広告代理店に就職するも営業畑としてのスタート。それでもなりたかったコピーライターへの道を挑戦と努力とで切り開き。
その後、広告制作プロダクションの名門サン・アドを経て、天下の電通へ入社。
- おいしいとこだけ、一番搾り。(キリンビール・一番搾り)
- 明日は、あしたの使い方。(TOYOTA・SPACIO)
- つまんない広告をする企業は、ほぼつまんない。(KDDI)
など、多くの人の記憶に残る数々のキャッチコピーを世に放ち。現在はフリーランスのコピーライターとしてご活躍をされる方です。
そんな中村さんが、広告コピーをつくるにあたっての「考え方」を書き記された本。
タイトルには「コピーライターの思考法」とありますが。コピーライターでなくとも、十分に学びや気づきを得ることができます。
著者自身、コピーライターの思考法はあらゆる職業にも共通することだ、と言っています。
それはコピーライティングの本質が、「相手の立場に立って、相手の気持ちを考えること」にあるからです。
仕事であれ、プライベートであれ。不特定多数に向けた広告であれ、たった一人の恋人に向けたラブレターであれ。
誰かに何かを伝えようとするとき、その本質にかわるところはありません。
伝わらないことに悩んでいる、どうしても伝えたいことがある、あなたにおすすめの一冊です。
きょうの一冊一言
『最も伝わる言葉を選び抜くコピーライターの思考法』から、わたしが見つけ出したとびきりのひとこと、一冊一言は・・・
コピーライターに必要なのは、文章力ではないと思っています。必要なのは想像力です。どれだけ相手のことを思い至れるか。その思い至る量で、伝わるかどうかが決まるのです。
中村さんが広告コピーを教える講座で、こんな課題を出しているのだそうです。
- あなたの家を訪問する人のために、A41枚に「文字だけ」で地図を書いてください。地図は最寄り駅で渡されます。
なんども出している課題でありながら、いまだに超えられない傑作があると言います。
それは、「コンパクトに折りたためる地図」。A4の紙にいくつも折り目がついていて、たためば手のひらサイズです。
訪問者は荷物で両手は使えないかもしれない、傘を持ちながら地図を見なければいけないかもしれない。そんな訪問者のために、折りたたんで片手でも見られる地図。
課題は「文字だけの地図」ですから、読みやすい文章・わかりやすい文章を心がけるのは当たり前です。
そこを文字だけ、文章だけに留まらず。読み手が置かれた状況、そこで読み手が抱く思いを想像し、文字が刻まれた「紙」にまで配慮する。
必要なのは文章力ではない、想像力だ。という、コピーライティングの本質を突いた好例として紹介されています。
思い至れなければ書かなきゃいい
ところで、「ブログは読み手のことをイメージして書くものだ」なんてことがよく言われます。
そう心がけて、わたしも書いているつもりでしたが。先ほどの地図の話を受け、ほんとうに「つもり」だったんだなと感じたわけです・・・
もちろん、文章力もそれはそれで必要なモノですけれど。想像力の重要性に比べれば、それは二の次三の次なんですね。
どれだけスバラシイことが書けたとしても。それを目にできる相手がいなければ、いかなる名文とてお蔵入りです。
ウマいこと言えてるだろうか、なんてことにばかり気を取られているようでは想像力はほど遠く。はい、ボクです。
言葉の巧い下手は文字ヅラじゃないぞ、相手を思い至る量だ。そう叱られた気がする一冊一言でした。
その他 注目の一言
一冊一言以外に、『最も伝わる言葉を選び抜くコピーライターの思考法』から見つけた気になる一言を。
広告をつくる時には、「広告なんて誰も見たいと思っていない」という前提を常に忘れないことが大切です。
たとえば、テレビCMの15秒を、広告主の真意を掴もうとじっくり見てくれる人など居ない。そういうことです。
よほど興味あるメーカーや商品でもない限り、テレビCMなどは基本、右から左に聞き流しているものでしょう。
さて、身の回りに置き換えたときにどうだろう?まったくの「広告」ではないにしても、似たような状況はありそうです。
- 部下からの日報(できればこんなものは読みたくないわ・・・)
- 無尽蔵、無秩序に流れてくるSNSの新着通知(どれが重要なのか、そうじゃないのかがワカラン!)
- 覚えもないところからのメール配信(勝手に送ってくるな!)
- あたらしく買った家電の説明書(なんでこんなに分厚いワケ?)
- 役所から届いた文書(言いたいことはナニ?なんでこんなに読みにくいの?)
などなど。わたしたちは実に多くの「ほんとうは見たくもないもの」にさらされている、とも言えます。
一歩譲って、「見てみようかな」という段にあたっても。「じっくり見る」かどうかまではわかりません。
見てみたけれど、どうにもよくわからんからや~めた。ということもあるでしょう。ブログなどもまさにそれです。
あってはいけないことなのですが正直に言うと。込み入ったことをブログで執筆する際、ふと「メンドー」になることがあります。
これくらい書いておけばまぁ、あとは読んだ人が解釈をしてくれるだろう。読者の好意に委ねる、みたいな。
あぁイカンイカンと思い直す、書き直すわけですが。怠け心が上回るとそのままスルーしてしまいます(ダメな人ですね)。
そんなときには、わが事務所の「ブログ検閲係」である妻より物言いがつきます。なにをおっしゃっているのかわかりかねますよ、と。
相手に期待して言葉を発しているようではいけない。そんなハンパな思いで言葉を発してはいけない。
世界中の誰ひとり、ボクの言葉なんて聞きたくない。そう思っているかもしれないのだ。
言い過ぎのようでもあり、事実でもあるからコワイコワイ。
ボクは「誰」に「何」を伝えようというのか?
さて。
メールはもちろんですが、Facebook、Twitter、Lineなどなど。手軽に、速く、より多くのヒトに、メッセージを伝えられる手段が増えました。
けれどもその分だけ。便利になった分だけ。言葉の重みが軽くなったような気がしてしていたワタシです。
大量の投稿やツイートのスキマに、流し込むように発する自分の言葉が。どうにも軽く思えてならなかったのです。
こんなにも言葉が軽くなってしまうのは、世の中が便利になりすぎたせいだ!あまりにもカンタンに発言できるITのせいに違いない!って。
しかし、それはどうやら間違いでした。中村さんは次のように言っています。
運ぶ入れ物は変わってきたけれど、伝える相手は今も同じ人間です。人の思いや、熱のようなものに変わりはないと思うのです。
ようやく気が付きました。あぁ、言葉を軽くしていたのはボクなのか、と。
言葉が軽いと感じるのだとすれば。それは、ボク自身の「思い」や「熱」が足りないことが理由です。
世界が便利になったから言葉が軽くなっただなんて、とんだ暴論。とんだ勘違い。
優れた手段を使い、どれだけの情報を運ぼうと。「思い」や「熱」が不足すれば、ほんとうに相手に届くことはないわけで。
言葉は伝える「手段」によって、その重さを変えるものではない。伝えようとする「人」しだいだ。
そもそものはじまり、なぜ人間に言葉が必要になったのか。ほんとうに伝えたいことがあり、ほんとうに伝えたい相手がいたからだ。
SNSやブログの世界で右往左往し続けるわたしにとって。それはすべての振り出しにまで戻されるかのような、中村さんからのメッセージでした。
《 伝わらないことに悩んでいる、どうしても伝えたいことがある、あなたにおすすめの一冊 》
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きょうの執筆後記
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