【神様のカルテ3/夏川草介】ほんとうに活かせる名言をみつけよう #7

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きょうの名言は、夏川草介さんの「神様のカルテ3」から。
古今東西、世の中はたくさんの名言であふれています。
自分にとって「活かせる」名言、みつけてみませんか?

目次

覚悟と良心と

今回、名言をご紹介するのは、シリーズ化された小説「神様のカルテ」。
「神様のカルテ」を第1作とし、「2」「3」「0」の順に出版されています。

2011年には映画化され、その後続編も公開。
主人公を演じた嵐・櫻井翔さんのパーマ姿が「似合わない」と話題に。
いやいや、話題にするのは櫻井クンではなくて、作品のほうでして。

作品をご存じない方のために、簡単に物語の背景を説明します。

主人公の栗原一止(いちと)は、「24時間365日対応」を掲げる地方の本庄病院で働く内科医です。
いつもいつも徹夜だなんだと激務で忙殺される日々。

大学病院の医局からの誘いもある一止ですが、手遅れの患者には興味がない「大学病院」よりも、手遅れの患者にも寄り添う「地方病院」の医師を選んでいます。
しかしそれは、最新かつ最高の医療からは距離を置くことと同義。
より多くの人を救う医療を身につけるため「本庄病院を出る」という思いは、一止の心中でいつもくすぶり続けています。

そんなある日、本庄病院の新しい医師として、女性内科医の小幡がやってきます。
地方病院から見れば、外の世界で最先端医療を存分に学んだ、確かな腕と経験がある医師です。

命と真剣に向き合わないと感じる者に対しては、相手が医師であれ、患者であれ、非情なまでの態度を見せる小幡。
地方病院に勤める者たちとの間に、様々な確執を生んでいくことになります。

そして、今回ご紹介する名言のシーン。
亡くなりそうな患者がいるのに主治医の小幡は研究会に出かけた、ということから始まった騒動。
いよいよ抗議の姿勢を見せる一止に対し、小幡が放った一言です。

「医者を舐めてるんじゃない?今の医療って、一カ月単位でどんどん進化していく日進月歩の現場なの。一瞬でも気を抜けば、たちまち自分の医療は時代遅れになるわ。それはつまり、患者にとって最善の医療を施せない、ということじゃないかしら。そんな厳しい世界にいながら、亡くなる患者のそばにいることに自己満足を覚えて、貴重な時間と気力と体力を浪費していく医者なんて、私からしてみれば、信じられない偽善者よ」

このあと「手を抜いているつもりはない」と言う一止に対し、小幡は先端医療に関する質問を次々と重ねていきます。
まったく歯が立たない一止に、「失望した」と嘲笑する小幡は、その一止のことをこう言います。

「ちょっとフットワークが軽くて、ちょっと内視鏡がうまいだけの、どこにでもいる偽善者タイプの医者じゃない」

当時わたしはこれを、税理士である自分と重ね、ひどく衝撃を受けたのを覚えています。
自己満足、偽善者・・・

患者のそばに寄り添うことを大事にする一止はぜんぜん間違ってはいない。
けれでも、「ひとりでも多くの命を救うための医療」にこだわるとき、その良心は自己満足としか言えないかもしれない。

これは自分の仕事の姿勢にも大きくかかわることです。
「顧客満足」という心地よい言葉をいくら並べたところで、それを成しえる「腕」がなければどうにもならない現実があります。

税理士にとって、「税法だけがすべてではない」。
顧客が望んでいることは、税金のことばかりではないんだ。
それはひとつの「事実」ではありますが、行き過ぎれば「現実」からの逃げとも言えます。

なんのための「税理士資格」であるかを考えれば、本来的には「税法」あっての「顧客満足」でしょう。
税法がきちんとできることが大前提であり、それこそが顧客満足への道の第一歩。のはず。

ひとりの税理士が税法の「すべてを100%極める」ことは困難です。
でもそれは困難だからと、「顧客満足」を言い訳にすることがあるとしたら?

税法を軽んじているつもりも、顧客満足に逃げているつもりもありませんが、税法に対して小幡のような「100%の姿勢」ほどの極端さはありません。
一止と同じく「手を抜いているつもりはありませんが・・・」としか言いようがなかったりします。

実は小幡は、「命」に関して壮絶な過去を背負っています。
その過去についての「覚悟」から、「生きようとする意志」を粗雑に扱う者と執拗なまでに戦っているのです。
次のセリフに、小幡の覚悟の姿勢がよく表れています。

「我々の仕事は常にゼロか百かのどちらかです」
「癌が八十パーセントの確率だからといって、八十パーセントの治療なんてないんです。十人のうち九人を救っても誰も褒めてはくれません。十人が十人とも、確実に、安全に、絶対に、救命できなければ、医師としては失格なんです」

軽薄な表現になりますが、そういった「覚悟」を身につけることは並大抵ではないでしょう。
わたしはもちろん、人は「自分なりにがんばった」みたいなところに逃げがちです。
壮絶な過去を背負う必要はありませんが、後には引けぬ思いというものは圧倒的に足りていません。

小幡の覚悟は極端にしても、「医者を舐めてるんじゃない?」という言葉はいまもなお、わたしの胸に響きます。

ところで、小幡の「極端な覚悟」について。
小幡先生の熱意もわかるけど、亡くなりそうな患者を置いて研究会はないよな、とも思うわけです。
覚悟も行き過ぎて、それはそれで自己満足なんじゃないの?と。

この点、一止はのちにこんな「反撃」を試みています。

一止「無敵に見える先生にも、不得意な分野があると知って、いくぶん安堵しました」
小幡「不得意な分野?」
一止「”良心”という分野です」

その「良心」という言葉について、広辞苑によれば次のように書かれています。

【良心】何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪をしりぞける個人の道徳意識。

善悪の判断は常に難しいものがありますが、判断しようとする思い、すなわち「良心」はたいせつです。

いままさに亡くなりそうな患者やその家族からしてみれば、明日の先端医療よりも、いま主治医が看取ってくれることを望むものでしょう。
そのときにまで先端医療を学ぶ姿勢を貫くことは善に反し、良心に欠ける。とも言えそうです。

覚悟と良心とは、「両輪」として機能させるべきもの。
一止の「反撃」は、さすがは主人公といったところです。

とはいえ、「覚悟」といい、「良心」といい。
どちらも容易ではないことを同時に突き付けられたものです。

ともすると「自分なりに」に流されがちな日常に、一石投じてくれる「神様のカルテ3」。
心がくすぶるあなたにおすすめです。
ちなみに、シリーズ途中の「3」から読んでもだいじょうぶな構成になっています。

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  きょうの執筆後記
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昨日は、午前中テニススクール、午後は急ぎ目の仕事を少々。
夕方からはランニングを5kmほど。
今月は途中ちょっと運動を控えた時期があり、目標の月間100kmは厳しそうです。
暑くなってきましたし、無理せず続けてみます。

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