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【幸福論/アラン】ほんとうに活かせる名言をみつけよう #8

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きょうの名言は、アランさんの「幸福論」から。
古今東西、世の中はたくさんの名言であふれています。
自分にとって「活かせる」名言、みつけてみませんか?

目次

「愛だろ、愛っ。」というしあわせ

今回、ご紹介するのは「アラン著」の「幸福論」です。
幸福論、などというと身構えますか?わたしは身構えますよ、はい。偏りのある強すぎる思想だったらちょっと怖いです。
でも大丈夫です。そういう本ではありません。良い意味でフワっとした本です。何を読み取るかは読み手に託されている、そんな本です。

わたしはこの「幸福論」の本を本屋さんでみつけました。「より幸せになりたい」だれもが胸の内に抱く思いを、そのタイトルに刺激されたのですね。
レジの店員さんに「この人、不幸なのかしら?」って思われるんだろうな、とか考えながら買ったことを覚えています。そのような発想自体がまず不幸ですか、そうですか。

それでもこの本を買うことができたのはスタイリッシュな「外装」のおかげです。見た目は外国のペーパーバック風でオシャレ。
むしろ持って歩いていたらカッコよくない?という不埒な動機にも助けられて手にした「縁ある本」のひとつです。縁とは不思議なもので、この本からはたくさんの気づきとしての名言を得られることができました。

アラン幸福論

幸福論についての補足を少しだけ。
ご紹介する「アラン」の幸福論は、「3大幸福論」のひとつとされています。年代順にヒルティ著、アラン著、ラッセル著。アランの幸福論の発刊は1925年、ずいぶんと昔の本ではあります。
「アラン」はペンネーム、本名はエミール=オーギュスト・シャルティエ。フランスの高等中学校の教師として長く教鞭を執った人です。

それぞれの幸福論の詳細な違いは他に譲るとして。アランの特徴を一言でいうなら、「ユルさ」にあるとわたしは感じています。
当時エッセイとして地元新聞紙に掲載されていたもののなかから、まとめられたものが幸福論。日常の身近な出来事を題材に、平易な語り口で書かれているのでわかりやすい。

この本でいうと1話がどれも3ページ以内です。それぞれの話に明確なつながりはありませんので、ちょっと時間のあるときに、どこから読んでもかまいません。
わたしはしばらくの間ベッドサイドにおいて、寝る前にテキトーなページを繰っていました。そういう時間帯に読むのにも最適な内容です。

それでは、お待たせの名言。ひとつめです。

だが現実には、幸福になる理由や不幸になる理由にたいした意味はない。

アランの幸福に対する考察について。その根底に流れるものをユルく表現させていただくと「気の持ちよう」、というのがわたしの解釈です。
幸福か不幸かなんて、自分がどう感じるかではないのか。だったらあまり「不幸だ」などと考えずに、「幸福だ」と考えたらどうなんだ。そういう感じです。

思い悩み、考えすぎたりしてしまうと、「不幸だ」とか「悲しい」というネガティブな感情に流されることがあります。
これをアランは「すべては身体の調子にかかっている」と一蹴しています。心身が健康でないことが理由なのに、自分自身で勝手に「不幸や悲しみ」の理由付けをしている。そんなことを言っています。

幸せになる秘訣について。

しあわせになる秘訣のひとつは、自分の不機嫌に無関心になることではないだろうか。

怒りなどの不機嫌もまた、心身が健康でない状態のひとつでしょう。そういうものを抱え込んでいると、やはり不幸に向かってしまう。
泣くことでますます不機嫌となり、激しく泣き叫ぶこどものように、とアランは言っています。

いっぽうで、そうは言っても「つらいものはつらい」。そういう状況もあるでしょう。

ただ君のいまの苦しみは、ひどくつらいものだからこそ、必ず和らぐと断言できる。

アランは幸福論の中で、「いまを見なさい」というようなことをよく言っています。あなたが生きているのは、過去でもなければ未来でもないのだと言います。

どうでしょう?わたしたちはよく過去を振り返り後悔します。まだ起きてもいない未来のなにかを憂い不安になります。
でも過去も未来も、そのどちらも「いま」は存在しないものです。「いま」はないものに気を取られるのはやめなさい。やっぱり「気の持ちよう」じゃんか。アランさんは繰り返しています。

そしてこの名言は、ほんとうに苦しい時に気が付くべきたいせつなことにも触れています。すべては変化しすべては過ぎ去る、ということ。いまがそんなに苦しいのなら、あとは良いほうに変わるしかない。
今が底なら、あとは上へ行くだけ。そんなことをカーネギーさんも言っていた。うん、確か言っていたはず。

きょう最後の名言です。

憎しみからやっていたことをやめて愛によってするようにしたら、どうだろう。

アランは、「怒り」や「憎しみ」といった負の感情をすごく嫌っています。健康に良くないし、幸せを遠ざけるということで嫌っています。

日常には「愛によってすること」と「憎しみによってすること」が入り混じっているのだと言います。それを「混沌」と表現し、その混沌の中から、美しいもの、愛すべきものだけをいつも選び出すのです、と提言しているのがこの名言。
「さぁ選び出すのです」とは言ってませんね。選んでみたらどうですか、と言ってます。

言われてみれば、ということですが、たびたび悪いものに目を向けようとするところがあります。世の中の目が悪いものを捉えがちだったります。たとえばニュース報道とか?
良いニュースも悪いニュースも報道するのは大事なことです。良いニュースにも悪いニュースにも目を通すのも大事なこと。

でも、そのあと「話題」として取り上げるニュースは良いほう?悪いほう?
なぜか、悪いほうが「話題性」が高く、それをおもしろおかしく、やじったりしてはいないでしょうか。そんなことをしていないで良いニュースのほうに拍手を送れ、そういうことです。

アランは言います。愛は強く、憎悪は弱い。愛が健康をつくり、健康が幸福をつくる。
愛がどれだけ健康に良いかはデカルトも言っていた。でもいまどきは誰も「デカルトの情念論」なんて読んでいないのだろう、と少々怒っています。
すみません、読んでいません。読みます、今度読みます。健康に悪いので怒らないでください。

幸福論で語られていることに「目新しさ」はありません。
誰もがわかっているはずのこと。けれど見逃していたということに、日常風景を取り出してそっと気づかせてくれます。
しあわせって意外とすぐそこにあるもんだよなぁ、と思わせてくれます。

いまを生きる自分のしあわせとはなにか?
訪れるあすを思い、夜更けに静かに思考をめぐらせる。そんなシーンにおすすめの1冊です。

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  きょうの執筆後記
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昨日は、午後に新規の顧問契約を締結。
クラウドサービスを通じて顧問契約、クラウド会計とチャットの導入とクラウド尽くし。
お客さまの状況や希望はもちろん伺いますが、基本はこのスタイルがいまのスタンダードです。
もっとも時間とモノを節約できます。

 

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