本の読み方はひとそれぞれ。
読むのが遅いと書くのも遅い?速く書きたい人にとっては聞き捨てなりません。
速く書くために速く読むという読み方
先日、プロブロガーのイケダハヤトさんが「遅すぎる!」というテーマで記事を書かれていました。少し長めですが、一部抜粋させていただきます。
書くのが遅い人は、だいたい、読むのも遅いです。
「スローリーディング」もいいですが、それはある程度、本を読みなれた人がやることだと思いますね。
書くことを仕事にしたいなら、せめて、本は誰よりも多く、誰よりも早く読むくらいを「デフォルト」にしてください。ある程度読んだら「もういいかな」と思える瞬間があるので、そこから自分なりの読み方を作ってください。
はじめは大量に読まないと、自分の読み方なんて作れませんよ。それは文章執筆も同じです。
ぼくはマンガも含めると、年間1,200冊は軽く読んでいます。そりゃそうですよ。書くことが仕事ですから。1ヶ月に100冊とか、当たり前に読まなきゃいけないラインです。もちろん、創作のタイプにもよるとは思いますけどね。
気になったのは出だしの一文、「書くのが遅い人は、だいたい、読むのも遅い」というところ。これをもとに、「本の読み方」について考えてみます。
考えることも「書く」のうち
抜粋文について、わたしなりに解釈すると。
書くことを仕事にするなら速く書かなければ → 読むのが遅いから書くのも遅い → 速く書くために速く読む
この場合の「書く」というのは、「実際に書く」という行為よりは、「書くための思考」のことかと推察します。
ものを書くときには、「何かを考えて」書くでしょう。
元ネタの収集から、それにもとづいて自分の考えをまとめるまでの「思考」。これを「速く読む」を通じて訓練しているのかと、わたしは解釈したわけです。
わたしの解釈の正否はともかくとして。
わたしの読書ペースは、年間140冊前後。年間1,200冊とは雲泥の差です。このブログを「書くのが遅い」と感じていたことにも頷けます。
さきほども触れたように、書く行為というよりも、書きはじめるまでの思考の部分に「遅速」の差は大きく現れるように感じます。
そもそも書くためのネタに悩む。話の切り口がうまく出てこない、など。「筆を持つまで」がたいへんだ、というのが「書く」ということに対するわたしの思いです。
本の読み方とは「読書技術」と「目的」
年間1,200冊の読書が「書くための思考を鍛える」ひとつの方法だと仮定した場合。現状、年間140冊というわたしの読書も考えものです。あまりに少なすぎます。
唐突ですが、その点でひとつの結論を持っています。誰もがたどりつくであろう結論です。
それは、読書冊数の差は「読書時間の多少」の差にその本質があるのではなく、「本の読み方」の差にあるのだろうということ。
「本の読み方」とは?
ひとつは、速読というような「読書技術」的なこと。もうひとつは本を読む「目的」です。
わたしは、速読(技術)では読んでいませんし、「速く書くために速く読もう(目的)」とも考えていませんでした。
「読んだ」を目的にしない
独立開業を機に、ブログをはじめて3か月になろうとしています。
実績をあげられているプロブロガーの方が言われることですから、「速く書くために速く読む」はひとつの真理なのだろうと素直に受け止めています。
速く読むことが、速く思考することにつながるのだとすれば。速く思考することは「書く」ことにとどまらずおおいに役立つでしょう。
いままでの自分に執着し過ぎず、もっといろいろな考え方ややり方を見て回らなければいけない時期です。
それはわたしにとって「読書の目的」そのものでもあり、「いろいろな考え方ややり方」を知るために読書をしています。
読書の目的に「速く書くために」を加えたうえで、「速読」のような未学習項目に触れていくことにします。
ところで。
再三、「目的」という言葉を使ってきました。
目的あっての読書技術、そういう「本の読み方」であるべきだという思いからです。これこそ執着かもしれませんが。
ただどうしても。
読書について「○○冊読んだ」という多読の話は多く、「~のために読んだ」が抜け落ちる違和感があります。これは自分が思っている以上に抜け落ちます。
なぜなら、「数字」はいちばんラクに表現できるからです。ラクな表現は、往々にして「身が無いもの」を飾る手段として使われます。
たとえばこれから速読に取り組む自分がいるときに、「○○冊読んだ」という行為だけに堕ちないように。やはり、読書の「目的」をはっきりさせておく必要があります。
目的あっての読書技術
読書に対する姿勢はひとそれぞれであり、目的も様々でしょう。わたしは、読書の目的として次のように考えています。
- 自分が知らない考え方・モノに触れる
- 「知っているはず」のものに誤りがないかを確かめる
- 理解する力を強化する
- 伝達する力を強化する
- 速く書くために、速い思考を鍛える (← 今回、追加)
これらの目的に合わせて、自分なりの読書の仕方(技術)をとっています。たとえば、
- 本選びのジャンルは偏らないように(他人のおすすめにもよく耳を傾ける)
- 自分の専門分野の入門書、初学書をあえて読む
- その本を読む目的(選んだ理由)、本から得たいこと(質問)を書き出してから読書を始める
- 読書で気になったこと、学んだこと、良い言回しなどはEvernoteに記録で残す
- 必ず読書する時間というシーンを決める(仕事での移動中、寝る前など)
- いわゆる「行間」の理解に注意をはらって読む
- 読書前に、あえて目次を見ないようにする
「ヘンなの」と思われることもあるかもしれませんが、いろいろ工夫はしているつもりです。
Evernoteへの記録は読書スピードを著しく下げているかもしれませんが、目的を考えるといままではゆずれない部分でもありました。これからは「速く読む」ことを考えると、もう少し工夫が必要かもしれません。
行間を読もうとしたり、目次を見ないのは、他人の考えを「理解する力」を養おうと考えてのことです。
他人は誰もがわかりやすく話してくれるわけではありません。脈絡をもって話してくれるかもわかりません。
会話の「行間」にこそ重要な感情が潜むことがあります。話の順序がぐしゃぐしゃで、聞き手がその整理に追われることもあります。
そのときに「忍耐力」がないと、相手を理解することを放棄することになります。
読書を通じて、そのあたりの忍耐力を身につけようということで、読み方が「非効率」になっているところがあります。
もっとも、書籍の場合には「行間」も「脈絡」も整理されている場合がほとんどですから、日常生活での他人を相手にするほどの忍耐力は要しませんが。
わたしが「速く読む」についてを新たに考えたように、身近な読書についてあらためて考えてみてはいかがでしょうか。
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きょうの執筆後記
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昨日はオフ。朝にいつものテニスレッスン。
とんでもない暑さで、レッスン中に一度、完全に息が上がりました・・・
ランニングで体力に少し自信がついてきていただけにショック。
暑い日が続きますが、気を付けてランニングを続けます。