2016年4月中旬からブログを書き始めて100日。毎日1つずつ更新を続けた記事は、これで100記事め。
100記事書いてみて、「なにが変わるのか、変わったのか」ということについて書いてみます。
「めざせ100記事」と言われているのはなぜか?
右も左もわからないままに飛び込んだブログ界。そこで言われていた「めざせ100記事」「まずは100記事」。
その言葉には「100記事書けば変わるものがある、変わることができる」というメッセージが含まれています。
100記事書くと「変わる」と言われていること
100記事書けば変わると言われていることを、わたしなりに整理するとこんな感じです。
- 記事の内容
- SEO、収入
- 心持ち
- 習慣
- 仲間
この5点について、何がどう変わるのか。説明を加えます。
1.記事の内容
記事の中身、質的なこと。たくさん書くことでネタに対する感度や文章力が向上し、「伝える力」が磨かれる。
2.SEO、収入
検索流入の増加などSEOへの効果が出始める。アフィリエイト・広告などのブログ収入の実績が出始める。
3.心持ち
ブログを書くにあたっての気構え、姿勢が定まりはじめる。書くことに対する覚悟が決まる、というようなこと。
4.習慣
書き続けることによって、「ブログを書くこと」が習慣として定着。規則正しい生活のリズムを生む、という副次効果も。
5.仲間
ブログ閲覧者との交流や、同じブロガー同士などのネットワークが広がっていく。
そしてボクはどう変わったのか?
100記事書けば変わると言われる5つのこと。わたし自身はどうだったのかというと、
1.記事の内容
記事のネタ集めにはあいかわらず苦悩が続いています。記事のテーマ観もいまいち定まりません。文章の書き方は少しずつですが、「読みやすい」方向に改善しているとは思います。
2.SEO、ブログ収入
いわゆるPVで言うと、60記事めあたりからはほとんど「停滞」しています。そもそものPVの数自体もまだまだ。
ブログ収入は、Google AdSenseとamazonアソシエイト。金額自体はごくわずかですが、推移でいえば右肩あがりです。
3.心持ち
一時期よりは安定しました。「書くのが怖い」と感じた時もありましたが、いまではそこまでのことはありません。とはいえ、「断固たる思い」といえるほどの強さとは言えません。
4.習慣
結果として、毎日書いています。ほとんどの場合、朝のうちに済ませるという部分では習慣化しつつあります。
それでもときおり思いのほか時間がかかり、逆に生活のリズムを崩すことはあります・・・
5.仲間
ブログに関するセミナーや、ブログ・SNSを通じて以前はなかったネットワークは広がりました。
とはいえもともとの「人見知り」でフットワークが悪く、まだまだ広がる余地は大きいはず。
僕は変われていない
ということで。100記事書いてみたもののパッとしませんね。
正直なところ、ブログを書き始めたころは100記事書けば「それなり」を期待していました。
記事もそれなりに書き慣れて、PVもブログ収入もそれなりに数字は右肩上がり、みたいな。甘々ですね。
同じ100記事でも「月間何万、何十万PV」という方の話がありますがまったくもってぜんぜんです。
パッとしない理由を考えるために、「5つのこと」を図解してみました。
わかったことは「結果」としての「SEO、ブログ収入」があり、「過程」としての「内容」「仲間」「習慣」がある。
そして、その「起点」としてぼ「心持ち」があるということ。
つまり、心持ちが悪ければ、ブログを書く過程にもつまずきが出る。結果もでない。そういうことなのではないかと考えています。
心持ちの根を張ろう
あえて言っておきおす。100記事書いても変わらないと感じるのなら。わたしと同じ、心持ちに問題があるのかもしれません。
自分らしさとはカッコつけないこと
心持ちを支えるものはひとそれぞれでしょう。
とはいえ、多くの人が必要としていながら、わたし自身に欠けているもの。それが「自分らしさ」です。
ブログ界には、きらびやかな成功体験を演出するスキルやノウハウの情報があふれています。
スキルやノウハウは必要なものではありますが、行き過ぎれば「自分らしさ」を失いかねない諸刃の剣。
そんなスキルやノウハウに目を奪われて、わたしはいつも「カッコよく書こう」とし過ぎます。
もちろんウソを書いたりはしていませんが、ちょっと背伸びした内容だったり、気取った表現をしてみたり。そういうところがあります。
ほんとうにカッコいいならともかく、人間それほど長くカッコつけ続けることはできません。
ネタがない、書くのがつらい、というのはその典型的な事象と言えます。
もし同じ事象があるという人は、「カッコつけてはいないか」をいちど自分に問いかけてみるのはどうでしょう。
書かされない、言わされない
「起点」について、別の見方をすれば、それは自分の「根っこ」です。
「過程」という茎・葉を通じて、「結果」という花を咲かせる「根っこ」。
根っこが病んでいては、きれいな花が咲くものでもないでしょう。根っこが健やかであるための「自分らしさ」について、さいごに考えてみます。
- 自分が書きたい記事を書いているか
- 自分が言いたいことを言えているか
この2つ。記事を書くたびに自分に問い続けるほかありません。
どんなに良いテーマであろうと自分が書きたい記事でなければ「カッコつけ」です。
どんなに良い意見であっても自分が言いたい意見でなければ、それもまた「カッコつけ」です。
見えない誰かに記事を書かされていないか、知らない誰かに意見を言わされていないか?
自分らしくあるために、問い続けてみましょう。 わたしも問い続けてみます。
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きょうの執筆後記
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昨日は、4分の1日分という変則的な代休。その他はほぼブログの修正を。
代休をとったといっても、フリーランスですから勝手にそうしているだけですが。
夕方はランニング。夏休みの娘と、はじめて一緒に走ってみました。
キロ7分のペースで3km。また、機会をみて続けてみようと思います。