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「家族で食事の領収書は経費にできるのか?」に対する本当の回答

家族で食事

「家族で食事」の領収書は、経費になりますか?

さて。この問いに、あなたならどう答えますか。

目次

「仕事関係の食事だ」ということにすれば。

事業をしている人にとって。「経費になるか、ならないか」というのは大きな関心事のひとつです。

また、サラリーマンであっても。経費精算の観点で言えば、同様に関心事と言えるでしょう。では、質問です。

「家族で食事」の領収書は、経費になりますか?

この質問に対して、あなたはなんと答えますか。回答の選択肢を提示しますので、考えてみてください。

ちなみに、「家族と食事」は完全にプライベートであることが前提です。仕事の要素は一切ない、そういうことで。

(1)経費になる。
(2)経費にならない。なるわけがない。
(3)考えようによっては、やりようによってはなる(のではないか)。

 

さぁ、どうでしょう?

本音を問う

完全にプライベートだと言っているのに、「(1)経費になる」と明確に言い切る方はいないでしょう。もしいらっしゃったら、その回答は「間違い」なのでやりなおしです。

では、「(2)経費にならない。なるわけがない。」と答えるなら。正解です。きょうの記事はここで終了。これ以上、お読みいただくことはありません。

ただし。ほんとうに、心底そう答えたのなら。という前提付きです。

もしもあなたが、「どうせ(2)なのだろう」みたいな思いで回答したのであれば。この記事にはまだ続きがあります。

(2)と答えたあなたは、もう一度、自分の本音・本心に問いかけてみましょう。結果、「実は(3)かも」そう思ったあなたは、もう少しお付き合いください。

そして、もともと(3)だと考えるあなたもいっしょに。話を続けましょう。

偽らざる気持ち

(3)は「考えようによっては、やりようによってはなる(のではないか)。」というもの。正解か不正解かで言えば、不正解です。けれども。

これが「偽らざるヒトのキモチ」というものだろうと思います。だって、それはそうですよね。家族の食事が経費になる、なんて2度おいしいハナシは大歓迎でしょう。

本音・本心で言えば、わたしだってそうです。それがOKであるならば、喜んでそうします。家族の食事も経費にします。

ところが、もちろん。家族の食事は経費ではありません。経費にはできません。経費にできるのは「仕事に関係があるもの」と決まっていますから。

わたしがわざわざ言わずとも、そんなことはみんな知っているんです。ほんとうはダメだ、と知っている。でも、こう考えてしまう。

「仕事関係の食事だ」ということにすれば。

 

「仕事関係の食事だ」ということにできるのか?

本音・本心のままに、「仕事関係の食事だ」ということにすれば…と考えるなら。次の関心事は、「それは可能なのか、できるのか」ということです。

できるかできないか、の話ではない

「できるか、できないか」で言えば、できます。バレるかバレないかは別の話として、「できる」。「仕事関係だ」と言えばいい。

ただし。クドいようですが、それはやってはいけないことです。

いわゆる「脱税」のたぐいとして、あるいは、倫理的な問題として。それはやってはいけない。

でも、わたしが一番言いたいことは、そういう法律や倫理、ましてや正義の話でもありません。

わたしが言いたいことはただひとつ、「良心」の話です。

良心が傷む

家族の食事が経費ではない。

それは百も承知で、可能性があるならばやってみる。「オレはやってる」「ワタシもやってる」と聞いたから。みんなやっているのに、自分もやらなきゃ損をする。

だから「やってはいけない」のを知りながら、やってしまう。これくらいならいいだろう。最初はほんのちょっと。そのちょっとが少しづつ増えていく。

もうちょっと大丈夫だろう。バレないからもうちょっと。もうちょっと…

このとき、自分の中の「良心」が傷んでいることに気づかなければいけません。

他の誰かがどうこうではなく、みんなが何をしているかとは関係なく。自分自身の良心が、少しづつ傷んでいくことに気づかなければいけません。

「良心」とは何か

良心が傷む、だって?アオくさいことを。そう言われるかもしれませんが。

そもそも「良心」とは何か、について。ここで深くを論じるつもりもなく。代わりに良心に関する身近なこととして、こんなことを言いたいわけです。

もし、あなたが。やってはいけないことだと知りながら、家族の食事を経費にするのなら。

  • 政治家の公費不正使用を、ほんとうに笑うことはできますか?ほんとうに非難することはできますか?
  • 税金が高すぎるなんて、言える資格はありますか?
  • 家族に対して、周囲に対して、「仕事をがんばっている」と胸を張って言えますか?

 

そういうことです。

良心は本音・本心と同じく、他人に見えるものではありません。自分自身にしかわからない。

だからこそ、その良心の在りようは自分がジャッジし、育んでいくしかないものです。

たかが、「家族で食事」の領収書1枚ですが。それはあなたの大事な良心と向き合うきっかけになりうるものでもあります。

そう考えると。最初の質問自体、聞くまでもないことであることに気づきます。

「家族で食事」の領収書は、経費になりますか?

経費になるかならないか、できるかできないかの問題ではなく。そもそもクチにするまでもないことであることに気づくはずです。

良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である。

セオドア・C・ソレンセン / 米国の弁護士、作家、ケネディ政権大統領特別顧問

家族で食事

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