僕のブログなんて、誰も見てくれないんじゃなかろうか・・・?
自分のブログはぜんぜん読んでもらえないなぁ、そんなことを感じてはいませんか。
「誰も来ない、誰も見てくれないブログ」という迷いに決着をつける、3つの考え方についてお話をしていきます。
迷いに決着をつける3つの考え方
自分が書いているブログが読んでもらえない。書くのがツラい。もうやめちゃおうかなぁ。
その悩みに、迷いに。決着をつけるための考え方とは? それは、
- ほんとうに誰も見ていない、なんてことはない
- 己の足らざるを知る
- なんかやってやろう、という野心に応える
このあと、それぞれについてお話をしていきます。
ほんとうに誰も見ていない、なんてことはない
「たくさんの人」に見てもらえない、ということであれば。それはたしかにある話です。特にブログをはじめた当初は、なかなか閲覧者も増えないものですし。
ですが、閲覧者がゼロだということはないはずです。誰ひとり見てくれない、人っ子ひとり来てくれないんだ、なんてことはないはずです。
だって「ブログをはじめたよ」と言えば。家族や友人、恋人などがまずは見てくれるでしょう。仕事の関係者だって見てくれますよね。
さらに、FacebookやTwitterでブログのことを知らせれば。なにかのご縁で閲覧してくれるどこかの誰かも現れるかもしれません。
ですから。「ほんとうに誰も来ない、誰も見てくれない」ということは事実として無い。ありえないわけです。
ブログというしくみを使って、WEBという世界に言葉を放つ以上。誰ひとりの眼にも触れないように済ますことのほうがずっと難しい。
にもかかわらず。誰も見てくれない、なんてことを言ってしまうのがヒト。わたしも言います、言いました。
でもそれは、自分に対する甘えであり、言い訳であることに。いつかは気づかなくてはなりません。
誰かが必ず読んでくれていると、認めることからはじめましょう。その誰かのために、いつだって懸命に言葉を綴りましょう。
誰にも読まれないから、この程度の記事で良い? とりあえず書いておけば良い? もっと読まれるようになったらがんばろう、良い記事を書こう?
書けるわけがない。いま居るはずの目の前のひとりを大切に思い記事が書けないのであれば、いつまでたっても良い記事なんて書けるわけがないのです。
己の足らざるを知る
ちょっとエラそうに話をしておりますが。これはわたし自身に対する戒めでもあります。もともとは「我が身から出たサビ」に対する教訓でもあります。
なんだよ、ブルータスおまえもか! 的なハナシです。それはそれとして、2つめの話をいたしましょうか。
さきほど、「誰にも読まれない」なんてことは無い。そう言いました。誰かには読まれているはずだ、と言いました。
けれども、それと「読者が増える」ことはまた別です。もしも「誰にも読まれない=読者が増えない」ということなのであれば。それはある、おおいにありえます。
では。誰かの眼には触れているのに、なぜ読者は増えないのか?
言うまでもありませんが、その記事がダメだからです。ダメだ、なんていう表現もきびしいですが。イイか、ダメかで言えば、やはりダメなんです。
ツラいことではあるけれど、「ダメだから読者が増えないんだ」と自覚をしなければいけない。それが現実です。
時代がまだオレに追いついていないだけさ、なんて思っているようではいけません。思ってない? そうですか。僕は3秒間くらいなら思ったことがあります。反省します。
話が逸れました。読者が増えないことを悩むのであれば、ダメだと自覚し。ダメなところを直すことです。
ちなみに、ダメなところを直すための教材には事欠きません。ブログの世界には、たくさんの猛者が日々良質な記事を量産しているのです。それを見ていれば気づきます。
あぁ、足りんなぁ。オレには圧倒的に足りんなぁ・・・ということがわかります。
- 物事に対する視点
- 将来を読み取る視力
- 読者の考え、状況を理解するための想像力
- 言い回し、語彙力、文章力 などなど
必要なのに足りていないものが見えてきます。あとは、コツコツ努力をするだけです。
足らざるを知り、足るように努力をしながら、ひたすらブログを書き続けるしかありません。昨日までの自分をちょっとずつ超えていきましょう。
猛者に近づき、超えていくためにはそれしかありません。
なんかやってやろう、という野心に応える
つい先ほど、「猛者に近づき、超えていく」と書きました。
いやいやいや、近づくことはできても超えていくなんてとてもとても。と、かつてはわたしも思っていました。謙遜。自己卑下。
でもそれは「逃げ」、ですよね? ダメだったときの自分を許すための逃げにほかならない。
だから、「ムリムリ、あの人を超えるだなんて」ということになるわけですが。
ここであえて、自分の心の奥底に向けて、もっと耳を傾けてみる必要があります。そこにはきっとあるはずです。
ほんとうは「なんかやってやろう」「いつかやってやろう」という声が。これを言葉として言い表すのであれば、「野心」です。
謙遜や自己卑下というのは表層的なものであって、深層には「野心」があるものなのではないでしょうか。
野心などと言うと、卑しい響きもあるのかもしれませんが。ヒトが上昇するには、大事なモノのひとつだとわたしは考えています。
だからその野心を深層から引きずり出してやる。そして、なんかやってやるための行動、いつかやってやるための行動の原動力にする。というのはどうでしょう?
怠けそうになる気持ちをグッと抑えて、野心で行動するのです。
ところで先日、わたしは当ブログのレンタルサーバを変更しました。サーバ変更という「ブログのお引越し」は、わたしの知識・能力では手に余るものでしたがやりました。
その理由のひとつに「読者が増えたときのサーバエラーを回避するため」というものがあります。読者をもっと増やしてやるぞ、という野心の現れでもあります。
実際、いますぐ変更しなければいけないほどの読者数でもないんですけどね。だから緊急性は無いにもかかわらずやりました。
これを「バカだなぁ」と笑われても、思れても文句は言えませんが。本人のほうとしては、いたってマジメであり本気です。
猛者を超えてやろうというくらいの気概と行動でなければ、近づくことすらできないだろう。離されていくばかりだろうと、いつも怯えてもいるのです。
そんな「野心」や「怖れ」と正直に向き合って、ブログへの迷いを断ち切っていく。そんなやり方もあるはずです。逃げてはいけません。
まとめ
「誰にも読まれないブログ」という迷いに決着をつける、3つの考え方についてお話してきました。
話をしておきながらナンですが。わたし自身が、その迷いから完璧に抜け出したわけではありません。
閲覧者数は時間とともに増えていきますが、こんどは「思っているほど、願っているほど」たくさんの人には読まれないものだなぁ、と思い始めるものです。
抜け出したと思ったら、迷い込み。またちょっと抜け出しては迷い込み・・・そんなことの繰り返しでもあります。
だから、長い目で眺めてみると、「ずっと迷っている」とも言えます(笑)
けれどもそのときに。お話した「3つの考え方」を拠り所にして、なんとかここまで進んでくることができました。
ブログを継続するのにはある種の難しさがたしかにあります。「3つの考え方」が、それを乗り越えていくにあたってのヒントになれば幸いです。
わたしもまた、迷いながら明日もブログを書いていきます。まだ見ぬところまで、行けるところまで。
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きょうの執筆後記
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