難しいとされる「ブログの継続」について、そのコツをひとつ挙げるのであればズバリこれ。
あきらめ続けること。
ブログを書き続けるには、日々あきらめ続けることです。
あきらめるから書ける、あきらめなければ書けない
ブログを続けるのは難しい、という話をよく耳にします。
かく言うわたしも四苦八苦しながらここまで書き続けてきた一人ですから、その話にはただただうなずくばかりです。うん、うん、わかるわかる。
それでもなんとかかんとか、きょうまで509日間、毎日ブログを続けてきて。ブログを続けるコツをひとつ挙げるとしたら、こう言います。
ブログを書き続けるコツは「あきらめ続ける」ことです。
あきらめ続けることです、なんて言うと、まるで神の啓示のごとく聞こえなくもありませんが。それほどありがたいお言葉でないことは文字ヅラでわかるでしょう。
「あきらめる」って・・・ねぇ。という話です。「あきらめる」だなんて、ネガティブでさえあります。
けれども。そこには、まったくのゼロからブログの世界に飛び込んだ人間(←わたしです)の本音でもあり。
それでもきょうまで来ることができたという点では、いくらかの教訓も含まれてはいるだろうということで。わざわざ言葉にしてみたしだいです。では、もう一度。
ブログを続けるコツは「あきらめ続ける」ことです。
あきらめているからきょうも書けるし、あきらめることができなければあすは書けなくなる。そういうこと。
あきらめなければいけないことだらけ
ブログをはじめる多くのヒトが、「不特定多数の人間に向けた文章なんぞ書いたことないわ」という状況なのではないかと推測します。わたしもその一人でした。
そのような状況のなかでブログを書いていると、次のような悩みを抱え、ブログ中断(あるいは断念)の誘惑にかられます。
- 文章の書き方がよくわからない
- 文章がへたくそだ・・・
- ネタがおもしろくないように思う
- だれでも知っているようなことを書いているだけかも・・・
上記のような悩みを抱えた結果、なんだかブログを書く手が進まない、というようなことが起こります。
さらに深刻化すると、「もっと文章の勉強をしてからあらためて」「もっと良いネタをストックしてからあらためて」との考えから、ブログを中断してしまうことさえある。
自慢ではありませんが、わたしも一度、中断(断念?)しかけたことがあります。さっぱり自慢にならない。
では、いちど中断すれば、文章はもっとうまく書けるのか、もっと良いネタは集まるのかというと。そんなことはないだろうというのが、509日間ブログを書き続けたいま思うことです。
だっていまでさえ、さきほど挙げたこととまったく同じ悩みを抱えているんですから。
- 文章の書き方がよくわからない
- 文章がへたくそだ・・・
- ネタがおもしろくないように思う
- だれでも知っているようなことを書いているだけかも・・・
まったくおんなじ。変わってない。
もちろん、500日も書いていれば、達人のようにスラスラ書けるという人もいるのでしょう。それは素晴らしいことであり、すごいなぁと尊敬するばかりです。でもボクはちがう。
で、やってきたことが何かというと、これらの悩みを「あきらめる」ことだったわけです。つまり、
- 文章の書き方なんてよくわからない、とあきらめる
- 文章はへたくそなんだ、とあきらめる
- ネタがおもしろくない、かもしれないけれどあきらめる
- だれでも知っているようなことを書いている、かもしれないけれどあきらめる
悩みにこだわって書くことを停滞させるよりも、「いまの僕にはムリだ」といったんあきらめて。ひとまず、いまの僕のまま書くことしかないなぁ、と開き直っている毎日です。
あきらめることと停滞はちがう
500日もブログを書いているのに悩みが変わっていないだなんて。無成長もはなはだしい、停滞だ! と言うならちょっと違う。
なぜなら、500日前に書いたブログ記事と、昨日書いたブログ記事。その質はあきらかに異なるからです。あきらかに成長をしている。うまくなっている(自己評価だけど)。
もしかして、「500日も書いているのだから当然だろう」って言います?
そう、そこがポイント。500日書き続けたから成長できたのです。きのうのダメな自分をあきらめて、きょうはまた開き直った自分だったからこそ、500日のあいだに成長できた。
言うなれば、「あきらめる勇気」とでも言いましょうか。あぁ、なんか急に安っぽくなってしまった。うまいこと言おうと思うと、なかなかうまくいきませんね。
それはそれとして。ダメな自分をあきらめられず、ストイックに毎日うんうん唸ってばかりであったらどうなのか? 成長できなかったような気がする(根拠はないけれど)。
野球選手であればバットを振れよ、と思うわけです。なんで急に野球選手が出てきたかは聞かないでください。ただのイメージです。たとえばバナシです。
いつまでもバットを振らずに、野球の解説書を読んでいてもしかたない。素振りばかりしていてもしかたない。いい加減、打席に立ってバット振れよ! って話です。
結果、空振り三振だっていいじゃない。そこから足らざるを知り、悔しい思いをし、恥ずかしい思いもし。それらを糧にヒトは努力を繰り返すものなんじゃないの、って思うわけです。雑ですが。
だからもう、毎日ブログを書いては後悔すらしています。他人のブログを読んでは感心し、それに引き換え自分は・・・ 空振り三振~! みたいな。
あきらめられるのも実力のうち
それなら、日々あきらめてばかりいるわたしはダメなやつか、恥ずかしいやつか、というと。わたし自身はそんなことを考えていません。
むしろ、すごい、がんばっているに一票。ちなみに賛成票を募集中です。
なぜ、すごいのか。「あきらめられる」ということは、自分の身のほどを理解しているということでもあるからです。分(ぶ)をわきまえている。
これがもしも。うまく書けているなぁ、なんの悩みもないなぁ、なんてことになってくると。それはそれでどうなのよ、と思うわけです。
それって自分に甘くない? あるいは、ラクしてない? 自己満足になってない? 過大評価になってない?
もちろん、ほんとうに能力があって、悩みがない人もいるのかもしれないけれど。それでも、さらなる高みを目指すなら。やはり、いまの自分に満足することはないでしょう。
そう考えると、オレってダメだなぁと認識できる、分をわきまえるのも実力のうち。だから、「あきらめる」はネガティブじゃないんだぜ。ぜんぜん。
七転び八起きが、本物の「あきらめる」
あきらめる、についてもう少し。
ついさっき、「あきらめる」はネガティブじゃない、と言いました。ただし、前提条件付き。あきらめたまま終わらない、という前提条件。
あたりまえです。あきらめてあきらめっぱなしでは、やっぱりただのダメな人でしかないわけで。
冒頭、ブログを書き続けるコツは「あきらめ続ける」ことです、とは言ってみたものの、前提条件は隠れていたのでした。サギっぽいけど。
だからわたしも、ただただ毎日あきらめているわけじゃない。空振り三振なきのうでも、きょうはまたパソコンに向かってキーボードをたたいてみる。カタカタカタ。
さきほどからたいした意味もなく、野球を引き合いに出しています。野球ついでに、元プロ野球選手の古田敦也さんの名言を引用させていただきます。
このとりとめのない駄文を、古田敦也さんにバシッと締めていただこうという魂胆です。なんの面識もありませんが恐れ入ります。
「反省することは反省する。でも一度寝
たら忘れる。」 / 元プロ野球選手・古田敦也 氏
あなたがもしも、ブログを続けることを迷っているのなら。「あきらめる」ことからはじめてみませんか?
************
きょうの執筆後記
************
ブログには書けない・書きにくいことその他。きょうの「執筆後記」は毎日メルマガでお届け中です。
よろしければメルマガ(無料)をご登録ください! → 登録はこちらから