もしもあなたが、ほかの誰かに、何かを伝えるための文章を書くのなら。
短い言葉で、かつ、言い切る。
それが、伝わる文章を書くにあたってのコツです。
「長い言葉」で「言い切らない」文章では伝わらない
ここ1年5か月ほど、毎日ブログ記事を書き続けています。365日休まず書き続けております、えっへん(自己満足的な自慢なので聞き流してください)。
また、ほかのブロガーさんによって書かれた記事を、やはり毎日読み続けています。
記事を書いて、記事を読む。また記事を書く、の繰り返し。
普通よりはちょっとばかり文章に触れる機会が多い生活の中で、経験的に知った伝わる文章を書くコツが「短い言葉」で「言い切る」です。
誰かに何かを伝えることができる、相手にきちんと伝わり、動かすことができる文章の共通点。それが、「短い言葉」で「言い切る」でした。
これは、なにもブログ記事に限ったことではありません。あんな人に、こんなことが伝わりますように、という目的で書く文章は誰の身近にもあるものです。
手紙やメールにSNS。仕事上で不可欠なビジネス文書など。いろいろです。
というわけで。きちんと伝わる文章を書くために、「短い言葉」で「言い切る」のコツについてをお話していきます。
文章全体の問題を解決するのが「短い言葉」
きちんと伝わる文章のコツとして、まずは「短い言葉」のお話から。
伝わりにくい「長い言葉」を見てみよう
伝わる文章のコツである「短い言葉」の逆、「長い言葉」の例でお話をしていくことにします。反面教師です。
「長い言葉」で、文章の読み手としては「なんだかようわからんなぁ」となりがちな文章たちがこれです ↓
【 伝わりにくい「長い言葉」 】
- 厳密に過ぎる
- 注意書きが過ぎる
- 余談が過ぎる
これらは、文章の一文一文のことというよりは、文章全体にかかわることです。
ひとことで言うならば、「文章全体が冗長」であるということ。長ったらしく、ムダが多いなぁという文章。
その冗長の原因が、上記の3つ、「厳密に過ぎる」「注意書きが過ぎる」「余談が過ぎる」です。
このあと、それぞれ順番に見ていきましょう。
厳密に過ぎる
内容の正確性にこだわるあまり、厳密に書き過ぎれば文章は長くなります。伝わりにくくなります。
たとえば。わたしが税金や経理のことについてブログ記事を書くときには、厳密に書き過ぎないように気を付けています。
正しく書こうとし過ぎると、その説明にはもっと多くの文字数が必要になってしまう。文字数が増えるほど、読み手には負担感が増すばかり。
ですから、わかりやすさを重視し、厳密さは省いた(誤解が生じない程度に)やさしい表現をとる。場合によっては、誇張もします。
こんなことをするのは、記事の読み手「税金・経理の専門家ではない人」を想定しているからです。専門家でもなければ、微に入り細を穿つような厳密さは必要ないことがほとんどだからです。
それよりも、わかりやすく、できれば楽しく読んで欲しい。それが書き手であるわたしの想い。
厳密さ自体が悪なのではなく、厳密さが必要かどうかは、文章を書く目的と相手しだい。というのが大事なところです。不必要な厳密さで文章が長くなっていないか、を自問してみましょう。
注意書きが過ぎる
さきほどの「厳密さ」に近いところなのですが、注意書きが多過ぎる文章も要注意です。
「ただし、・・・」「例外として、・・・」のような注意書き的な話が多くなると、当然に文章は長くなります。注意書きに気がそがれ、大事なところが伝わりにくくなる。
たとえば、わたしの場合。税金の記事を書くときに、税法の細かなところにまで触れすぎる。非常にレアケースである「ただし」についても書いてしてしまう。ありがちです。
そこを書かなかったばかりに、「不正確じゃないかっ!」とのクレームを恐れてのことだったりします。職業病ですねぇ、そんなことを言うのは同業の税理士くらいなはずなのに。
わたしが書く税金の記事の読み手は「税理士」を想定していません。「税金のことがよくわからずに困っている人」が想定です。
そのような人に向かって、はじめからレアケースを語るのは「聞き手の負担」でしかない。そう考えて、出来るかぎり余計な注意書きはしないぞ、と心がけております。
注意書きもまた、それ自体が悪ではありませんが。注意書きの重要性と起こりうる頻度とを考慮して、書くか書かぬかを考えましょう。
余談が過ぎる
余談、つまり、ムダ話ですね。お話し好きな人は要注意、といったところです。
たとえば。あるラーメン屋さんのラーメンのおいしさを紹介をしている記事を書いているとして。
途中、「ラーメン屋と言えば、うちの近所のラーメン屋のご主人がムダにイケメンで・・・」なんて話はまさにムダ。読み手としては「知らんがな!」ということになるわけです。
意外とあるんですねぇ、こういうの。わたしもよくやります(笑)
笑っている場合じゃないですね。でもまぁ、余談もまたまたそれ自体が悪ではありません。余談は、書き手の個性の表れであったり、話の潤滑油的な役割もあるでしょう。
余談だとわかっていてあえて文章にしているのか、狙って文章にしているのかどうか、その意識が重要です。無意識の余談はムダ話になりかねません。
文章ひとつひとつの問題を解決するのが「言い切る」
きちんと伝わる文章のコツとしてもうひとつ、「言い切る」のお話。
伝わりにくい「言い切らない」を見てみよう
「短い言葉」でのコツは、文章全体にかかわる問題を解決するものだという話をしました。
こんどは、文章のひとつひとつ、一文一文にかかわる問題を解決する「言い切る」というコツについてです。
こちらも反面教師で、「言い切らない」文章を見ていくことにしましょう。
言い切らない文章というのは、どうしても読み手の心に届きづらく、伝わりにくい文章になりがちです ↓
【 伝わりにくい「言い切らない」 その1 】
- ・・・だと思います。
- ・・・かもしれません。
- ・・・のような気がします。
- おそらく・・・でしょう。
【 伝わりにくい「言い切らない」 その2 】
- ・・・だと言われています。
- ・・・と考えられています。
- ・・・というのが一般的です。
上記のとおり、大きく分けて、「その1」と「その2」があります。
このあと、それぞれ順番に見ていきましょう。
伝わりにくい「言い切らない」 その1
さきほど列挙した、「・・・だと思います。」「・・・かもしれません。」「・・・のような気がします。」「おそらく・・・でしょう。」。
これらの文章は、書き手の「あいまいさ」に起因するものです。断言できない、言い切れない、そんなときに出てくる言葉です。
他人が書く文章を注意深く見ていると、実によく、これらの表現が使われていることに気づきます。
それがブログ記事だったりしますと、「思う、思う、ってだいじょうぶかいな」「おそらく、ってそんな無責任な!」と感じるのが読み手です。
いっぽうで書き手には悪気はなく、むしろ、ウソを言ってはいけないという誠実さだったりもするのですが。読み手はそうは感じない、ということです。
ですから。文章を他人に向けて書くのであれば。自分の言葉に責任を持ち、言い切るという自信を持たなければいけない。
言い換えるのであれば、言い切ることができないようなら文章に書くな! と多くの先人もまた言っております。
とここで、「先人も言っております」などという人任せな表現も、伝わりにくい文章のひとつです。続いてその2を見てみましょう。
伝わりにくい「言い切らない」 その2
その2は、「・・・だと言われています。」「・・・と考えられています。」「・・・というのが一般的です。」のような文章です。
いずれも、自分の発言を誰かのせいにするような物言いです。さきほど、わたしが使った「・・・と先人も言っています」も似たようなところがあります。
一般論や世間の考え方を提示するために使うのであれば良いのですが、そうでもないのに使ってしまうことがあります。
どうしてそんな使い方をしてしまうのかと言えば、自信がないから、ですよね。自分の言葉として言い切るには不安。そういうときに思わず使ってしまう言葉たちです。
ほんとうに一般論や世間の考え方を伝えたくて使った表現なのか、自分の自信を隠すために使った表現なのかに注意が必要です。
いずれにしても多用しすぎると、「この人には自分の意見がないのだろうか?」という見方をされてしまいますから気をつけましょう。
まとめ
「短い言葉」で「言い切る」のが伝わる文章のコツ、についてお話をしてきました。
「短い言葉」「言い切る」の反対として、「長い言葉」「言い切らない」文章にも触れました。
自分の文章はどうかな? というチェックに使ってみましょう。意外とクセで使っている文章もあるものです。
文章は「クセづけ」で変わります。チェックを繰り返すことで、クセを変えていきましょう。
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きょうの執筆後記
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