” じぶんのスマホが欲しい ”
そうか、ついにこのときが来てしまったか… というほど大げさなものではないけれど。子どもの初スマホに対する親心は複雑です。ということで娘と交わした7つの約束について。
子どもの初スマホ願望と親心
先日、無事に小学校を卒業したわが家の娘いわく。
” じぶんのスマホが欲しい ”
それを聞き、「そうか、ついにこのときが来たか…」と思いましたよ、わたしは。
と、まるで娘が嫁に行くかのごとき反応ではありますが。「じぶんのスマホ=自立」という等式をイメージせずにはいられなかったのですね。
参考までに付け加えると、周囲のお友だちのスマホ所持率は相当に高いようで(独自調べ・約70%)。その「環境」が、娘の「自立心」を後押しした、ということもあるのでしょう。
いずれにせよ。わが娘は、「じぶんのスマホが欲しい」と主張をしているわけです。
これを「まだ早い!」と切って捨てるのも親心(ちまたにあふれる各種のトラブル事例は心配でしかない…)。
また、芽生えた自立心を尊重し、見守っていくのも親心(つまり、初スマホを容認する)。
さぁ、どうするオレ? ということで、下した結論は後者。娘の自立心を尊重し、見守っていこうじゃないか、と。
あえて文書にして「約束を交わす」ということ
あとは「はい、どうぞ」と、スマホを買って渡すだけ。カンタンなことです。
けれどもその前に。初スマホを通じて、娘と約束を交わすことにしました。妻とも話をしながら考えた7つの約束。
初スマホはOK、でも、お父さん・お母さんと「おやくそく」をできるかな? できるのなら、ここにサインを… と娘に持ちかけました。
「持ちかける」ってアンタ、なんかそれ、アヤしくない? 悪魔の誓約書のようにズルくない? みたいなことではありますが。
わたしは決して、親が娘を縛る目的で約束をしたかったわけではありません。
目的は、娘が、じぶん自身と約束をできる人になれるように。その約束をじぶんのチカラで守れる人になれるように。その機会を持つことでした。
これを娘の初スマホ願望に事寄せて、「これ幸い」と約束ごとを持ちかけたわけです。って、だから言い方。ほかに言い方あるだろって。
それはそれとして。娘と交わした7つの約束がこちらです ↓
- 四六時中、スマホを見ているような使い方はしません
- 勉強のときなど、集中しなければいけないときには「通知OFF」にします
- LINEなどを使って、お友達の悪口を言う・同調する発言はしません
- 実際に会ったことがない人とは交流しません
知らない人がいるグループには入りません - お父さん・お母さんに見られて困るようなことはしません
(お父さん・お母さんにスマホを見せて、と言われたら見せることができます) - スマホをだいじに使います
(壊した・失くしたときには、じぶんのお金で対応します) - 1.から6.のおやくそくを守らなかった場合、
スマホを没収・解約されることに同意します
このあと、上記7つの約束それぞれに託した親心について、お話することにしてみます。
娘と交わした7つの約束に託した親心とは
複雑な表情を浮かべつつも、文書にされた「おやくそく」を読み、そこにサインをした娘。
まだ理解をしてはいないであろう、7つの約束に託された親の想いとは。
《約束①》四六時中、スマホを見ているような使い方はしません
スマホ中毒、スマホ依存、というのはよろしくありません。これについて、特に異論はないことでしょう。
では、利用時間を具体的に制限してみるか? スマホをいじっていいのは「◯時から◯時まで」とか。「1日◯時間まで」とか。
それもひとつの方法ですが、根本的な解決にはなりません。親の監視・制限を受けているに過ぎません。
そうではなく。とりあえずスマホ、なんとなくスマホ、という「時間のムダ」があることに、自ら気づいてほしい。
どういうスマホの使い方が自分にとってのムダになるのか、気がついて欲しいと考えています。
《約束②》勉強のときなど、集中しなければいけないときには「通知OFF」にします
これは《約束①》の延長です。ムダに気がついたのであれば、それを自制する術(すべ)を身に付けてほしい。
勉強するときの「通知OFF」は、ひとつの具体例として提示をしたつもりです。
かく言うわたしも、スマホにはだいぶ気を削がれてきました。集中すべきときに、さまざまな「通知」によって集中を欠いてきました。
その反省から、いまはほぼすべての音声・バイブ通知をOFFにしています。自分の意思でスマホの画面を見なければ、通知には気づかないようにしています。
これを娘に強制するつもりはありませんが。集中すべきときに集中するためには、便利そうなもの(リアルタイム通知)を捨てることも方法である。と知ってほしいのです。
《約束③》LINEなどを使って、お友達の悪口を言う・同調する発言はしません
LINEなどSNSを通じた「いじめ」があります。エスカレートしたいじめの事例は聞くに堪えない、恐ろしいものも少なくありません。
親としては心配でしかない。じゃあ、LINE禁止。というのも、ひとつの方法ではあります。
しかし、いじめはLINEが問題なのではないわけで。いじめにいたる過程のほうに問題があるわけです。
その「過程の問題」のもっとも大きな例として、「悪口を言う・悪口に同調する」というものを挙げてみました。
LINEがきっかけでいじめ。じゃあ、LINEはよくないからダメ。というようなコインの裏返しで終わらせるような思考をしないように。本質を見極める目を持って欲しい、との想いです。
《約束④》実際に会ったことがない人とは交流しません、知らない人がいるグループには入りません
前述の《約束③》の延長です。いまにして思えば、ちょっと「やりすぎた」との後悔もあります。制限をし過ぎた、と。
娘がトラブルに巻き込まれることを恐れるあまり、思わず強い制限を付けてしまいました…
そのあたりの「線引き」を自分で身に付けてほしいというのが本音です。
実際に会ったことがない人とも交流ができることは、ITのメリットでもあるわけで。実際に会ったことがない人と交流すること自体が悪いわけではありません。
悪いのは、意図無く、無秩序に交流を広げることです。う〜ん、参ったな。ちょっと、約束の表現を誤った。折を見て、おやくそくの変更書を交わすか…
《約束⑤》お父さん・お母さんに見られて困るようなことはしません(お父さん・お母さんにスマホを見せて、と言われたら見せることができます)
実際に子どものスマホの内容について見るつもりはありません。知らないほうがよかった、ということもあるやも知れず。そういう考え方はよくないか。
いずれにせよ。プライベートなモノであるスマホについて、ほいほいと人に見せるほうが異常です。
じぶんのスマホを、誰かに見せてと言われたら。ちょっと躊躇しますよね。たとえ相手がじぶんの親だとしても、躊躇するという人は少なくないのではないでしょうか。わたしは… ごにょごにょ…
というわけで。この約束自体が「異常」であることにいつか気付いて欲しい、と考えています。
そして、「こんな約束おかしいよ。必要ないよ。」と親を納得させることができる娘になって欲しい。そういう想いです。
とはいえ、しばらくは親の牽制・監督も必要でしょう。そこはフィルタリングソフトの設定などで担保します。
《約束⑥》スマホをだいじに使います(壊した・失くしたときには、じぶんのお金で対応します)
なんかケチくさいなぁ、と思われるのでしょうか。えぇ、ケチでけっこう。別に開き直る必要もないのですけど。
このたびのスマホ購入費用、そして月額利用料は「親持ち」です。いわゆる格安スマホとはいえ、この先の固定費と考えると決してお安くはありません。
モノゴトにはおカネがつきもの。中学生にもなったら(という考えもどうかとは思うが)、経済観念を身につけてほしいと考えています。
小さいうちは「おカネがかかる」なんて気にしてもらわなくても結構ですが。大人になったら、それでは自分が困ります。
じぶんのスマホを壊した・失くしたら、そこで生じるおカネはじぶんで責任を取るんだ、ということを知ってほしい。
じぶんの失敗でふところを痛めるツラさも知ってほしいし、サイフのおカネが足りなければどうするか(親に借りる、ねだる?)のアタマも使ってほしい。
余談ですが、液晶ガラスがバキバキにひび割れたスマホを使っている若者がいると、微笑ましく見てしまいます。あぁ、なんかいろいろ戦っているのかな、と。
《約束⑦》1.から6.のおやくそくを守らなかった場合、スマホを没収・解約されることに同意します
さいごは、約束を守ることの大切さ。約束に対する覚悟です。
約束は他人とのあいだにだけ存在するわけではありません。他人との約束というカタチを通して、じぶん自身とも約束をしているわけです。
いっぽうで、じぶん自身とのあいだだけで交わす約束もあります。1日◯時間勉強するぞ、とか。毎日◯円貯金するぞ、とか。
いずれにせよ。世の中にあるあらゆる約束ごとは、じぶん自身との約束として存在しています。そして、約束は守られるために存在しています。
だから、安易に約束をしないこと。安易に破らないこと。約束には覚悟が必要であること。それを知ったうえで、他人ともじぶんとも約束をしてほしい。
エラそうに言っていますが、親こそ、大人こそ、気をつけなければいけません。つい先日も、息子に「パパが約束破った〜」と泣かれたような… これはいけません。
まとめ
娘・12歳と交わした7つの約束、についてお話をしてきました。
IT全盛、スマホはあたりまえの時代です。遅かれ早かれ、子どももじぶんのスマホ(あるいはそれに替わるもの)を使うことになるのでしょう。
であるならば、その「あたりまえのモノ」に早くから触れておくのも大事なことです。
触れてみてはじめて便利さを知り、いっぽうで危険があることも理解する。ITリテラシを身につけるのであれば、「経験」が必要です。
そう考えると、中学生で初スマホは「遅すぎた」とも言えます。そこに気付かされた娘の「じぶんのスマホが欲しい」発言。わたしのITリテラシもまだまだです。
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きょうの執筆後記
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