” なぜ、毎日更新するの?”
それはね。習慣になりやすいし、SEO的にもいいし、それにね… というのは聞き飽きた。ほんとうは書きたくなかった「ブログ毎日更新」の裏理由についてお話をします。
ほんとうは書きたくなかった「ブログ毎日更新」の裏理由
ブログの「毎日更新」をはじめてから、まもなく800日を迎えようとしています(2018年6月24日現在)。
すると、「なぜ毎日更新なんですか? 」というご質問をいただくことがあります。「毎日更新の理由」を尋ねられているわけです。
これについて、「ありてい」に答えるならば、
- 習慣として身につきやすい(ハミガキといっしょ)
- SEO的にいい(とも言われている)
- 生活のリズムがよくなる(ブログ執筆がペースメーカになる)
- ネタづくりのために「チャレンジ」が増える(挑戦なくして成功なし)
- メンタルが鍛えられる(毎日はタイヘン)
- 自信になる(毎日書いてる俺スゲー、みたいな)
などが挙げられます。よく聞くハナシでもあるし、わたし自身もそのように感じるところです。
ただ、これとは別に。あまり「オモテ」には出てこない理由もあったりします。「ウラ」の理由、とでも言いますか。
しいて言わずとも、というモノではあるけれど。「毎日更新」を考えている・悩んでいるというあなたには、もしかして参考になったりするのだろうか。という思いで挙げてみます ↓
- いちど途切れたら二度と書けない気がする
- 引くに引けない
- 「苦しい」が気持ちイイ
それでは、このあと順番に見ていきましょう。
《裏理由①》いちど途切れたら二度と書けない気がする
やめることを考えながらブログをはじめる、という人はあまりいないのではないかと推測します。
どちらかといえば、「ずっと続けていきたいな」という考えでブログをはじめるものではないでしょうか。わたしもそうでした。
そして、これまで 800日近く書き続けてきて思うのは、「いちど途切れたら、もう二度と書けない気がする」ということです。
きょう書けなければ、あした書けない気がする。あさっても書けないかもしれない。そのつぎの日はもっと書けない、でも、まいっか… という「弱いじぶん」を知っています。
ですからそもそも、「ときどき書く(それを続ける)」のは、「毎日書く」以上に難儀なことだと思うわけです。
もちろん。毎日でなくとも、長きにわたってブログを続けているという人はたくさんいることでしょう。わたしに言わせれば「強いヒト」。
理屈で言うのであれば。ブログを書くということについて、明確な目的を持っている限り、きょう書けないことを理由にあす以降も書けないということはないはずです。
でもさぁ、と弱音を吐くのであれば。そんなに理屈ばかりで割り切れるものでもないでしょう。強いヒトばかりではありません。
目的に疑念を抱くときもあれば、目的を見失う日だってあるんじゃないの? まぁ、わたしの実体験なんですけれど。
それでも「毎日書く」だったからこそ、なにはともあれ書き続けてきました。迷いながらも書き続けてきました。
結果として、あたらしい仕事やあたらしい出会い、という成果がいま現在増え続けています。
でも、もし途中でブログをやめてしまっていたら? いまのじぶんはありません。いまの状況はありません。ほんとうに。
だから言えること。それは、「弱いじぶん」を自覚する人ほど、「毎日更新」がおすすめだということ。そして、毎日書きつづけるための算段もしておきましょう ↓
《裏理由②》引くに引けない
わたし、ブログ毎日更新してますから。などと言っている(書いている)と、「引くに引けない」というところがあります。
そのあたりの「抜き差しならない」カンジは、毎日更新が続けば続くほどに高まるものです。
いまで言えば。800日も毎日更新しておいて、いまさらそれをやめるってどうなのよ… みたいな気持ち(もっと続いているヒトはどうなのだろうか?)。
対する周囲はといえば、それほどなにも思っていないのかもしれません。きっとそうでしょう。ただそれでも、本人(わたし)はいまさら引くに引けるかよっ、と感じるわけです。
と、こういうハナシをしていると。それってもう、毎日更新することが目的になっちゃてる(行為の目的化)じゃん! とお叱りを受けることになるのでしょう。
けれども。正直、行為が目的化した時期もあるわたしからすれば、「いいじゃん別に。」という思いがあります。
なぜなら、前述したとおり、続けようと思ってはじめたブログは「続けた者勝ち」だからです。続けた先にしか、成果はないからです。
正論(行為の目的化)を気にしすぎるあまり、じぶんにとってだいじだったからはじめたはずのブログをやめてしまったら、元も子もありません。
たしかに、長い目で見れば「目的」はあってしかるべきです。いっぽうで、長いあいだにはいろいろあります。正論や目的にかまっている余裕がないことだってあります(実際にありましたし)。
というわけで。あえて「毎日更新」を公言する。そして、引くに引けない負けん気で書いてみる。「負けず嫌いな人(わたし)」や「世間体を気にする人(わたし)」にはおすすめです。
《裏理由③》「苦しい」が気持ちイイ
こんなことを言うと誤解をされそうですが。「苦しい」ことほど心地いい、と感じます。
まぁ、ヒきますわね、そんなことを言われたら。でも、ありませんか? ツラいことをやり遂げたときの達成感。そういうことです。
要は、過程(途中)を捉えるか、結果を捉えるかの違いであって。意外とみんな、苦しいことが好きなはずなんだけど。違いますか、そうですか。
けれどももし、われこそは「苦しいモノ好き」という人がいるのであれば。ぜひとも、毎日更新に挑まれることをおすすめします。
そりゃあもう、苦しいですから。ゴールのないマラソンを、ゴールしたときの達成感のイメージだけで走り続けるようなもんです。
わたしも「毎日更新なんて苦行だ、苦行だ」と言いながらも続けているのですから、相当な「苦しいモノ好き」だということでしょう。それを世間では「M」と呼びます。
それはそれとして。若いうちの苦労は買ってでもしろ、の言葉があります。43歳にもなって、「若いうち」もなにもないだろう、ということかもしれませんが。
それでも、言葉の本質を考えれば、年齢にそれほどの意味はないでしょう。苦労の先には、チャンスや成功(いちぶに失敗も混じるが)が待っている。だから苦労をせよ、と。
ブログの毎日更新が苦労であるならば。その苦労が、だれもが嫌がるほどの苦労であるならば。それはそれは大きなチャンスや成功が待っているかもしれません。ヨコシマですが。
とはいえ、だいじなブログを継続する原動力になるならば、そんなヨコシマな想いもまた悪くはないでしょう。Mだろうとヨコシマだろうと、まずは走り続けることです。
まとめ
ほんとうは書きたくなかった「ブログ毎日更新」の裏理由についてお話をしてきました。
ややもすると「後ろ向き」な理由であったとしても、それがじぶんに合っていて、ブログを続けることができるのであればアリでしょう。
もちろん、いつもいつも後ろ向きというのでは困りますが、長く続けていればいろいろあるのが人生ですし、弱さがあるのもまたヒトです。
なんて、好き勝手にエラそうなことばかりを言ってはおりますが。わたし自身を含め、ブログを書く多くの人が、じぶんにとってだいじなはずのブログを続けられますように、と。
ただそれだけを思い、書いてみました。きょうもまた、ブログを書いていきましょう。
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きょうの執筆後記
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