銀行員はもちろん、銀行員でなくとも。万人共通の金言が満載の一冊、『銀行業務改善隻語/一瀬粂吉さん・著』をレビューします。
すべての道は銀行に通ずるかのごとく。
多くの銀行員が座右の書に挙げると言われている『銀行業務改善隻語』↓
わたしは銀行員ではありませんが、税理士として銀行融資に積極的に関わる仕事をしていることもあり、本書を一読してみました。
結論。銀行員でなくとも、一読の価値あり。なぜなら、銀行に限らず、あらゆる「人」や「組織」に共通する「金言」が満載だからです。
『銀行業務改善隻語』の名のとおり、銀行業務に関することが中心ではありますが。人の生き方や考え方、立ち居振る舞いについて。上司や役職者、組織のありかたについてなどは、万人共通と言ってよいでしょう。
そんな「万人共通の金言」を引用しながら、本書について感じたことをお話してみることにします。
その前に、ごくごくカンタンに本書の解説をしておくと。
昭和2年の金融恐慌直後、のちの三和銀行・取締役となる一瀬粂吉(いちのせくめきち)さんが、金融業界に対する「戒め」の言葉をまとめた一冊です。
本書タイトルに含まれる「隻語(せきご)」とは、「ちょっとした言葉」を意味します。「ちょっとした言葉=短い文章」を集めて構成されていますから、少しずつ読み進められるのも特徴です。
時代も時代、もともとは文語調で書かれていたのですが、現代語訳されたことで「読みやすくなりました!」との触れ込みどおり。当時の格調高さをそのままに、苦なく読み通すことができます。
時代が変わっても「だいじなもの」は変わらない
まずは『銀行業務改善隻語』の第一章、「経営者と人の和」をテーマにした隻語のなかからの引用です ↓
十九.…(中略)… 至誠(しせい)は万世不朽(ばんせいふきゅう)の人道である。
一見すると、なんのこっちゃ? という感じもしますが。難しい言葉には、本書のなかにきちんと注釈がついていますからだいじょうぶ。
それによれば、「至誠」とは、きわめて誠実なこと。「万世不朽」とは、永遠に滅びないこと。つまり、誠実さが大切だ、と。
そんな当たり前のことを… とは感じませんでした。感じたのは「だいじなもの」はいつの時代も変わらないということです。
いまはとくに変化が激しい時代にあるようで、ともすれば「価値観」までもが変化をしているように感じます。
けれども。「誠実さ」のように、人がそもそものはじめから守ってきた価値観までは変わらないし、変えてはいけない。
ブレてはならない価値観としての「誠実さ」、をあらためて知ることができる一文ではないでしょうか。
その「誠実さ(誠意)」に関連して、次のようにも書かれています ↓
二二.単に誠意があるに止まらず、…(中略)…、時運の進展に伴い、機敏に時勢を洞察する明るさを兼ね備え、…(中略)…、沈毅(ちんき)と果断(かだん)とをもって何事にも取り組み、奮って大機小機に当たるべきことは言うまでもない。
「沈毅」は落ち着いていること、「果断」は思い切りよく行うことです。つまり、変化を読んで物事にあたるべき。誠実に生きればいいというばかりでなく、変化には対応しなさいよ、と。
ただそれでも、前提はあくまで「誠実さ(誠意)」です。それを欠いて物事に当たれば、上っ面の対処・小手先の手段に終止をするばかり。
変化をするにも「誠実さ(誠意)」ありきであることが、「単に誠意があるに止まらず…」からは逆説的に読み取れるところでしょう。
誠実さをもってなお変化し続ける。言うは易く行うは難し…
それはそれとして。「誠実さ」と並んで変わらずだいじなものとして「正義」が挙げられます。その「正義」について、書かれているのがこちらです ↓
三九.…(中略)…。正義は永久不滅であって、たとえ形にあらわれなくとも、芳香は馥郁(ふくいく)とするものである。
「馥郁」とは、良い香りがすること。つまり、正義は香るものだ、と。
口では正しいことを言っているのだけど、なんとなくウサン臭い。って、ありますよね、そういうこと。たぶん、悪い香りがしているのでしょう。
いくら「正義」がだいじなものであっても、それが形ばかり(口先だけ、など)となればニセモノの役立たずであり、周りにも気づかれてしまうもの。
はたしてじぶんの香りはどのようか? 思わずみずからを香ってしまう一文でした。
正道を行くか、行かされるのか。
続いて『銀行業務改善隻語』の第一章、「フェアプレー、正々堂々の重要性」をテーマにした隻語のなかからの引用です ↓
六四.人が皆、東に向かったならば、我は適切に西を顧みるべきである。すなわち、何事もその反面を見る必要がある。
わりと「あまのじゃく」なところがあるわたし。その点で言えば、皆が「東」を見るならば「西」を見ます。
いっぽうで、「ことなかれ」なところもあるわたし。皆が「東」と言うなら「じゃあ東で…」が無きにしもあらずです。
そういうことではいけませんね、はい。しっかりとじぶんの「軸」をもって、東か西かを見なければ。
ひとまず「何事もその反面を見る」ことで、「ことなかれ」に待ったをかけることもできそうなので。「反面を見る」を指針のひとつに加えてみようと考えたしだいです。
と、ここで。ことなかれを選んで進む、というのは「正しい道」とは言えません。「正しい道(正道)を行く大切さ」をテーマにした第三章の隻語のなかから引用です ↓
五.そもそも正しい道を歩まないものは、いまだ天の咎めがないとしても、生涯のうちには必ず自滅の時期に至る。これは天則である。明治大帝の御製(ぎょせい)に「世の中にあやうきことはなかるべし、正しき道を踏みたがえずば」とある。
「天則」は、自然の法則。「明治大帝」は明治天皇、「御製」は詩文のことです。
悪いことをすると天罰がくだる、みたいな話がありますが。それとは似て非なることかと感じています。
「正しき道を踏みたがえずば」とあるように、正しい道を歩んでさえいれば危ういことも無い、という「正道を行く」ことへの積極性を感じるところです。
天罰がくだるからとか、人や法から責められるからとか。消極的に正道を選ぶのでは、「正道を行く」のではなく「正道を行かされている」のにほかなりません。
そもそも正道を行くことを選んでいるかどうか? う〜ん、どうでしょう。
流行りの健康法、廃れる健康法
『銀行業務改善隻語』では、人の「健康」にも触れられています。銀行業務などと言いながら、実に幅広い。第三章、「自然のなかでの健康」をテーマにした隻語のなかから引用です ↓
一八.ここで注意すべきことは、現代の健康法は、偏頗(へんぱ)的にして流行カブレの多いことである。…(中略)…。
「偏波」とは、かたよっていることを言います。
昭和2年でも令和のいまでも、「流行カブレ」の問題は変わらないようです。たとえば「〇〇ダイエット」なるものは、次々に生まれては消えていきます。
流行りに目を奪われると、流行りが終わったときには結局なにも残っていなかったりもする。いわゆる「本質」が見えていないからです。
エラそうに言っていますが、かく言うわたしも「あたらしもの好き」「珍しいもの好き」の一面はあります。だからこそ、教訓として引用をしたしだいです。
では、本質をとらえた健康とは? についても本書では触れられています。そのなかのひとつを引用です ↓
二四.ある人が健康の秘訣として言うのは、「怒るな、心配するな、感謝せよ、親切にせよ」ということだ。誰もが服膺(ふくよう)すべき価値がある言葉である。
「服膺」とは、心に止めて忘れないこと、です。
これは肉体の健康というよりは、精神の健康についてだと言えます。とはいえ、肉体と精神とはつながっていますから、両者欠かせぬ健康です。
そのうち精神の面で、「怒るな、心配するな、感謝せよ、親切にせよ」と。
1日の終わりに振り返ってみたときに。たった4つのことなのですが「不十分」であると言わざるをえない… のはわたしだけ?
健康法のひとつとして、毎日の振り返りのなかに加えることにいたします。
「振り返り」に関連して、さいごにもうひとつ。『銀行業務改善隻語』の第四章、「不平を言う者たちへ」をテーマにした隻語のなかから引用です ↓
二一.やっている事が志と違うということはある。志を抱いていてすら、なおそのようなのであるから、まして志を抱かず、日々目前の不平に囚われつつある者は言うまでもない。…(中略)…。
「アレがよくない、コレがよくない」と不平不満をグチるだけなのがよろしくないのは言うまでもありません。
ではどうするか? じぶんの「志」に照らしてみることかと考えています。じぶんがこうありたいと願う「志」と不平不満とを照らしてみれば、あいだにある「ギャップ」は見えてきます。
そのギャップを解消するためのあしたであれば、きょうグチるのも悪くはないかなと思ったり。
わたしは、じぶんの「志(リスト化した指針)」を黙読することを毎朝の習慣にしていますが、夜の振り返りでも、それをきょう1日の行動に照らしてみるのがいいですね。あなたもいかがでしょうか?
まとめ
一瀬粂吉さん・著の『銀行業務改善隻語』について。わたしが感じたことを、本書から「万人共通の金言」を引用しながらお話してきました。
人それぞれ立場が違えども、また時代が違えども。だいじなことに気づかせてくれるのは、不偏の真理であるがゆえでしょう。金言満載の一冊『銀行業務改善隻語』、ご興味あればぜひ。