いろいろあるのが人生。いろいろあって、行動するにも考えにも詰まってしまった… というときに。
「見方を変える」ことを示唆してくれる名言をご紹介していきます。
詰まったときほど柔らかく。
おもむろになんだよ? というハナシではありますが。毎日を生きていれば、いろいろあるのが人生です。
いろいろあるからこそ、行動するにも考えるにも「詰まってしまう」ことだってありますよね。わたしはあります。って、いばることではないけれど。
それはそれとして。どうにも詰まったときには、ひとまず「見方」を変えてみよう、と考えるようにしています。
なぜならば、詰まっているときほど、必要以上にアタマが固くなりがちだからです。アタマが固くなると、いわゆる「良いアイデア」も浮かびません。ますます思い悩んで行動もしづらくなります。ドツボにはまる、とはまさにこのことでしょう。
だから、詰まったときほどアタマは柔らかくしたほうがいい。そのために「見方を変える」という意識を持つように心がけているわけです。
ということで。昔からちょいちょいコレクションしている名言のなかから、「見方を変える」を示唆してくれる名言をご紹介していきます。
詰まったら見方を変えるべし!を示唆する名言7選
自分をダメだと思えば、その時点から自分はダメになる。
モハメド・アリさん/プロボクサー
落ち込んでいるとき、参っているときなどは、とかく「じぶんはダメだ…」と思いがちです。どうしても、ダメなところばかりが目についてしまう。
もしほんとうにダメだとしても。ダメだダメだと思いながらでは、行動もぎこちなくなるものです。ハタから見ると自信なさげで頼りなくも見えることでしょう。
これでは「良い流れ」をつくることが難しく、「悪い流れ」を引きずることになってしまいます。
そう考えると。ウソでもいいから、「じぶんはダメじゃない!」と思っておくのがよさそうです。「気の持ちよう」などとも言いますが、まずは流れを変えてみる、空気感を変えてみる。
もちろん、「ただの気の持ちよう」にならないように、別途「努力」は必要ですが。同じ努力をするでも、流れや空気感がよいに越したことはありませんよね。
自分の外側ではなく、内側におもしろいことを創るべきなのだろう。
若林正恭さん/お笑いタレント
上記は、最近読んだ「ナナメの夕暮れ」という本に書かれていた一節です。
おもしろく生きたい、なにかおもしろいものを見つけたいっ! というときに。まずは、じぶんが「どうありたいか?」がだいじなんじゃないの。と、じぶんは受け止めました。
どうありたいか? がわからずに「外」にばかり答えを求めても、ほんとうの答えは見つからない。いつになっても、ないものねだりをしながらさまよってしまう… というのはわたしにも経験があることです。
たとえば、〇〇がもっとあればいいのに、とか。〇〇さんがもっと△△であればいいのに、とか。外に答えを求めてしまう。
でも、だいたいにおいて、外はそうカンタンに変えられないんですよね。むしろ、外を変えるにはじぶん自身が変わる必要もあるんですよね。
ということを、もっと厳しく示唆するのが次の名言です ↓
私たちは、世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままの世界を見ているのであり、自分自身が条件づけされた状態で世界を見ているのである。
スティーブン・R・コヴィーさん/コンサルタント
上記は、ベストセラー「7つの習慣」に書かれている一節です。
つまり。じぶん自身が「正しい(あるいは、間違い)」と見ていることでも、それは「じぶんのフィルター」を通して見ているものに過ぎない。
フィルターを通して見ている以上、多かれ少なかれ「事実・現実」とは違っているのだから、じゅうぶんに気をつけなければいけない。と、わたしは解釈をしています。
詰まっているときほど、「じぶんのフィルター」に縛られる傾向がある。というのが、わたしの感じるところです。
ゆえに、じぶんの見方や考え方にこだわり過ぎていないか。実は見落としているところがないか、抜け落ちているところがないか? あらためて考えてみるのがよいでしょう。
常に時間はたっぷりある。うまく使いさえすれば。
ゲーテさん/詩人
時間が無いっ! と、詰まってしまうことがあります。昔ほどではありませんが、いまでもあります。わたしは。
でも、それは違うんじゃないの? ほんとうは時間があるはずなんじゃないの? と示唆してくれるのが、上記の名言です。
結局のところ、時間が無い状況を振り返ってみると。ほんとうはやらなくていいことや、ムダなことをやっているということが多少なりともあるわけで。
そういう不必要やムダの積み重ねで時間を失くしている、ということに気が付きます。じぶんのせいです。
たしかに、1日は24時間と決まっています。そういう意味では、時間には限りがあります。
ただそれでも、不必要やムダを削り、うまく時間を使うことができれば、ほんとうは時間がたっぷりあるはずなんだ!
そう考えることが、「時間が無い」を克服するチカラになる。と、考えるようにしています。まぁ、実際には難儀しているわけですけれど。病は気から、みたいな。
戦略とは何をやらないかを決めることである。
マイケル・ポーターさん/経営学者
いましがたご紹介をしたゲーテさんの名言に通ずるものがある、というのが上記の名言でしょう。
何をやるか? を考えることもだいじだけれど。何をやらないか? を考えることはもっとだいじだ、そんな感じです。
人間、欲張りなもので、アレもコレもというのはよくある話でしょう。アレもコレもと欲張った結果、なにも手に入らなかった… というのは、「二兎を追うものは一兎を得ず」のことわざにもあるとおり。
時間が無いっ! と詰まってしまうのも。アレもコレもと余計なことをやっている結果かもしれません。
時間の問題にかかわらず。仕事にしても、生活にしても、「何をやらないか」を決めることが、「何をやるか」に集中するための前提になるところです。
わたし自身は「やらないことリスト」というものをつくり、毎朝それを読み返すことで「何をやらないか」を忘れないように気をつけています。
それでもやってしまうものですから。人間とはなんと欲張りなものか… 否、わたしはなんと欲張りな人間なのか… と毎朝、思い知っているわたしです。
誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。
村上春樹さん/作家
わたしが好きな作家、村上春樹さんのエッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」に書かれていた一節です。
これを見て、おこがましくも「あぁ、わかる、わかる。ぼくもそうです!」と、強く共感をしてしまいました。
なんどでも言いますが、いろいろあるのが人生です。なかには、どうしようもなく理不尽なこともあるでしょう。じぶんの手には負えない、ということもあるでしょう。
そんなときには、強いストレスを感じたりもするわけで。わたしは、「走る(ランニング)」ことに解決を求めることがあります。
走ったからと言って状況はなにひとつ変わらない。そのいっぽうで、じぶん自身の気分のほうはだいぶ変わります。息を切らすほどに走り終えてみると、「ま、こういうこともあるよな。しようがない。」くらいに思えてしまったりするのです。不思議なことに。
この場合、走ることは、詰まっていた流れや空気感を変える「スイッチ」の役割を果たします。前述したとおり、詰まったときには流れや空気感を変えるのは、意外とだいじなことです。
走るかどうかはともかく。流れや空気感を変える、じぶんなりの「スイッチ」があるといいですね。
まとめ
詰まったときに「見方を変える」ことを示唆してくれる名言をご紹介してきました。
毎日を生きていれば、いろいろあるのが人生です。いろいろあるからこそ、行動するにも考えるにも「詰まってしまう」こともあるでしょう。
そんなときに、ご紹介した名言が「見方を変える」ことのきっかけになれば幸いです。