なにを書くのも人それぞれのブログやSNS。そのなかで、いまのわたしが「ブログやSNSには書かない」と決めていることについてお話します。
なにを書くも書かないも。
このブログ、それからSNS(Twitter、Facebook、Instagram)を使うにあたって。いまのじぶんが「ブログやSNSには書かない」と決めていることについて、お話をしてみます。
もちろん、それらに「なにを書かないか」は人それぞれ、各自の選択、各自の自由ですから。あくまで「わたしなり」に考えていることをまとめてみました、というのがこちらです ↓
- イヤな出来事・悪い出来事
- 体調不良
- じぶんの居場所
- 家族の情報
- 〇〇さんのように
わたしが、ブログやSNSをまったくのゼロからはじめて3年と8ヶ月になります。そのうえで思うのは、じぶんなりに「書かないこと」を決めておくと、日々の迷いや悩みを減らすことができる、ということです。
ブログにしてもSNSにしても、毎日当たりまえにやっているからこそ、「うっかり書かないように」と気をつける必要もあります。
ブログやSNSをやるのであれば、「〇〇は書かないぞ!」と、いちど明文化してみるのはいかがでしょうか。
それではこのあと、わたしが書かないと決めている5つのことについて、順番にお話をしていきます。
いまの僕が「ブログやSNSには書かない」と決めている5つのこと
イヤな出来事・悪い出来事
毎日を過ごしていれば「いろいろ」あります。楽しいことや嬉しいこともあれば、イヤなこともある。良いこともあれば悪いこともあるのが人生。
ですよね?
この点で、「きょうはこんなイヤな出来事がありました」「こんな悪い出来事がありました」ということは書かないようにしています。
理由は2つ。
1つめは、それらの出来事にはたいていネガティブな感情をともなうから。イヤなこと、悪いことに対して、「単なるグチ」や「単なる弱音」を「公の場」に書くのもどうなのだろう? と考えるわけです。
とはいえ、その昔は思いっきり書いていた時期もありますが… グチや弱音を書いて本人はスッキリするにしても、やっぱり、「ハタから見るネガティブ」はあまり良いものではありません。
だから、「いまは気をつけている」ということです(それでも、たまには書いちゃっているかもしれない… のは、人間だもの)。
2つめの理由は、たいていのことはあとになってみれば大したことがないから、です。
その当初は、「なんてイヤな出来事なんだ!」「なんて悪い出来事なんだ!」と思っても。それなりに時間がたってみると、「それほど大したことでもなかったな」ということは少なくないもので。
書くにしても、少し時間を置いて、冷静に落ち着いてからがよいだろう。そのように考えています。ブログやSNSは「跡に残る」という性質上、後悔先に立たず、です。
体調不良
たとえば、「風邪をひいています」とか。「胃の調子が悪くって」とか。もう少し広げると「寝不足で」とか。そのような体調不良については書かないようにしています。
理由は2つ。
1つめは、「この人、カラダだいじょうぶ?」というイメージがつきかねないから、です。人間なので体調不良になることはあるわけですが、あまりそれを公表しているとイメージとして定着する可能性はあるでしょう。
実際、ブログやSNSを見ていると、「なんかしょっちゅう風邪をひいているような… 」と感じる人もいます。感じ方は人それぞれですが、そう感じる人もいる、ということです。
2つめの理由は、意図がないから、です。たとえば、「風邪をひいています」と書くとして。なにを伝えたいのか? という意図が「わたしにはない」ので書かないようにしています。
また、心配させてしまったり、気遣いをさせてしまったりするのであれば申し訳ないばかりです。
したがって。なにか意図があれば別だとはしても、「ただただ体調不良について書く」ことはしないようにしています。
ちなみに。わたしはここ4年近くは風邪をひいていない! というのは自慢です。でも、ときどき二日酔いという体調不良に陥ります。ダメじゃん。
じぶんの居場所
たとえば、「いま、〇〇に来ています!」とか。「〇〇駅、なう」とか。いまの居場所がわかるようなことは書かないようにしています。まぁ、そもそも「なう」とか書くキャラではありませんが、それはそれとして。
いまの居場所を書かない理由は、防犯上。これに尽きます。
SNSに投稿した画像に写っている人の「瞳」から撮影場所を特定されるような時代です。用心をするに越したことはないでしょう。
そう考えると、「いま、〇〇に来ています!」や「〇〇駅、なう」というのは少々用心が足りないのではないか、というのがわたしの考えです。
なので、Instagramに居場所がわかるような写真を投稿をするときなどは、時間をあけてから「過去の写真」として投稿をするようにしています。
また、ブログやSNSとは違いますが、わたしがメルマガを毎日発行しているなかで、以前に「きょうの予定」を書いていたことがありました。きょうはどこどこに行きます、みたいな。
けれども、これまた「いまの居場所」を明かすことにつながりますから、やめにしました。いまは、「きょうの出来事」を過去形で書くようにしています。
ブログにしてもSNSにしても、ネットの世界で生きる以上、リスクを考えると防犯対策もキリがありません。防犯対策を破ろうとする人たちもいるから、ですね。
ただ、だからと言って「なにもしない」というのはまた別のハナシです。やっぱり、じぶんなりに「できること・やるべきこと」はやる。という姿勢は大切だと考えています。いまの居場所を明かさないのは、その一環です。
家族の情報
わたし自身は、名前にしても顔にしても、その他プロフィールにしても、多くの情報をブログやSNSで公開をしています。
そのいっぽうで、家族(妻、娘、息子)についての情報は、かなり限定的です。名前は公開していませんし、顔が写った写真の公開もしていません。
これは、わたし自身の考えというよりは、家族である妻からの要請です。
とくにこのブログは、すべての記事について公開前に妻のチェックを受けています。チェックの対象はいろいろあるのですが、そのひとつが「家族の情報」です。
ゆえに、場合によっては「書きすぎ」というチェックが入ります。
わたしも、妻子の名前や顔を公開しようとは考えていませんが、妻子の生活ぶりや考え方などについては記事に書こうとすることがあるわけで。
そのようなときには、妻とわたしとのあいだで「相違」もあります。相違が生じたときには、話をして、妻が納得をできないところはわたしが降りる。そこは書かない。
ここまでブログの毎日更新を続けて3年8ヶ月。これからも続けていくうえで、妻をはじめ家族の理解は欠かせません。
家族がイヤだ、ダメだ、ということについては書かない。そんなのあたりまえだろう、と思われるかもですが。家族の思いに気づかずに、うっかりと書いてしまうことはありえます。
そういうことがないように、という意味でも。すべての記事を妻にチェックしてもらうのは大きな効果があること、と考えています。
〇〇さんのように
これは「書かないこと」というよりは、書くときの「心持ち」なのですが。「〇〇さんのように(書きたい)」という心持ちでは書かないようにしています。
他人が書くブログやSNSを見ているなかで、「〇〇さんのようにじょうずにブログが書けたらなぁ」「〇〇さんのように気の利いたツイートができたらなぁ」などと思うことがありました。
まぁ、いまでも思うわけですが。ネットの世界には、わたしがスゴいと感じる〇〇さんがひとりふたりではありません。
ただ、わたしは〇〇さんではないのですから。〇〇さんのように書こうとしても、それは似て非なるものでしかないでしょう。
だから、〇〇さんのスゴさは認めたうえで、〇〇さんのスゴさを学んだうえで、「じぶんらしく書く」ことを大切にしています。
なんてね。じぶんらしく、などとカッコをつけてはいますが。言い換えると、「じぶんに書けるものしか書けない」ということでもあります。
いまのわたしにとって、「じぶんに書けるもの」の代表が「銀行融資・銀行対応」です。このブログでは、銀行融資・銀行対応に関する記事が 400を超えています。
これだけスゴい〇〇さんたちがいる世界で。いったい、じぶんにはなにが書けるだろうか? と散々さまよった挙げ句。気がついたらたどり着いていたのが銀行融資・銀行対応というテーマでした。
以前は「税理士なのだから、もっと税金のことも書いたほうが…」と考えたこともあります。これもまた「〇〇さんのように」に近い発想だった、と言えるでしょう。
税理士だから税金のことを書く、というのであれば。それは「じぶんらしく書く」とは言えないからです(書きたくて書く場合は別です)。
ブログやSNSになにかを書くときの心持ちは「じぶんらしく」であり、じぶんだから書けるものを書く、じぶんが書きたいものを書く。
少なくとも「〇〇さんのように」という心持ちでは書かない。そのように考えています。
まとめ
ブログやSNSに「なにを書かないか」は人それぞれ、各自の選択、各自の自由ではありますが。
だからこそ、じぶんなりに「書かないこと」を決めておくと、日々の迷いや悩みを減らすことができます。
〇〇は書かないぞ! と、いちど明文化してみるのはいかがでしょうか。
- イヤな出来事・悪い出来事
- 体調不良
- じぶんの居場所
- 家族の情報
- 〇〇さんのように