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ブログで窮地に陥ることもあるけど、救われることもある、という話

ブログで窮地に陥った過去があります。ブログを続けるのは、なかなかにタイヘンです。

いっぽうで、そんなブログを続けてきて救われたこともある。そんなお話をしてみます。

目次

ブログに八つ当たりをした日もある。

2016年4月にブログをはじめて、もうすぐ4年半になります(2020年10月3日現在)。

ブログのなんたるかもわからずにいた当初から、「毎日更新」などという大風呂敷を広げたものなので、さぁタイヘン。毎日のブログのおかげで窮地に陥ることもしばしばありました。

思ったとおりには書けずにやたらと時間をくったり(6時間超とか)、書くことすら見つからずに机の前でウンウンうなっていたり(1〜2時間とか)。

わたしの場合、ブログを書くのだけが仕事ではないので、ブログでつまづくと他の仕事にも支障をきたすことになります。このままでは仕事が終わらないかも、間に合わないかも… みたいな。

そういやぁ、ひどい二日酔いで夕方近くまでダウンしていた日もありました。文章を考えることはおろか、イスに座ることすらままならない。愚かなり。

いずれにせよ、「窮地」です。ブログがなければ、毎日更新でさえなければ… と、正直、ブログを恨んだり憎んだりもしたものです。もちろん、ブログにはなんの罪もないので、八つ当たり以外のなにものでもありません。

そんな窮地にいたっても。そうカンタンに「毎日更新」の看板をおろせるものか、僕にだってプライドがある。やると決めた以上は、意地がある!

と、なんとか続けてきた結果。ブログに救われたこと・救われていることだってあるよなぁ、とも思うわけです。ブログで窮地に陥ることはあるけれど、ブログがなかったらマズかったよなぁ、とも思えるわけです。

では実際、どんなふうに救われたのか、救われているのか? こちらです↓

ブログに救われたこと・救われていること
  • 平常心に近づける
  • 時間に執着できる
  • 仕事につながれる

ブログってどうなのよ? ブログを毎日書くとかってどうなのよ? と、考えている方の参考になりましたら幸いです。

というわけで、3つの救われたこと・救われていることについて、このあとお話をしてみます。

ブログに救われたこと・救われていること

平常心に近づける

毎日を生きていくにあたって、「平常心」ってだいじなよなぁ、と考えています。いろいろだいじなものはあるけれど、「平常心」は相当だいじなほうなのではないかと。

言うまでもありませんが、平常心であれば、良好なパフォーマンスを発揮できるから。平常心であれば、ストレスも少なく過ごすことができる。余計な緊張もないので、小さい疲労で済むからです。

とはいえ、平常心で居続けることはカンタンではありませんよね。

毎日を生きていれば、いろいろあります。イライラすることもあれば、悲しくなることもある。落ち込むことだってあるでしょう。

それでも毎日を平常心で過ごすというのは、なかなか難しいことです。少なくとも、わたしにとっては難しい。

そんなわたしが、ブログを続けていて実感していること。それは、「ブログを書くことで平常心に近づける」ということです。

ブログは「他人」に向けられた文章であるがために、書いているうちに自然と「冷静であろう・中立であろう」との思いがはたらくようで。

少々のイライラや落ち込みなどは忘れることができる。少々でない場合でも、相当に軽減できる。これは「文章を書く」ことの効用のひとつだと言ってよいでしょう。

村上春樹さんの小説のなかに「文章を書くことは自己療養へのささやかな試み」といった言葉がありますが。まさに「自己療養(ささやかな試みにすぎないとしても)」かと。

毎日、ブログを書き続けることで、より平常心に近づける。より平常心で毎日を過ごせているのだとしたら。それは、ブログに救われた・救われていると言えるのではないか。

わたしは、もともとメンタルが強いほうではなく、そういう人こそ、ブログに救われるのではないか、とも思うわけです。

メンタルを鍛えたい、平常心を手に入れたい。でも、よい方法が見つからない。そんな人には、「いちどブログを書いてみては?」とおすすめをしておきます。

時間に執着できる

いましがた、「平常心」はだいじだ、という話をしました。だいじなものと言えば、「時間」もまた相当にだいじだよね。との話に異論を唱える人は少ないことでしょう。

限りある時間は、誰にとってもだいじなものです。

にもかかわらず、ヒトはよく時間をムダにします。そのときはムダにしていることに気が付かないのですが、あとになってムダにしたことを後悔する。

まるで他人事のように言っているわたしもまた、後悔をしてきましたし、いまだって後悔をすることはあります。

ただそれでも、以前にくらべれば、格段に後悔の頻度は減りました。ブログのおかげです。

毎日必ずブログを書く。そのためには、相応の「時間」が必要になります。はじめた当初は2〜3時間。いまは1時間半〜2時間くらい。

その時間をあらかじめ「天引き」して、毎日を過ごすようにしています。

もっと言うと、朝起きたときから翌朝起きるまでのスケジュールをびっちりと組んでしまう。あとはそのスケジュールどおりに手を付けていくだけです。

それぞれのスケジュールには「時間」が決まっているので、時間内に終わらせようと努力・くふうをすることになります。途中で思わずダラダラしてしまうことの抑止力にもなります。

すると、やるべきこと・やりたいことを実行できる確率が高まる。だから後悔が少ない。これは、時間に執着した結果だと考えています。

24時間のスケジュールを分単位で決めておく、なんて。まさに「執着」です。むかしのじぶんであれば「狂気の沙汰だ」と思うでしょう。

執着であろうと、狂気であろうと。だいじな「時間」を守ることができるのであれば。やっぱり、わたしはブログによって救われた・救われているのだと思います。

時間をムダにしたり、時間を奪われたりして、やるべきこと・やりたいことができずにいた過去と比べると。救われた、と思うのですね。

ちなみに。いまは、「1日は 15時間」だと考えて過ごしています。2時間はブログの執筆、7時間は睡眠。どちらも、カンタンにはゆずれない時間だからこそ、天引きしておく。

だから、わたしの1日は 15時間です。

仕事につながれる

ここまで、平常心ってだいじだよね、時間もだいじだよね、という話をしてきました。さいごにもうひとつ、「仕事」もだいじじゃないですか?という話をしてみます。

わたしは、大学を卒業して以来、20年以上の会社勤めをやめて、2016年に独立をしました。独立をしたからには、じぶんで「仕事」を見つけなくてはいけません。

仕事がなければ、おカネがなくなる。おカネがなくなれば、生活をすることができない。「仕事」はだいじです。まぁ、言うまでもありませんが。

そんな「仕事」につながれば、との思いもあってはじめたのが、このブログです。独立と同時にはじめました。

以来、4年半。ブログのおかげで、いろいろな「仕事」につながることができています。

セミナー開催、書籍の執筆、専門誌への寄稿、各種コンサルティング、個別相談、税務顧問、といった仕事をブログ経由でいただけました。

また、ブログからは「広告収入」や「アフィリエイト収入」もありますので、それもまた仕事と言えば仕事です。

最近の話では、YouTubeをはじめたり、Kindle出版をはじめたり、stand.fmをはじめたり。これらはブログから依頼された仕事ではありませんが、ブログをやってきたからこそ、はじめられた仕事です。

ブログを続けてきたなかで、「もっと発信をしてみたい、違うカタチでの発信もしてみたい」と思えたからこそ、はじめられた仕事。

では、もしも。わたしがブログをやっていなかったとしたら?これだけの仕事につながることができていたか、まったく自信がありません。

仕事がまったくない、ということはなかったにしても。これだけ「いろいろ」な仕事ができていた、という自信はない。もっと、「税金」に偏った仕事をしていたように思います(税理士なので)。

ブログを続けてきたことで、「先々にもつなる仕事」ができるようになりました。ブログのような「書く仕事」や、セミナーやYouTubeのような「話す仕事」は、歳を重ねてもできるし、どこにいてもできます。

社会の変化、環境の変化、自己の変化にも、多少は耐えられそうかな。先々にも仕事ができそうかな。そう考えると、やっぱりじぶんはブログに救われた・救われていると思うわけです。

まとめ

じぶんの4年半の経験をもとに、「ブログで窮地に陥ることもあるけど、救われることもある」というお話をしてみました。

ブログってどうなのよ? ブログを毎日書くとかってどうなのよ? と、考えている方の参考になりましたら幸いです。

ブログに救われたこと・救われていること
  • 平常心に近づける
  • 時間に執着できる
  • 仕事につながれる

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