ブログの毎日更新には、「変なプレッシャー」があり、「部分的なツラさ」がある。
そこで、「やめどき」を決めておくとラクに構えることができるかもしれない。みたいなハナシです。
ハガネのメンタル・ハガネの肉体があればいいけれど。
2016年4月から「ブログの毎日更新」をはじめて、きょう(2021年5月9日)で 1,848日めになります。丸5年を過ぎ、ことし中には節目の 2,000記事です(このまま続けられれば、ですが)。
キリもいいので、そろそろやめるか… とは考えていません。ですが、「やめどき」については考えています。いつブログをやめるのか? という「やめどき」です。
「続けよう」と思ってはじめた以上、続けるのはだいじなことではあります。ただ、いっぽうで、「やめる」ことも選択肢です。ブログに限らず、ダラダラ続けるくらいならやめたほうがいい、という考え方だってあるでしょう。
また、毎日続けるのには、ある種の「プレッシャー」をともないます。どうしても、「毎日続けなければ」という「変なプレッシャー」はあるものです。これは、けっこうツラい。ブログをはじめたばかりのころはとくに。
でもそこで、「いつだってやめられるし、やめたっていいんだ」という選択肢があると。少しばかり、プレッシャーから解放されることができます(やめないかぎり、完全には解放されませんが)。
好きでやっているとはいえ、ブログを毎日更新するのもラクではありません。「総合的には好き」で書いていますが、毎日がゆえの「部分的なツラさ」もあります。ほかにもすることが立て込んでいたり、心身の調子がすぐれなかったり、書くネタがなくて焦ったり…
そんな「部分的なツラさ」にやられてしまう。毎日更新が途切れてしまう、ということはあるでしょう。
もちろん、毎日更新が途切れること自体が悪いわけではありません。ただ、あとから振り返ったときに、「あのとき、もうちょっとネバっておけばよかった…」というたぐいの後悔はしたくないものです。
そう考えると、「変なプレッシャー」なり「部分的なツラさ」なりに対して強くあるべきだ、と言えます。といっても、「ハガネのメンタル」とか「ハガネの肉体」とか、そういうんじゃなく。
もうちょっと「ラクに構える」ということでいいんじゃないの? と思うわけです。柔よく剛を制す。しなやかな思考、しなやかな気持ちで、ブログの毎日更新にのぞむ。みたいな。
ここで、さきほど触れた「やめどき」が役立つと考えています。じぶんには「やめる」という選択肢がある。「じぶんの意思」でやめられる。「やめどき」は決めているんだ、とすると。少しは、ラクに構えることができるでしょう。
というわけで。わたし自身が考える、毎日更新ブログの「やめどき」について、お話してみます。ブログの毎日更新を続けている方、これから毎日更新を始めようとしている方のご参考になれば幸いです。
5年たって思う、毎日更新ブログのやめどき3つ
ブログの毎日更新を5年続けたいま思う、「やめどき」はおもに3つあります。具体的にはこちらです↓
- その先にある「楽しみ」がなくなったとき
- ブログよりもだいじなことが起きたとき
- じぶんになにかがあったとき
それでは、順番にお話をしていきます。
その先にある「楽しみ」がなくなったとき
ブログをはじめたときから、いままで。一貫して持ち続けていることがあります。それは、「楽しみ」です。ブログを書くことで、いままでとは違うなにかが起きるかもしれない、変わるかもしれない! という楽しみ。
事実、ブログをはじめて以降、いろいろなことが起きたし、いろいろな変化がありました。じぶんの得意が増えたり、あらたな出会いがあったり、いままでやったことがない仕事をいただけたり、いろいろです。細かいこと言い出すとキリがないので、かなり端折りましたが。
仕事の面でも、私生活を含めた人生全般で見ても、ほんとうにいろいろあるからこそ、その先にある「楽しみ」がいっそう楽しみになる。だから、部分的にはツラいときにでも、なんとか耐えることができていたりもします。ここを耐えればきっと… うーん、ちょっとMですね。
それはそれとして。その「楽しみ」がなくなったときが、ひとつの「やめどき」だろう。そう考えています。
繰り返しになりますが、ブログの毎日更新はラクではありません。むしろ、行為としてはタイヘンです。なにかタイヘンなことをやるのに、なにかご褒美がなかったら、なにか楽しみがなかったら? それは、ただの苦行でしかありません。
まぁ、「苦行でしかないわ…」と思うときも正直あったけれど。長い目で見てみれば、やっぱり「楽しみ」を持ってやってきました。そうでなきゃ、耐えられない苦行です。ブログの毎日更新は。
なので、ブログを続けることで、じぶんは「なにを楽しみにしているか?」や「どんな楽しみがあったか?」といったことを、書き出してみたりするといいですね。楽しみを明確にできる、再認識できる効果があるでしょう。
それでも、楽しみが見つからないと言うのなら。それが、わたしにとっての「やめどき」です。
いまは、楽しみがあるからやっていけるし、楽しみがなくなったとわかったらやめればいい。楽しみもなく、ただただ苦行を続けることはない。そんなふうに「やめどき」を決めていると、ラクになります。
ブログよりもだいじなことが起きたとき
いまのところ、ブログの毎日更新は「優先度が高いもの」として位置づけています。
ですから、毎日のスケジュールを決めるときには、ブログを書く時間(150分)は、あらかじめ天引きする。基本的に、ブログは午前中にしあげる。というのが、マイルールです。
誤解を恐れずに言えば、「まずブログ」。それくらい優先度を高めておかないと、わたしの場合には継続できそうもありません。書けるときに書こう、みたいなスタイルだとたぶん書きません。
じゃあ、これから先も、なにがなんでもブログを優先するのか? と言えば。そんなことはない、そうはしない、ということを決めています。ブログよりもだいじなことが起きたときには、そちらが優先。
いちばん想定しているのは、家族になにかあったとき。あまり考えたくないことではありますが、いずれ必ず、なにかしら起きることです。そのときにまで、ムリをしてブログの毎日更新を優先しない。
そんなのあたりまえではありますが。現状、ブログの優先度が高いがゆえに、だいじなことが起きたときにも「迷い」が生じるものと考えています。家族はもちろんだいじ、でも、ブログの毎日更新だってだいじ…
などと言うと、「なんて冷たい人間なんだ!」と思われるかもしれません。実際、冷たいのかもしれないけれど、ブログの毎日更新には「並々ならぬ思い」があるのもまた事実。そうでなければ、盆暮れ正月もなしに、5年もブログは書けないでしょう。
というわけですから、あきらかにブログよりだいじなことが起きたときにでも「迷い」が生じるかもしれない。でも、そのときは「やめどき」だと決めておく。あらかじめそう決めておくと、ラクになるものがあります。
ちなみに。そうは言っても、ブログを書くかもしれません。なにかが起きたとしても、書ける状況であれば書くかもしれないし、それでも書きたいことがあれば書くでしょう。
なにが言いたいか、と言うと。「やめどき」を決めておくことで、ラクにはなれる。そういうことです。
じぶんになにかがあったとき
たとえば、じぶんが事故や病気で意識がなくなってしまった、命が尽きてしまったとなれば、当然ながらブログを続けることはできません。
そこもまた、ひとつの「やめどき」として認識をしています。その証拠(?)として、「さいごのブログ」は準備済みです。じぶんになにかあったときには、それを妻に投稿してもらおうと考えています。
そんな「さいごのブログ」は、「さすがにしかたないよねー」という、じぶんに対する「なぐさめ」であり。家族や読者に対する「ごあいさつ」でもあり、じぶんとしては「なっとくしてますよ」という意思表明でもあります。
「さいごのブログ」を準備するまでは、「じぶんになにかあったらどうしよう?」などと心配をしていたこともありましたが。でも、「さいごのブログ」を準備したことで、ちょっとはラクに構えることができています。
だからと言って、油断せず。できるだけ長く健康でいられるように、食事・運動・睡眠には気をつける毎日です。ブログの毎日更新というプレッシャーがあるからこそ健康に気をつける、というメリットは大いにあります。ブログを書いている5年のあいだは健康ですし。
まとめ
ブログの毎日更新は、「変なプレッシャー」や「部分的なツラさ」をともないます。毎日更新が途切れるきっかけにもなるものです。
そこで、あえて「やめどき」を決めておく、決めてみるのはどうでしょうか。少しは、ラクに構えることができるかもしれません。
本記事のお話が、ブログの毎日更新を続けている方、これから毎日更新を始めようとしている方のご参考になれば幸いです。