過去を振り返ることのデメリット。それでも過去を振り返るために

過去を振り返ることのデメリット。それでも過去を振り返るために

あのとき、あんなことがあったな。あのとき、〇〇したのはよかったな。あのとき、もっと〇〇しておけばよかったな。

そんな「過去を振り返ること」には、デメリットがあるので気をつけましょう。というお話です。

目次

ヒトはよく過去を振り返るものだから。

だれしも、過去を振り返ることはあるでしょう。もちろん、わたしもあります。

あのとき、あんなことがあったな。あのとき、〇〇したのはよかったな。あのとき、もっと〇〇しておけばよかったな。とかとか。

ただ、そのときに気をつけているのは、「過去を振り返ることにはデメリットがある」ということです。振り返るにしてもデメリットを理解したうえで、と考えています。

はたして、そのデメリットとは? こちらです↓

過去を振り返ることのデメリット
  • きれいに書き換えられているから
  • これからなにができるかでしかないから
  • 自己肯定感が下がるから

それではこのあと、順番に見ていきましょう。

過去を振り返ることのデメリット

きれいに書き換えられているから

過去を振り返るとき、その過去が「きれい」に書き換えられているかもしれない。つまり、事実とはちょっと違うカタチで、都合よく書き換えられているかもしれない。と、疑ってみるのがいいでしょう。

たとえば。仕事で成果をあげられたのは、あのとき〇〇と考えて□□をしてきたからだ、と振り返ったとします。けれども、〇〇や□□は「あとづけ」の可能性がある、ということです。

とくに、振り返った過去をだれかに伝えるようなときには、気をつける必要があります。伝える以上は、「筋のとおった話」にしようと考えるものです。それはそれでだいじなことではあるけれど。じぶんでも気づかぬうちに、過去をきれいに書き換えているかもしれません。

じぶんでも気づかぬうちに、というところがポイントで。ことほどさように、ヒトの記憶とはいい加減なものでもあります。

だから、ほんとうは「再現性がない話」だとしても、「再現性がある話」かのように書き換えられてしまうこともある。結果、勘違いすることになります。成功の要因、失敗の要因を勘違いしてしまうことがある。

これは、他人の話を聞くときにも気をつけるべきところでしょう。他人もまた、過去をきれいに書き換えて話をしているかもしれないからですね。

誤解なきように申し添えると、その「他人」を責めているのではありません。だれしも、過去を書き換えるきらいがあるものだから、聞き手はうのみにせず気をつけましょう。そういう話です。

だれかが話す成功談などは、きれいに筋がとおっているようでも、実際には「あとづけ」で筋がとおっているように書き換えられたものかもしれない。話し手さえ気が付かないうちに。

ひるがえって、じぶん自身が過去を振り返るときにも気をつけなければいけません。でも、どう気をつけるのか?

ひとつの対策は、記憶に頼らず、「記録」を残すことでしょう。都合よく書き換えられる記憶には頼らず、そのときどきの事実を「記録」として残しておく。それが、過去を振り返るときに役立つはずです。

というわけで。じぶんが取り組んでいることや、そのときの考え方などを記録しておくのはいかがでしょうか。わたしも日々記録をしています。このブログも、そのひとつです。

これからなにができるかでしかないから

過去を振り返ること自体は、もちろん悪いことではありません。過去を思い起こして、反省したり分析したりも必要でしょう。

けれども結局は、これからなにができるかでしかない。そう考えると、過去を振り返る、とくに過去にこだわるのはよくありませんよね。

もし、あのとき〇〇していたら。あのとき、〇〇していれば。いわゆる「タラレバ」を言っても、過去は変わるものではないわけで。反省や分析ならまだしも、過去への「執着」となると、その先に待つのは「後悔」ばかりでしょう。

そして、なにより問題なのは。執着し後悔していると、「いま」に集中できないということです。

使い古された言葉ではありますが。わたしたちが変えられるのは「いま」だけです。過去と未来は、変えることはできません。だから、変えられる「いま」に集中することが重要なんだ! と言われます。

にもかかわらず、過ぎた過去を振り返ってばかり、まだ来ぬ未来を憂いてばかりいても、状況はなにも変わりません。そんなわけで、タラレバに縛られるような振り返り方をするのはやめましょう。

とはいえ、かくいうわたしがいちばん、タラレバを考えているかもしれません。そんなわたしが、「いま」に集中するためにおすすめなのが、「瞑想」と「運動」です。

毎朝の日課として、あるいは、ちょっと落ち着かないときの対処法として、瞑想を取り入れています。目を閉じてじっとしていると、いろいろと考え・思いが巡ってくるわけですが。それらの考え・思いを認識したうえで、意識を「いま」に戻す。具体的には、呼吸に集中します。意識や集中をコントロールするチカラをつけるのに、瞑想は役立つものと考えています。

運動、とくにキツめの運動は、「いま」に集中するのに最適です。わたしは「全力ダッシュ」や「バーピージャンプ」なんかをするのですが、まぁキツイので、過去をかえりみる余裕はありませんね… 過去への執着や後悔を手放せるのは(たとえ一時的だとしても)、運動のメリットではないでしょうか。

いずれにせよ、だいじなのは「これからなにができるか」です。過去を振り返るのはほどほどにして、同じ時間をつかうのであれば、これからなにができるかに意識を向けてみましょう。

自己肯定感が下がるから

さきほど、こんな話をしました。過去への「執着」となると、その先に待つのは「後悔」ばかりだ、という話です。後悔が続くとどうなるか? 自己肯定感が下がりますよね。

なにをやってもうまくいかない… なにもできない… そんなことばかり考えていたら、それはもう自信だってなくなるでしょう。だから、過去を振り返ってばかりいるのはよくありません。

そうは言っても、うまくいかないじぶん・できないじぶんを思い悩んでしまう。わかります、わたし自身もまた、思い悩んでしまいますので。では、そんなときはどうするか?

結果ではなく、「変化」に目を向けることです。結果だけを見たら、たしかに失敗かもしれない。でも、失敗にいたる「挑戦」があったのなら、その挑戦は「変化」です。

挑戦しようとした「気持ち」、挑戦をするために「経験」したこと。それらによって、じぶんはたしかに「変化」をしています。挑戦する前のじぶんと、挑戦したあとのじぶんとでは「変化」をしています。

だから、失敗という「結果」よりも、変われたという「変化」に目を向けてみる。ヒトはそうカンタンに変われない、というのはよく言われるところです。でも、変われたんだからスゴい! と、じぶんを褒めてみるのはどうでしょう。

そのうえで、わたしは「評価を保留」することも考えています。過去の結果は、あくまで「一時点」での結果に過ぎません。この先も挑戦を続ければ、変化を続ければ、その結果は変わるかもしれない。だとしたら、いま急いで評価をすることもないでしょう。

それよりもなによりも、いま。いま、変化をすることを考える。考えてばかりいてもしかたがないので、実際に変化をしてみる。それを習慣づけるために、わたしは毎日、変化を記録に残しています。

きょうは、はじめて〇〇をした。はじめて〇〇を買った。はじめて〇〇に行った。はじめて〇〇を知った。などなど。他人が見たらどんなに小さな変化でも関係ありません。じぶんにとって、それが変化であるのなら、他人からの評価はどうでもいいことです。

まとめ

あのとき、あんなことがあったな。あのとき、〇〇したのはよかったな。あのとき、もっと〇〇しておけばよかったな。

そんな「過去を振り返ること」には、デメリットがある。ヒトはよく過去を振り返るものだからこそ、そう考えてみるのもいかがでしょうか。

過去を振り返ることのデメリット
  • きれいに書き換えられているから
  • これからなにができるかでしかないから
  • 自己肯定感が下がるから
過去を振り返ることのデメリット。それでも過去を振り返るために

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