人を叩くのは、ヒトの本能。とはいえ、考え方は叩いても人は叩かず。他人の批判・非難をしないようにと思う7つの理由について、お話ししていきます。
人を叩くのは、ヒトの本能。
唐突ではありますが。考え方は叩いても人は叩かないように、との思いを持っています。
その昔、ヒトが生き延びるためには「人を叩く」ことも必要でした。とある集団のなかで、問題を起こす人間を放置していたら、集団全体が生命の危機にさらされてしまうこともあったからですね。
ゆえに、「人を叩く」のは、ヒトの本能だとも言えるでしょう。人を叩く、つまり、他人の批判・非難をついついしてしまう… というのことはあるわけです。自覚していないケースも含めて。もちろん、わたしも。
だからこそ思うのは、考え方は叩いても人は叩かず。他人を、ヒトそのものを批判・非難はしないように、ということです。じぶんの意見を述べたり、主張をしたりする以上、ほかの「考え方を叩く」ことはあります。
ただ、それでも。人を叩く、とくに特定個人を叩くことがないように。と思う理由について、お話ししてみます。具体的にはこちらです↓
- 否定グセがついてしまうから
- あとだしの正論だから
- だれだって間違えるから
- みんなちがって、みんないいから
- 影響の輪の外にあることだから
- 他人は他人だから
- ストレスになるから
それではこのあと、順番にお話ししていきます。
他人の批判・非難をしないようにと思う7つの理由
【理由1】否定グセがついてしまうから
他人の批判・非難をしないようにと思う7つの理由、1つめ。それは、否定グセがついてしまうからです。
だれしも、思考・行動のクセというのはあるもので。批判・非難ばかりしていると、そういう思考・行動が多くなってしまう… というのは、脳科学的にも根拠があるところです。
じぶんとしては、あまり好ましいクセだとは思えないので。他人を否定することは、極力しないようにと考えています。思わず否定したくなるときでも、いちどはグッとこらえる。
そううまくはいかないこともあるわけですが。いちどはこらえることで、クセになりにくくはなるはずです。
【理由2】あとだしの正論だから
他人の批判・非難をしないようにと思う7つの理由、2つめ。それは、あとだしの正論だからです。
他人の批判・非難をするときに、それが「まっとうな正論」だということはあるでしょう。けれども、それが「あとだし」に過ぎないことも少なくありません。
なにか間違ったことが起きたあとに、正論で叩くのはかんたんなことであり。そうではなく、ことが起きるまえに正論で叩く、間違ったことが起こらないようにする。これが難しいわけです。
だから、じぶんがもし人を叩こうしているときには、「あとだしの正論」ではないか。それは、ただの自己満足ではないのか、と自問するようにしています。
【理由3】だれだって間違えるから
他人の批判・非難をしないようにと思う7つの理由、3つめ。それは、だれだって間違えるからです。
間違ったことをしたり、言ったりしたときに、人は叩かれます。たしかに、間違っているのだからしかたない。とはいえ、それこそ人間。だれにだって、間違いはあるものでしょう。
にもかかわらず、鬼の首を取るかのように攻め立てるのもどうなのか? とは思うわけですね。
執拗に批判・非難をしたり、周囲の論調に乗っかってまで批判・非難をしたり。このあたりは、ヒトの本能ではあるのでしょうけど。
ひるがえって、じぶんだって間違えることもあります。むしろ、人一倍間違えているような気さえする。だれだって間違えるのだから、そんなに叩かずともよかろう。との考え方もあります。
【理由4】みんなちがって、みんないいから
他人の批判・非難をしないようにと思う7つの理由、4つめ。それは、みんなちがって、みんないいからです。
間違っているかどうかはともかく、尖った主張・尖った行動もまた、人が叩かれる原因になることがあります。出る杭は打たれる、みたいな。でもそれって、「人それぞれ」ってことでいいのではないか? とも思うわけです。
そもそも、尖った主張・尖った行動が「ピンポイントで切り抜かれている」ことも多く、そのウラにある背景やら経緯やらをよくよくふまえると、「別にふつうじゃない?」と思えることもあります。
つまり、よく知りもしないで(他人のことですから、ほんとうのところは知りようもないのですが)、人を叩くのもどうなのかと。それよりなにより、じぶんにはない他人の主張・行動に、興味や関心を寄せることに価値がある。
多様性をはぐくむチャンスだと考えれば、叩いてばかりいるのはもったいないハナシです。みんなちがって、みんないい。
【理由5】影響の輪の外にあることだから
他人の批判・非難をしないようにと思う7つの理由、5つめ。それは、影響の輪の外にあることだからです。
かの有名な『7つの習慣(スティーブン・R・コヴィーさん著)』に書かれている、「影響の輪」という話があります。かんたんに言うと、影響の輪とは、じぶんで変えられること。じぶんで変えられる範囲にあるものです。
では、他人が気に食わないからといって変えられるか? と言えば。変えられません。100歩ゆずって変えられたとしても、それは労力のわりにはごくわずかなものでしょう。
じぶんの人生は限られているのですから、そんなところ(影響の輪の外にあるもの)に時間やエネルギーを注ぐなよ。というのが、7つの習慣の教えです。だとしたら、やはり、他人の批判・非難をしている場合ではありません。
というわけで。ものごとを考えるときには、それは「影響の輪のなかにあるものなのか?」と自問するようにしています。
【理由6】他人は他人だから
他人の批判・非難をしないようにと思う7つの理由、6つめ。それは、他人は他人だからです。
これは、さきほどの「影響の輪」と似通ったことではありますが。「じぶんはじぶん、人は人」という言葉があります。いうなれば、「じぶんの人生を生きろ」ということでしょう。
わたしは、どうにも他人を気にするところが強いので、他人の言動が気になるし、他人を羨んでもしまいます。ゆえに、他人を批判・非難しやすい人間だというのが、自己分析です。
それを戒めるということも含めて、「じぶんはじぶん、他人は他人」と毎朝となえています。ハタから見ると、ちょっと怖いかもですけど。でもやっぱり、じぶんはじぶんの人生を生きたいので。
であるならば、他人は他人、批判も非難もする必要がありません。言うは易く行うは難し。
【理由7】ストレスになるから
他人の批判・非難をしないようにと思う7つの理由、7つめ。それは、ストレスになるからです。
人を叩く、とりわけ特定の人を叩くというのは、「執着」を生みます。そもそもは、考え方を叩いていたつもりが、人そのものを叩いている。気づけば、一挙手一投足を叩いている… ものだそうです。
なにかの本で読みました。が、そうだろうなぁという納得感はあります。そのような執着の先にあるのは、ストレスでしょう。結局、他人の人生に一生懸命になっているのですから、それはそれでツラいはず。
単純に、ツラいのはいやです。と言うと、自分本位がすごいですけど、やっぱり、よけいなストレスを抱え込みたくはありません。
ちなみに。他人のストレスを見ていると、じぶんにもストレスがたまるそうです。わたしが、SNSと距離を置いている理由のひとつが、「他人のストレスを感じたくないから」でもあります。
まとめ
インターネットやSNSの普及もあり、だれもが「かんたん」に発信をできる時代にもなりました。
わたし自身、ふだんから発信をしている身として気をつけているのが、「考え方は叩いても人は叩かず」です。あらためて、他人の批判・非難はしないように、と思ったしだいです。
- 否定グセがついてしまうから
- あとだしの正論だから
- だれだって間違えるから
- みんなちがって、みんないいから
- 影響の輪の外にあることだから
- 他人は他人だから
- ストレスになるから