YouTube動画を投稿していると、いただく「高評価」や「コメント」に喜びたくなるものです。けれどもそれでは、承認欲求にのまれているのではないか? よくないことではないのか?
ということについて、お話をしてみます。
嬉々としているわたしは、愚か者か。
2020年4月からYouTube動画の投稿をはじめて、1年半ほどになります。そのあいだに、たくさんの「高評価」をいただき、たくさんの「コメント」をいただき、喜んでいるわたしです。
いくつかのコメントを抜粋すると、
- 創業二年目です。勉強させてもらいながら頑張っております。大変ありがとうございます。
- 無料のクオリティではない!!大変勉強になりました!!ありがとうございました!!
- 今創業計画書を作成しています!とても参考になりました!
- 余計な情報が含まれておらず、とてもわかりやすい説明で頭に入ってきました。とても参考になりました。ありがとうございます。
- ジョー先生。本当に本当にありがとう。話が総論ではなく具体論で為になりました。商売がうまくいったら先生に顧問になってもらいます。
などと、嬉々として話をしていると。「承認欲求」にのまれているのではないか? と、思われるかもしれません。だとしたら、高評価やコメントは「害」だとも言えるのではないか?
たしかに、それも一理あります。
それはそれとして、わたしはこう考えるようにしています。承認欲求をゴールにするのはNG、承認欲求をモチベーションにするのはOK。
承認欲求そのものは、ヒトである以上しかたがない。抑えようと思って抑えきれるものではない。少なくとも、わたしには厳しい。だとしたら、承認欲求をじょうずに利用するほうがいいだろう、というふうに考えています。
その、じょうずな利用が「モチベーション」。視聴者の方に喜んでいただけたり、視聴者の方から感謝をいただけたりするのは、正直、とてもうれしいことです。うれしくて気分が良くなる、やる気が出るのは悪いことではないでしょう。
というわけで、「承認欲求をゴールにするのはNG、承認欲求をモチベーションにするのはOK」を実践するために、実際に取り入れている考え方・方法をお話ししていきます。
高評価やコメントに、一喜一憂して振り回されずにすむように。参考になりましたら幸いです。
- いつも見続けない
- 他人と比較をしない
- 悪い評価は気にしない
- ゴールを明確にしておく
- 評価・コメントを活かす
それではこのあと、順番に見ていきましょう。
「承認欲求をゴールにするのはNG、承認欲求をモチベーションにするのはOK」の実践法
いつも見続けない
高評価やコメントが気になると、気がつけばついつい見続けている… ということが起こりえます。わたしには、過去、似たような経験がありました。このブログです。
ブログをはじめた当初から、しばらくのあいだ。ついついPV(ページビュー)を確認している状況がありました。つまり、どれくらいブログ記事が読まれているかに、一喜一憂していたわけです。
気をつけないと、YouTubeでも同じことが起こります。高評価やコメントのチェックをしたり、視聴回数やチャンネル登録者数のチェックをしたり。
なので、わたしは過去の教訓から、そういったチェックは、原則、1日3回(朝・昼・夕)までと決めています。必要があれば、それ以上チェックすることはありますが、原則は3回まで。
こういった制約がなく、いつも見続けているようだと、承認欲求に心も時間も奪われます。いつも見続けないようにすることで、承認欲求をうまくモチベーションに落とし込みたいものです。
他人と比較をしない
わたしが、かねてからずっと、やめたくてもやめられないことのひとつでもありますが。他人との比較、これはよくありませんね。じぶんの高評価の数やコメントの数などを、ほかのユーチューバーさんと比べてしまう。
結果、じぶんのほうが良かったとしても「自己満足」にすぎず、じぶんのほうが悪かったとすれば「自信喪失」を招きます。どちらにしても、あまりよいことがありません。
そもそも、比較をすべきは「他人」ではなく、「過去のじぶん」であるべきでしょう。もちろん、他人を「分析」することは必要ですが、単純に「比較」をすることに意味はありません。
それでもなぜ、比較をしてしまうのか? それは、「じぶんの土俵」がよくわかっていないからだ、と考えています。じぶんだけの土俵、他人とは違う戦い方がわかっていれば、比較する必要はなくなります。
言うは易く行うは難し。わたし自身、じぶんの土俵を探し続ける毎日です。
悪い評価は気にしない
評価やコメントというのは、良いものばかりとは限りません。世の中では、ネット上での「誹謗中傷」が問題にもなっています。悪い評価や、コメントをされることもあるはずです。
もちろん、わたしも「低評価」をいただくことはありますが。いまのところは、高評価のほうが圧倒的に多く。コメントに関しては、幸い、誹謗中傷にあたるようなものはありません。代わりに、ご指摘をいただくことについては感謝をするばかりです。
ただ、ネットで活動をする以上、いつか来るかもしれない「低評価」の嵐や、誹謗中傷コメントについて、「想像(妄想?)」はしています。そのときにどう考えて、どう行動するかです。
承認欲求をモチベーションにするのであれば、低評価や誹謗中傷でさえもモチベーションにする覚悟を、携えておく必要があるでしょう。
結局のところ、他人はコントロールできません。コントロールできるとしたら、じぶん自身だけ。「他人をどうするかではなく、じぶんがどうするか」に答えはあるものと考えています。
ゴールを明確にしておく
承認欲求をゴールにするのはNG、承認欲求をモチベーションにするのはOK、という話をしています。というわけで、承認欲求に代わるゴールを用意しておかなければいけません。
高評価がたくさんもらえた、良いコメントをたくさんもらえた。ゴール! ではない、ということです。
わたしに関して言えば、できるだけ多くの人たちに情報(銀行融資・銀行対応)を届けることがゴールです。できるだけ多く、にゴールはありません。ゴールに向かって走り続けるのみ。
もちろん、YouTubeをきっかけに、仕事のご依頼をいただくことも考えていますから、そんなに「きれいな話だけ」でないことを申し添えます。が、ひとりでも多くの人に情報を届けたいのは事実です。
とはいえ、そういったゴールがあるからこそ。たったひとつの高評価、たったひとつのコメントにも喜べるのだとも考えています。
これがもし、高評価やコメントの数となると、つまり、承認欲求がゴールになると、また他人との比較になりかねません。承認欲求のワナから逃れるためには、じぶんにとってのほんとうのゴールが必要です。
評価・コメントを活かす
承認欲求をモチベーションにするのはOK、だと言いました。ならば、高評価を喜び、良いコメントに喜んでさえいればよいか、といえば。そんなことでもありません。
高評価にせよ、低評価にせよ。良いコメントにせよ、悪いコメントにせよ。そこには、なにかしらの「原因」があるものですから。その原因を、じぶんなりに追及するのは大切なことでしょう。
そう考えると。評価を非表示にしたり、コメント不可にするのは「もったいない」ことでもあります。原因追及の「機会」を逸している、という意味では(評価の非表示やコメント不可を、否定する意図はありません。あくまで、ひとつの考え方です)。
じぶんだけでも追及できる、との意見もあるでしょう。ですが、それは自己満足かもしれず、承認欲求に堕ちているのと変わりがないとも言えます。
だとしたら、あらゆる評価・あらゆるコメントをも受け入れて、それらを活かす。改善の機会にするのもよいのではないか? と考えますがいかがでしょうか。
まとめ
YouTube動画を投稿していると、いただく「高評価」や「コメント」に喜びたくなるものです。けれどもそれでは、承認欲求にのまれているのではないか? よくないことではないのか? とも考えます。
とはいえ、ヒトである以上、承認欲求は抑えがたいものです。ならば、「承認欲求をゴールにするのはNG、承認欲求をモチベーションにするのはOK」を実践してみるのはいかがでしょうか。
- いつも見続けない
- 他人と比較をしない
- 悪い評価は気にしない
- ゴールを明確にしておく
- 評価・コメントを活かす