じぶんにはオリジナリティがない。じぶんはユニークじゃない、と考えることがあります。そんなじぶんをどうするか? について、わたし自身がどうしているかのお話です。
そういうものに、わたしはなりたい。
オリジナリティがある、とか。ユニークだ、とか。正直、そういうところに「あこがれ」や、「うらやましさ」があるけれど。じぶんにはオリジナリティがない。じぶんはユニークじゃない、と考えることがあります。
だからといって、引っ込んでいるわけにもいかず。「それでもどうするか?」を考えることになります。たとえ、オリジナリティがなくても、ユニークではなくても。どうにかするためには、どうするか。
そもそも、オリジナリティやユニークに自信を持てる人がどれほどいるというのか? これはけして、うしろむきなハナシではなく。ただ、事実の確認として、気になるところではあります。
そのうえで、「もしかしたら、じぶんと同じように、自信を持てずにいる人もいるかもしれない」と、そんなことをふと思い立ち。それでも、日々発信を続けている立場から、じぶんがどうしているか・どう考えているかについて、書いてみることにしたしだいです。はい。
というわけで、オリジナリティがない・ユニークじゃないじぶんをどうするか? わたしなりには、こちらです↓
- いろいろ組み合わせてみる
- 伝え方をくふうしてみる
- じぶんはオリジナルだとたしかめる
それではこのあと、順番に見ていきましょう。
オリジナリティがない・ユニークじゃないじぶんをどうするか?
組み合わせてみる
たとえば、税理士について。わたしは税理士ですが、世の中にはたくさんの税理士がいます。そういう意味では、オリジナリティやユニークだとは言えません。
それでも税理士として、仕事をしていく(食べていけるだけ稼ぐ)ためにはどうするか? わたしがしていることのひとつが「組み合わせてみる」です。
たとえば、このブログは「税理士×ブログ」という組み合わせになります。税理士のなかでも、ブログをしている人となると、少しだけオリジナリティやユニークになるでしょう。
次に、「税理士×ブログ×毎日更新」となると、だいぶオリジナリティやユニークになります。さらには、ブログで発信している主テーマを加えると、「税理士×ブログ×毎日更新×銀行融資」です。
こうなると、同じようなことをしている人はほぼいないはず。
というわけで、ひとつひとつの要素でみれば、オリジナリティやユニークがなかったとしても。それらを組み合わせてみることで、オリジナリティやユニークをつくりだすことはできます。
まぁ、そのオリジナリティやユニークに対して、ニーズがあるのかどうか? という問題はありますが。やってみなければわからない、やってみなければはかれないニーズだってあるでしょう。
わたし自身、組み合わせてみるなかで、仕事を増やしていくことができました。
また、「発信内容」という点についても、「組み合わせてみる」は使うことができます。発信、つまり、こうしてブログを書いたり、人と話をしたり、SNSに投稿をしたり。
たとえば、「りんご」について発信するとします。このとき、「かたち」や「色」、「味」について発信している人はすでにたくさんいるとしたらどうするか? 同じことを発信するのでは、オリジナリティじゃないし、ユニークではありません。
そこで、「かたち×色×味」をすべて組み合わせて発信をしてみるとどうなるか。網羅性という面で、少々のオリジナリティやユニークが生まれるでしょう。
さらに、「じゃがいもとの比較」という視点を組み合わせることで、オリジナリティやユニークさは増すはずです。「りんご」や「じゃがいも」について個々に話をする人はいても、両者の話をする人は減るのではないか、ということですね。なぜ、じゃがいもかはともかく。
わたしは、ブログで銀行融資・銀行対応の話をよく書いています。そこに書かれていることのひとつひとつに、オリジナリティやユニークがあるのか? といえば、ないでしょう。
わたしだけが知っている! わたしが編み出した! みたいな話は、ほとんどないはずです。
が、「組み合わせてみる」ことで、オリジナリティやユニークを出そうと考えています。「テーマA」と「テーマB」を足してみたり、「テーマA」と「テーマB」を「テーマC」の視点から比較してみたり。
ひとつひとつは既知だとしても、組み合わせによる創造、というものもあるのではないでしょうか。
伝え方にこだわる
たとえ、まったく同じ内容を伝えるにしても。伝え方しだいでオリジナリティやユニークを出すことはできるものと考えています。コンピュータのように、正確無比で無機質な伝え方をしない限りは。
文章を書くにしても、話をするにしても。ヒトであれば、多かれ少なかれ「クセ」はあります。
「クセ」というと、あまりイメージがよろしくありませんが。そのクセを放置するのではく、狙いどおりのクセを確立できたらなら。それはそれで、立派なオリジナリティやユニークだと考えることはできるでしょう。
言い換えるなら、「伝え方にこだわる」ということです。
わたしは、ブログやメルマガで、毎日 4,000〜5,000字くらい。多いときには 10,000字以上の執筆をしています。そのなかで、伝え方について考えているのは、たとえばこんなことです↓
- 文章を短く区切る
- 主語と述語に気をつける
- 専門用語を使わない
- じぶんらしい言い回しをあきらめない
なるべく一文を短くする。あたりまえのように見えて、ほんとうに一文を短く書ける人はあまりいません。読み手の好みもあるかとは思いますが、理解のしやすさを重視して、文章は短くしています。
日本語は、主語を省いたり、主語と述語が離れたり、主語と述語がかみ合っていなかったりがあるものです。それが、読み手にとって理解のしにくさにつながることがあるので、気をつけています。
専門用語を使わない、というのもよく聞くハナシではありますが。じゃあ、代わりにどんな言葉に置き換えるのか? によって、オリジナリティやユニークには差が出るところでしょう。
さいごに、じぶんらしい言い回しをあきらめない。なんのこっちゃ? と、思われるかもしれませんが。ブログに関して言えば、毎日、妻の「検閲」が実施されています。
すると、ときには「この言い回しが好きではない」との指摘が入ることもあるわけです。もちろん、それで修正するときもありますが、しないときもあります。しないのは、それが「じぶんらしい言い回し」であるとき。
妻と同じように、「好きではない」と思う読者もいるのでしょうが。それでも、じぶんらしい言い回しをあきらめないことが、ひとつのオリジナリティやユニークになるのかな、と思っているフシがあります。
たとえば、「持って回った言い方」をしたりとか… もしかすると、オリジナリティやユニークを勘違いしているかもしれないわたしです。
じぶんはオリジナル
じぶんは二番煎じだなぁ、と感じることがあります。
なにをするにしても、先駆者がいるもので。先駆者のうしろにいる第二集団よりも、さらにうしろがわたしとなると、二番煎じどころか、三番煎じ、四番煎じです。
これをもって、「やっぱりじぶんはオリジナリティやユニークがないなぁ」なんて落ち込むことがありますが。そんなときには、こんなふうに考えることにしています↓
「たとえ二番煎じだとしても、じぶんという人間はオリジナル」
またまた、あたりまえポエム的なことを… と、思われるかもしれませんが。そうは言っても事実です。まったく同じことをしているAさんとBさんがいたからといって、「Aさん=Bさん」ではありません。
AさんもBさんも、存在自体はそれぞれオリジナルです。だから、二番煎じだからといって、そんなに落ち込むなよ。と、じぶんを励ましています。で、おしまいではありません。
励ましたうえで、行動していることもあります。ひとつは「他人と比較をしない」ということ。よく言われることですが、「他人は他人、じぶんはじぶん」です。
それでも比較をしてしまうのは、ヒトの「さが」ですから、よくよく注意する必要があるでしょう。わたしはとくに、メンタルの弱さもあるので、「他人との比較→劣等感」という連鎖に陥りがちです。
これを断ち切るためには、他人との比較をしないこと。とはいえ、他人を参考にすることはありますし、他人のことが目に入りやすい世の中でもあります。結果、比較をしてしまう…
そこで、もうひとつの行動が「じぶんの芝を育てる」です。よく、「となりの芝は青い」などといいますが。同じ芝だと思うから、となりが気になるのでしょう。
じぶんの芝は、となりの芝とは別モノ。もっと言えば、じぶんが育てているのは、芝じゃなくて花だ。ということであれば、となりを気にすることもなくなります。
じゃあ、オマエの花とはなんなのだ? と、いわれると。まだ見つけきれていない、というのが正直な答えです。いい歳をして、「じぶん探しをしています」みたいで痛さもありますけれど。
ただ、それもまたオリジナルだろう、とは思っています。じぶんの芝・じぶんの花を見つけようとしているのは、じぶんがオリジナルであるからこそではないでしょうか。
まとめ
じぶんにはオリジナリティがない。じぶんはユニークじゃない、と考えることがあります。そんなじぶんをどうするか? について、わたし自身がどうしているかのお話をしてみました。
わたしと同じように、オリジナリティやユニークに自信がない人にとって、なにかしら参考になるようであれば幸いです。
- いろいろ組み合わせてみる
- 伝え方をくふうしてみる
- じぶんはオリジナルだとたしかめる