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ランニング から学んだ人生の走りかた7選

ランニング から学んだ人生の走りかた7選

ランニングをはじめてから6年になろうとしています。そんなわたしが、ランニングから学んだ人生の走りかたについてをまとめてみました。

目次

走るとは、さながら人生のようだ。

ランニングをはじめてから6年になろうとしています。数km走るのもやっと… からはじめて。いまでは、定期的に走らないと「気分が悪くなる」ようになってしまいました。

マラソン大会などへの参加も含めて、ときには、長い距離を走ることもあって、苦しい思いをすることもあるわけですが。そこでよく思うのは、「さながら人生のようだ」ということです。

ランニングとは、走るとは、人生そのものではないか。などと、哲学的なハナシをしようというのではありません。

わたしがランニングから学んだ、人生にも役立つであろうポイントを、「人生の走りかた」として、まとめてみることにしました。具体的には、次の7つです↓

ランニングから学んだ人生の走りかた
  1. もうひとがんばりの意味を知る
  2. 体力の必要性を実感する
  3. ときにはリタイアする
  4. じぶんと対話をする
  5. 達成感の中毒になる
  6. マイペースを貫く
  7. 中間目標を置く

それではこのあと、順番に見ていきましょう。

ランニング から学んだ人生の走りかた7選

1.もうひとがんばりの意味を知る

ときおり、「もうひとがんばり」という言葉を見聞きします。もうひとがんばりしたほうがよいのは、わかる気がするけれど。その「真意」を、わたしはランニングから学びました。

もうひとがんばりとは、「いましかできないツラさをムダにしない」ということです。

どういうことか、というと。たとえばいま、10kmの距離を走ったところだとします。すごくツラい… すぐにでも走るのをやめてしまいたい。ここでやめるのはカンタンですが。

次に同じツラさを味わうためには、また 10kmを走らなければ体験できません。だとすれば、じぶんはいま「貴重なツラさ」に直面していることになります。ある意味、チャンスです。

ここでもうひとがんばりすることで、次は 15kmを走れるようになるかもしれない。逆にやめてしまえば、また次も 10kmの壁に悩まされることになるでしょう。

これは、人生も同じではないかと思うわけです。「ツラいなぁ」というときには、いましかできないツラさだと考えてみる。もうひとがんばりしてみる、というのはどうでしょうか。

2.体力の必要性を実感する

言うまでもありませんが、ランニングをするには「体力」が必要です。なお、ここで言う体力とは、「カラダ」に関することだけではありません。「ココロ」に関する部分もです。

ランニングをするときに、いつもいつも調子がよいわけではありません。ちょっと調子が悪いなぁ、ということだってあります。

それに、体力も「無限」ではないのですから。長い距離を走っていれば、「カラダ」のエネルギー残量は少なくなります。そんなときに必要になるのが、「ココロ」の体力です。

カラダを鍛えるのはもちろんとして、ココロも鍛えておかないと、鍛えたカラダをじゅうぶんに活かすこともできないでしょう。少々カラダが苦しくても、それを支えるココロの強さがあるかどうか。

この点で、ランニング自体にココロを鍛える効果があるように思います。ランニング以外の部分でも、「忍耐強くなった」と実感しているところです。

また、筋トレや瞑想を続けたりできているのも、ランニングによって「体力の必要性」を理解したからだとも考えています。

3.ときにはリタイアする

ランニングをするときに少々調子が悪いくらいであれば、「がんばる」のが基本姿勢です。とはいえ、ときには「かなり調子が悪い」ことだってあります。

そこで必要になるのは、「リタイアするかどうか」の判断です。いまムリをしすぎて、ランニング自体ができなくなってしまうようでは困ります。というのは、人生においても同じことではないでしょうか。

長い人生、いまはひとまずあきらめて、体制を立て直す場面もあるだろう、ということです。「逃げるが勝ち」のことわざもあります。ランニングも人生も、「逃げる」のは選択肢のひとつであると心得ておくのがよさそうです。

4.じぶんと対話をする

さきほど、リタイアするかどうかの「判断」が必要だ、という話をしました。その判断にあたっての「手段」にあたるのが、じぶんとの「対話」だと考えています。

ランニング中は、基本的に「ひとり」ですから。絶えず、じぶんとの対話だと言えます。じぶんのカラダやココロと相談をしながら、「まだ走れるかどうか」の確認をしているイメージです。

であるならば、人生を走る場合においても同じような確認、つまり、じぶんとの対話は大切なものでしょう。

そんなわけで日々、HIIT(高強度インターバルトレーニング)や筋トレをしながら、カラダの調子を確認したり。瞑想をして、ココロの調子を確認したり。夜には、1日の振り返りをして、じぶんとの対話の機会を持つようにもしています。

また、ランニング自体も、じぶんと対話をする「良い機会」になるものです。

5.達成感の中毒になる

ランニングには、なんとも言えない「達成感」があるものと感じています。長い距離であればあるほど、道中の苦しさが大きいほど、その達成感は大きくなるようです。

ランニングが習慣になったのは、達成感の中毒になったからだと言えます。あぁ、またあの達成感を味わいたい。じゃあ、走ろう。みたいな。なので、少々暑かろうが寒かろうが、ランニングを続けられています。

いまでこそそんな感じですが、もちろん、はじめからそうだったわけではありません。なんども「走る」というチャレンジを続けるなかで、気がついたら達成感を得るにいたりました。

だいじなのは、「チャレンジ」です。人生においても、できるだけチャレンジを増やして、そのなかで「達成感」を得られるチャンスを増やしていく。

すると、またチャレンジが増えて、人生をより楽しく走れるのではないかと考えています。

6.マイペースを貫く

ランニングをするときに気をつけていることのひとつに、「マイペース」があります。じぶんのペースで走るのは当然として、そのときどきの調子や状況にあわせて変化させることもまた、マイペースのうちです。

長い距離を走るときほど、この「マイペース」は重要になります。はじめっからムリをして飛ばせば、のちのち厳しいことになるのは言うまでもありません。

この点で、マラソン大会のときなどは、まわりのランナーにつられてしまうものですから、なお注意が必要だったりします。というのは、人生にも似ているなぁ、と思うわけです。

ムリをして病気やケガをしてもよくありませんし、他人を気にしすぎるのもよくありません。ランニングもマイペース、人生もマイペースです。

なお、人生のマイペースを維持しやすくなるように、じぶんなりのルーティーンをつくって続けてみたり、マイルールを明文化したり、ということにも取り組んでいます。

7.中間目標を置く

ランニングをしているときには、「中間目標」を置いています。たとえば、20kmを走るにあたって、「5kmを30分」とか、「10kmを1時間」とか。

これが、中間目標もなしに「20kmを2時間」と考えるのはけっこうツラいものです。わたしにとって、20kmはけして短い距離ではありませんので。

だから、短い中間目標を置くことで、「ひとまず5km」。そこをクリアできたら「また、ひとまず5km」みたいに考えるようになりました。その先のことは、あまり考えないようにしています。ツラいから。

この「中間目標を置く」というのは、人生においても有効な方法だと言えるでしょう。気をつけないと、ヒトは「大きな目標」を掲げがちです。結果として、途中で挫折をしがちです。

達成できるチカラはあるはずなのに、大きな目標、言い換えると「遠すぎる目標」によって、なんだかウンザリしてしまうからではないでしょうか。

というわけで、大きな目標もよいけれど、その手前に中間目標を置くのはおすすめです。

まとめ

ランニングをはじめてから6年になろうとしています。そんなわたしが、ランニングから学んだ人生の走りかたについてをまとめてみました。

ランニングは、歳をとっても長く楽しめるスポーツでもあります。いまからはじめてみる、さらには習慣としてみる、というのはいかがでしょうか。人生を走り抜けるのにも、きっと役立つものと考えます。

ランニングから学んだ人生の走りかた
  1. もうひとがんばりの意味を知る
  2. 体力の必要性を実感する
  3. ときにはリタイアする
  4. じぶんと対話をする
  5. 達成感の中毒になる
  6. マイペースを貫く
  7. 中間目標を置く
ランニング から学んだ人生の走りかた7選

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