人の悩みのすべては対人関係、とも言われます。その対人関係のきっかけになる「他人からの言葉」について、悩んだときの対処法をお話ししていきます。
対人関係が苦手な人たちへ。
『嫌われる勇気(岸見一郎さん・古賀史健さん 著)』で有名になった、アドラー心理学。そのアドラーさん、いわく。「すべての悩みは、対人関係の課題である」と。たしかに、わたしたちは「対人関係」なしに生きていくことはできませんし、そこには大なり小なりの悩みを抱えているものでもあるでしょう。
そんな「対人関係」のきっかけとして、「言葉」があります。他人からじぶんに向けて発せられた言葉。正直、対人関係が得意ではない(苦手だ、と言ってもいい)わたしは、他人からの言葉に悩むこともあります。
とはいえ、じぶんなりの「対処法」を持つようになってからは、だいぶラクになったと感じているところです。そんなわけで、他人からの言葉に悩んだときの対処法について、悩みが生じる「場面別」にお話をしてみます。具体的な場面はこちらです ↓
- 選択を迫られる
- 批判・反対される
- マウントを取られる
- 混乱・迷いが生じる
それではこのあと、順番に見ていきましょう。わたしと同じように、対人関係が苦手だという人のお役に立つようであれば幸いです。
他人からの言葉に悩む場面と対処法
選択を迫られる
他人から選択を迫られる、という場面があります。極論を言えば、「イエスかノーか」の二択を迫られるような場面です。こういったときに、躊躇なく選択できればよいのでしょうが、必ずしもそういうことばかりではないでしょう。
とくに悩んでしまうのは、「ノー」と言いたい。でも、言いづらい… という場面。対人関係が苦手な人は、とかく言いづらさを感じるものではないでしょうか。わたしは、感じます。
そんなときの対処法が、「イエス・バット法」です。これは、相手に対してまずは「そうですね(イエス)」と肯定してから、「しかし(バット)」でじぶんの意見を伝える話法になります。
たとえば、なにかをお願いされたときに、「わかりました。でも、その代わりに〜」と返答をする感じです。「その代わりに〜」が「バット」に当たるわけですが。相手にとって受け入れがたい条件であるほど、結果としては「ノー」になるでしょう。
それでも、表面的にはいちど「イエス」であるために、じぶんとしては比較的言いやすく、相手の気分をあまり害さずにすむ(かもしれない)というメリットがあります。もちろん、嫌なことは嫌だ、と言えるのがいちばんです。が、そんなに割り切れることばかりではないのも対人関係。
悩んだときには、イエス・バット法を取り入れてみるのはいかがでしょうか。
批判・反対される
じぶんの考えや意見について、批判をされる・反対をされることで悩んでしまう… そんなこともありますよね。インターネット全盛の世の中です。個人でも、考えや意見を公に表明できるいっぽうで、批判や反対にされされることも増えました。
そんなときにも負けない、「鋼のメンタル」や「しなやかな心」があればよいのですが。一朝一夕に身につくものでもないでしょう。だとすれば、ひとまずの「対処法」だって必要です。
ここで、覚えておくとよいのが「ハンロンの剃刀(かみそり)」になります。これは、「愚かさのせいだとじゅうぶんに説明できるのに、悪意のせいだと考えてはいけない」という考え方です(いわゆる「オッカムの剃刀」を文字ったもの)。
たとえば、街なかを歩いていたら、だれかに激しくぶつかった。ぶつかった相手に「悪意」があったのではないかと考えて腹が立つ… ところが、実は相手に悪意などなく、じぶんがボーッと歩いていたから(愚かさ)なんじゃないの? というのが、ハンロンの剃刀のいわんとするところです。
批判や反対についても、似たようなものでしょう。そこに悪意がある(嫌われているのではないか?とか)、と考えてしまうから悩みやツラさが生じます。実際にはそんなことはなくて、純粋に、じぶんの考えや意見と「相違があるだけ」かもしれません。
というか、そちらがほとんどだと言ってよいでしょう。世の中には、人の数だけ考え方の違いがあるのですから。すべての人から、すべてについて賛同を得るのは不可能。そういった「割り切り」を持ってみるのはいかがでしょうか。
マウントを取られる
相手よりもじぶんのほうが、優位な立場にあることをアピールする行為を「マウントを取る」などといいますが。そのマウントを取られるような言葉を受けたときには、やはり悩んでしまうことがあるでしょう。
そんなときに、わたしが考えるようにしているのは、「前提条件を確認する」ことです。たとえば、わかりやすいところで「おカネ持ち」を優位性としてマウントを取られたとしましょう。そこには、「おカネをたくさん持つべきだ」との価値観があらわれています。
たしかに、おカネは重要ではあるけれど。「人生の豊かさ」を前提条件にした場合、ほかにも重要なものはあるわけで。必ずしも、たくさんのおカネを持つべきだということでもありません。よって、他人の「〜べきだ」に対しては、「それって、どういう前提のハナシなの?」と考えてみるとよいでしょう。
実際に、相手に確認するのもよいですが、あえて確認まではせずとも、じぶんのなかで自問自答するだけでも、だいぶラクになるところはあるはずです。
なお、相手が考える前提が、じぶんには合わないものであれば、そこは相手の言うことを「理解」したうえで、スルーをしておけばよいでしょう。ここで言う「理解」とは、「そういう考え方もあるよね」ということです。
対人関係において、わたしは「理解」と「同意」の違いには、気をつけるようにしています。前述したとおり、世の中には、人の数だけ「考え方」がありますから、その考え方を「理解」するのはだいじなことです。
けれども、理解したからと言って、同意までするかどうかは別の話になります。理解は示しても、安易に同意まではしない。という、使い分けは必要でしょう。
混乱・迷いが生じる
他人からの言葉によって、じぶんのなかで混乱や迷いが生じることもあります。なんだか自信がなくなってきた… どうしよう? みたいな場面です。
そんなときの対処法のひとつが、「ロールモデル」をイメージすること。ロールモデルとは、じぶんにとって、模範的な考え方や行動をする人物をいいます。
わたしにも、ロールモデルとなる人がいますので、ときおり「あの人ならこんなときどう考えるだろうか? どう行動するだろうか?」とイメージしているところです。すると、混乱や迷いを抜け出す助けになります。
あとは、「心のなかにいる、もうひとりのじぶん」ですね。言い換えると、ほんとうのじぶん、理想のじぶん。「心の中にいるリトル本田にたずねた」という、本田圭佑さんの有名なエピソードもありますし、イチローさんも「もうひとりじぶん」ということを言っています。
そう考えると、日ごろ「もうひとりのじぶん」を育てること、その存在をたしかにすべく、自問自答する時間を持つことも大切だとわかります。
ちなみにわたしは、習慣であるランニングをしているときに、自問自答をしていることが多いです。自問自答をする習慣をつくってみる、というのもよいのではないでしょうか。
まとめ
人の悩みのすべては対人関係、とも言われます。その対人関係のきっかけになる「他人からの言葉」について、悩んだときの対処法があるとラクになるものです。
本記事の内容が、わたしと同じように、対人関係が苦手だという人のお役に立つようであれば幸いです。
- 選択を迫られる
- 批判・反対される
- マウントを取られる
- 混乱・迷いが生じる