自覚なき他者否定をしてしまう理由

自覚なき他者否定をしてしまう理由

他者否定はぜったいにやめるべきだ、というわけではないものの。気がついたらだれかを傷つけていた… ということがないように。自覚なき他者否定をしてしまう理由についてのお話です。

目次

気がついたらだれかを傷つけていた。

他者否定とは、文字どおり、他者を否定すること。

だから、他者否定はぜったいにやめるべきだっ! などというと。「だれも傷つけずにじぶんをつらぬくことはできない」との反論もあれば、「ていど加減の問題だろう」との提言もあるでしょう。

とはいえ、じぶんでも気づかぬうちに他者否定をしていて、気がついたらだれかを傷つけていた… という事態は避けたいものです。いうなれば、自覚なき他者否定。

では、どうして「自覚なき他者否定」をしてしまうのか? じぶんの胸に手を当てて、ありがちな「理由」について考えてみました。次のとおりです ↓

自覚なき他者否定をしてしまう理由
  • じぶんを正当化するため
  • マウントをとるため
  • 白黒つけるため
  • 正論をふるうため
  • クセになっているから

もしかしたら、じぶんもまた、これらにあてはまっているかもしれない。というわけで、それぞれの理由について確認をしていきましょう。

自覚なき他者否定をしてしまう理由

じぶんを正当化するため

じぶんの立場が悪くなる、じぶんの弱みを責められるような場面で、ムキになって反論をしてしまった… という経験はないでしょうか。

このとき、じぶんでは気づかぬうちに他者否定をしている可能性があります。ほんとうは、じぶんのほうに間違いや問題があるのだけれど、相手を否定することで目先を変えようとする。

つまり、痛いところを突かれたときの自己正当化として、他者否定をしてしまうことがあります。

じぶんの意識は自己正当化に向いていますから、相手に対する配慮や遠慮がおろそかになってしまうことがしばしば。結果として、おもいのほか相手を傷つけてしまうことはあるものです。

では、どうするか? ときにはじぶんを疑ってみる、という方法が1つ。ヒトには「自己正当化バイアス」という心理的傾向がありますから、「もしかしたら、じぶんが間違っているのかも」という視点を持つことは有効です。

それから、もう1つ。他人の声に耳を傾ける、という方法もあります。他人は、じぶんが知らない・じぶんが気づいていないじぶんを知っていることがあります。ジョハリの窓でいう「盲点の窓」です。

これら2つの方法によって、自己正当化から抜け出しましょう。

マウントをとるため

他者を比較対象にして、じぶんの優位性を示す。いわゆる「マウントをとる」という行為もまた、自覚なき他者否定につながることがあります。

そもそも、じぶんがマウントをとっていることに気づかなかったりもするので要注意です。わたしもときどきやっていますし、やってきたなぁ… と反省をしているところです。

たとえば、独立・開業について。わたしはいまに満足をしているので、「独立・開業は良いよ!」とクチにすることがあります。それはいいにしても、「勤務(会社員)は良くない」とまでいうのであれば、それはマウントでしょう。

別に、勤務を否定する必要はなく、独立・開業のよさを伝えればよいだけのハナシです。でも、意外とやりがちなので、結果として、だれかを傷つけていることがありえます。

というわけで、必要もないのに他者を比較対象に挙げていないか、必要以上に他者を比較対象に挙げていないか、あらためて確認してみるのがよいでしょう。

白黒つけるため

たとえば、「イエスかノーか」というように、白黒つけようとすることがあります。もちろん、それを必要とする場面(多数決とか)はありますが、世の中常に二者択一ではありません。

どちらかといえば、グラデーションが存在しています。イエスかノーでいえば、どちらかといえばイエスの考え方や、どちらかといえばノー、どちらともいえない、といった考え方はあるものです。白か黒かでいえば、いろんなグレーがある、ということでもあります。

にもかかわらず、白黒つけることにこだわると、グラデーションのなかにいる人たちを傷つけていることはあるでしょう。最近では「多様性(ダイバーシティ)」という言葉も浸透しましたが、クチでいうほど実践はカンタンなものではないようです。

自覚なき他者否定を避けるために、「ほんとうにいま、二者択一が必要なのか」「ほかに選択肢はないのか」といった視点を持つことができるとよいのではないでしょうか。

正論をふるうため

正論をふるうというのは、気持ちのよいものです。正論ですから、相手はそうそう反論することもできません。ゆえに、正論をふるうことで他者否定につながることがあります。

もちろん、正論は正論としてだいじなのですが。正論で割り切れることばかりではないでしょう。ヒトには、言い訳もあれば、逃げ場が必要なこともあるのです。

たとえば、「ウソをついてはいけない!」という正論。けれども、ウソをつかねばならないときはある、ウソをついたほうがよいときもある、という考え方もあるでしょう。

ところが、「どんなときにもウソはダメだ!」といわれれば、「まぁ、それはそうなんだけど…」と反論ができない・反論しづらいということはあるはずです。結果として、相手を傷つけていることもあるでしょう。

そう考えると、正論をふるうにも、相手に対して「言い訳の余地」や「逃げ場」は用意しておきたいものです。

少なくとも、じぶんが悦に入るための正論には、気をつけなければいけません。いわゆる「べき論(〜すべき、という発言)」にも注意です。わたしもやりがちなので、気をつけます。はい。

クセになっているから

単純に、他者否定がクセになっているケースもあります。じぶんでは気づかないほどクセになっている、みたいな。

それでも、気づくためにはどうしたらよいか。じぶんの「口グセ」に注目してみるのはひとつの方法です。人から何かをいわれたときに、「でも」とか「いや」といった言葉をクチにしてはいないか?

これまた、けっこうありがちだったりします。わたしもまた、「でも」は言いがちです。すると、そのあとに続く言葉は他者否定になります。

前述したとおり、世の中はグラデーションなのですから。否定しなければいけないものは、かなり少ないといってよいでしょう。

なので、相手から何かをいわれたときには、「あなたは、そうなんだね」と受け入れたうえで、「わたしは〜」といえばいい。みんな違ってみんないい、という姿勢がよいのではないでしょうか。他者否定の場面が減るはずです。

まとめ

他者否定はぜったいにやめるべきだ、というわけではないものの。気がついたらだれかを傷つけていた… ということがないように。自覚なき他者否定をしてしまう理由についてまとめてみました。

もしかしたら、じぶんもまた、これらにあてはまっているかもしれない。というわけで、それぞれの理由について確認をしてみるのはいかがでしょうか。

自覚なき他者否定をしてしまう理由
  • じぶんを正当化するため
  • マウントをとるため
  • 白黒つけるため
  • 正論をふるうため
  • クセになっているから
自覚なき他者否定をしてしまう理由

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