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「もうこんな時間・もうこんな時期」をなくすための過ごしかた

「もうこんな時間・もうこんな時期」をなくすための過ごしかた

時間の速さを感じているなら。それは、いまのライフスタイルに対する危険信号かもしれません。というわけで、「もうこんな時間・もうこんな時期」をなくすための過ごしかたについてお話をします。

目次

時間の速さにはさみしさがある。

毎日を過ごしているなかで、「もうこんな時間だ!」「もうこんな時期かぁ…」と、時間の速さに驚くことはないでしょうか。

驚くだけならよいのですが、そこに「充実感」がなければ、ある種のさみしさもあるものです。それに、もしかしたら、時間の速さは「いまのライフスタイルに対する危険信号」かもしれません。

というわけで、「もうこんな時間・もうこんな時期」をなくすための過ごしかたについて、わたしが考えていること、実践していることについてお話をしていきます。

「もうこんな時間・もうこんな時期」をなくすための過ごしかた

代謝が低い → 運動習慣と早起きを

時間の速さに対する感覚は、カラダの代謝と関係している、という話があります。代謝が低いときには時間が速く進んでいるように感じ、代謝が高いときには時間が遅く進んでいるように感じる、という話です。

たとえば、寝起きでまだ代謝が低い朝、寒くて代謝が低い冬(とくに年末など)に「忙しい、慌ただしい」と感じたり。代謝が上がる日中や運動時などは、時間の進みがゆっくりに感じたり。といわれると、おもいあたることもあるのではないでしょうか。

代謝が下がると、カラダのなかの時計(時間感覚)の進みが遅くなります。これに比べると、実際の時間の進みが速いことから、時間の進みが速いと感じるわけです。

高速道路で、じぶんだけのんびりと走っていたら、まわりのクルマが速く見える… みたいな。

逆に、代謝が上がると、カラダのなかの時計の進みが速くなります。これに比べると、実際の時間の進みが遅いことから、時間の進みが遅く感じられるわけですね。

高速道路で、まわりのクルマと同じようなスピードで走っていれば、まわりのクルマはそれほど速くは見えない、みたいな。

と、前置きが長くなりましたが。「もうこんな時間・もうこんな時期」と感じるのであれば、代謝が低いからかもしれません。ふだんから、代謝を上げる行動を増やしてみるのもよいでしょう。

わかりやすいところでいえば、運動習慣です。運動自体で代謝が上がることはもちろん、運動をきっかけに身も心も活動的になれば、さらに代謝は上がります。わたしは毎日、HIIT(高強度インターバルトレーニング)や筋トレ、ランニングを組み合わせているところです。

また、早起きをするという方法もあります。逆に遅起きということは、代謝が上がるのが遅くなるということです。すると、日中の時間が短かくなりますから、代謝が高い時間も短くなる可能性があります。

早起きをして早く代謝を上げるほうが、心理的にも時間を長く感じられ、日中の活動時間が多い分、時間の進みがゆっくりに感じられるかもしれません。わたし自身、5時〜5時半くらいに起きているので、その効果を実感しています。

慣れが多い → あたらしいことにチャレンジ

わたしはいま、47歳です。なので、わたしにとっての1年は、47分の1だといえます。では、10歳だったわたしにとっての1年はどうでしょう? 10分の1ですよね。では、どちらの1年がより早く感じるかといえば、47分の1のほうだとわかるでしょう。

47分の1と10分の1ですから、比較して4.7倍も違うことになります。たしかに、10歳のころは時間がいくらでもあるように感じられたなぁ… などと、感傷に浸っている場合ではありません。

いまの話は「ジャネーの法則」といわれるもので、哲学者のポール・ジャネさんが考えたものです。時間に対する心理的な長さは年齢に反比例する、という考え方になります。

歳を重ねていくと、1年の長さが短くなるように感じるのは、「経験が増えていくから」ということもあるでしょう。経験が増えること自体は悪くありませんが、慣れが多くなると新鮮味がなくなり、時間の進みが速く感じるようになります。

いっぽうで、子どものころには、起きることの多くがあたらしいことであり、意識が向いたり、集中する機会が増えることで、時間の進みが遅く感じられるわけですね。きょうはいろいろあって、充実してたなぁ、みたいな。

だとすれば、「もうこんな時間・もうこんな時期」と感じるのは、慣れが多い、慣れが多すぎるからなのかもしれません。というわけで、安直ではありますが、あたらしいことにチャレンジするのがよいだろうと考えています。

といっても、なにかスゴいことをやりましょう、というほどのものでもなく。いつもの仕事のやり方をちょっと変えてみるとか。使っている道具をちょっと変えてみるとか。コンビニに寄ったら、新商品を1つ買ってみるとか。なじみの店には行かない、いつものメニューは頼まないとか。

もしかすると、「そんなことで…」とおもわれるかもしれませんが。そんなことの「積み重ね」が、いずれ大きくなるものではないでしょうか。

わたしは、毎日1つ以上はあたらしいことにチャレンジするのをルールにしていて、それを記録に残しています。記録をすることでチャレンジに対する意識が高まりますし(記録しないといけないからチャレンジしなきゃ!みたいな)、その記録が次のチャレンジへの勇気にもなるものです。

ちなみに、ヒトは「緊張状態」にあるとき、時間を長く感じるといいます。たとえば、発表会やスピーチなどの順番待ちをしているとき、初めての体験を前にドキドキしているとか。つまり、「最近、緊張していないなぁ」というヒトは、時間が速く感じられるのかもしれません。

ムラ・ムダが多い → タスクは細かく短く

わかりやすい例を挙げると、SNSやゲーム、ネットサーフィンなど、気がついたら「あっという間」に時間がたっていた… という経験が、だれにもいちどはあるものと推測します。

これは、それらに「集中」していたことで、時間が速く過ぎたように感じられることもありますが、単純にダラダラと時間を使ってしまっただけということもあるでしょう。

SNSでもゲームでも、ネットサーフィンでも、必要な時間・決められた時間を楽しむのはよいですが、ダラダラと続けてしまうのはよくありませんよね。

ですから、わたしは「タスク」を細かく短く設定するようにしています。ちょっとなにかをするときにも、タスクとして認識をしておく、そのタスクの所要時間を短め(少なくとも余裕を持ちすぎないよう)に決めておくということです。

すると、うっかりダラダラすることは少なくなります。いやぁ、そんな厳しい過ごしかたイヤだよぉ… とおもわれるかもですが。ダラダラする時間は、それもまたタスクとして用意しています。

つまり、ダラダラするならば、あらかじめ決めたうえでダラダラする、ということです。これなら、ダラダラも「ムラ」や「ムダ」ではなくなるだろう、と考えています。

また、タスクを細かく短く設定するということは、それだけ「出来事」が多くなるということです。ヒトは認識できる「出来事」が増えたときにも、時間を長く感じるといいます。ですから、精緻なタスク管理には、そういった良さもあるでしょう。

なお、認識できない出来事はいくら増えても、時間を長く感じることはありません。ダラダラしているあいだも出来事は起きているわけですが、ムラやムダとしてのダラダラである場合には出来事を認識しづらいことから、やっぱり時間が速く感じられる… ということですね。

まとめ

「もうこんな時間・もうこんな時期」をなくすための過ごしかたについてお話をします。時間の速さを感じているなら、それは「いまのライフスタイルに対する危険信号」かもしれません。

あらためて、過ごしかたについて考えてみる、見直してみるのはいかがでしょうか。

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