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2年経ってもYouTube投稿の台本をつくっている理由

2年経ってもYouTube投稿の台本をつくっている理由

YouTube投稿をはじめて2年になりますが、いまなお台本をつくってから撮影をしています。その理由についてのお話です。

目次

台本ないとしゃべれないの?

2020年4月にYouTube投稿をはじめてから、かれこれ2年が経ちました。毎週1本のペースで投稿を続けて、いま現在の投稿動画数は 107本です。

というわけで2年が経ち、100本を超える動画を投稿しているのにもかかわらず(?)、いまなお「台本」をつくっています。つまり、台本をつくったうえで、撮影をしているということです。

これを聞いて、「え〜っ、台本がないとしゃべれないの?」とか、「台本なんてつくるのメンドー」とおもわれるかもしれませんので。わたしが、2年経ってもYouTube投稿の台本をつくっている理由についてお話をしてみます。

具体的には、次のとおりです↓

2年経ってもYouTube投稿の台本をつくっている理由
  • しゃべるのが得意ではないから
  • 時間が限られているから
  • かえって早くおわるから

それではこのあと、順番に確認をしていきましょう。

2年経ってもYouTube投稿の台本をつくっている理由

しゃべるのが得意ではないから

わたしは、必ず台本をつくっています。それも「一言一句」の台本です。実際に、一言一句そのとおりにしゃべるかどうかは別として、台本をつくっています。

もちろん、台本を暗記する必要はありません。撮影した動画は編集ができますから、少しずつ話をして編集でつなぎ合わせれば、きちんと話をしているようには見えます。

などと言うと、まず言われてしまうのが、「え〜っ、台本ないとしゃべれないの?」という痛いひとことです。わたしは、それを否定はしませんし、否定することもできません。

じぶんでは「しゃべるのが得意ではない」という自覚があります。「話す」と「書く」のどちらが得意かと言われれば、断然「書く」のほうです。それはそれとして。

しゃべるのが得意ではないからこそ、台本を書いています。ちなみに「得意ではない」というのは、「まったくしゃべれない…」というわけではありません。

わたしが考える「得意ではない」とは、「必ずしも、わかりやすい言葉・いつもわかりやすい順序でしゃべれない」ということです。つまり、しゃべることはできるのだけれど、あとになってみると「もっとわかりやすい言葉あった…」「もっとわかりやすい順序があった…」みたいな。

この点で、はじめに台本で「言葉」や「順序」を整理できていれば、そのような後悔を避けやすくなります(完璧にはムリにせよ)。

これに対して、「(台本なしで話す)練習をすることだって大事!」という意見もあるでしょう。わたしも、そうおもいます。でも、それはYouTube投稿の場でなくてもよいのでは? というのがわたしの考えです。

ときおり、「話すのが苦手だからYouTube投稿はムリ…」というハナシを見聞きします。わたしからすると、苦手だからこそYouTubeがよいのでは? とおもうところです。

ノーカットで編集もできない「セミナー講師」などに比べれば、いくらでもカット編集ができて、台本見放題のYouTubeは、どれだけ敷居が低いものかは。と、考えているからですね。

みんながみんな、立て板に水のごとく話せるわけではありません。まずは、台本をつくって、台本を見ながら話をしてみる。YouTube投稿に興味があるなら(でも話すの苦手…)、台本をつくってはじめてみる。

しゃべるのが得意ではないわたしだって、なんとかなっているのですからだいじょうぶです。

時間が限られているから

さきほど、「(台本なしで話す)練習をすることだって大事!」というハナシをしました。でも、それはYouTube投稿の場でなくてもよいのでは? というハナシです。

YouTube動画は、ある意味、時間が限られています。自由に何分でも。何時間でも長い動画をつくることは可能ですが、「視聴者側の時間」が限られています。

そういったなかで、「わざわざ」視聴者の方に観ていただいている動画に、「ムダ」なところが多いのだとすれば申し訳ないことです。

わかりやすいところでいえば、「え〜」とか「う〜ん」などという間が多いとか、説明の順序や手際が悪いとか。話し手本人は「練習」のつもりかもしれませんが、大事な時間・限られた時間を使ってYouTube動画を観ている視聴者にとっては「たまったものではない」ともいえます。

まぁまぁ、その場合に視聴者は「途中離脱」ができるわけですが。でも、途中離脱ばかりされていては、いずれまったく観られなくなってしまう… というリスクはあります。

なので、時間が限られている視聴者のことも考えて、できる限りきちんとしゃべることができるように、台本を用意して話をするのもよいのではないでしょうか。しゃべるのが得意ではない人はとくに。

ちなみに、セミナー講師をするときには、まったく台本を用意していません。それはそれでどうなんだ? と、おもわれるかもしれませんが。ノー原稿です。

理由は、その場のフンイキや、参加している方の状況にあわせて、内容をアレンジできるのがセミナーの良さであり特徴だと考えているからです。そういう意味では、YouTubeが「予定調和」なのに対して、セミナーには「柔軟性」があります。

いやいや、しゃべるの苦手なんだろう? と、おもわれるかもですが。全然しゃべれないわけではなく、原稿がなくてもしゃべれる内容だからセミナーをしています。

また、セミナーはYouTubeほど、時間に対する「シビアさ」がありません。ちょっと言いよどんでも取り返せるくらいの時間的余裕はありますし、話をする順序を間違えたりしても挽回できるくらいの時間はあるものです。

というわけで、時間が限られているYouTubeでは、台本をつくってから話をしています。

かえって早くおわるから

それにしたって、台本をつくるなんてメンドーだよねぇ… という声もあるでしょう。

ですが、台本をつくらずに撮影をすることで、しゃべりがうまくいかずに何度も撮りなおしをしたり(しゃべりが苦手な人にはありがち)、編集がタイヘンになったりするのではかえってメンドーです。

むしろ、台本を用意して撮影をするほうが、編集も含めてかえって早くおわるものと考えています。

でも、そこまでしてYouTube投稿する意味はあるのか? という疑問もあるでしょう。しゃべるのが苦手なら、わざわざ台本をつくってまでYouTube投稿などしなければよい。

それも、1つの考え方です。でも、しゃべるのが苦手なわたしが、実際にYouTube投稿を続けてみておもうことがあります。それは、YouTubeにはYouTube特有のメリットがある、ということです。

もはや言うまでもありませんが、いま現在、動画コンテンツは相当数のユーザーにニーズがあります。わたしはこうしてブログを書いていますが、YouTubeをはじめたことで、ブログの読者層とは別の層にアプローチすることができました。

ですから、情報発信のすそのを広げたい、あらたな層にアプローチしたいと考えるのであれば、YouTubeへのチャレンジにメリットがあります。

また、「YouTubeにチャレンジする」とは、「動画スキルを身につけること」と同義です。これから先を見据えたときに、動画スキルはあって困るものではなく、むしろ、あったほうがよいものでしょう。

動画スキルとは、撮影機材や撮影テクニック、編集ツールや編集テクニック、YouTubeチャンネルのしくみや運営方法など、多岐にわたります。直接的にも間接的にも、さまざまな勉強が必要になるため、じぶんの基礎能力を「底上げ」する効果もあるでしょう。

ですから、少々しゃべるのが苦手だとしても、取り組む価値はじゅうぶんにあるものと考えています。

まとめ

YouTube投稿をはじめて2年になりますが、いまなお台本をつくってから撮影をしています。その理由についてお話をしてきました。

YouTubeの動画づくりに対する考え方は、人それぞれです。わたし自身の考え方として、台本の「位置づけ」をお話してみました。ご参考になるところがあれば幸いです。

2年経ってもYouTube投稿の台本をつくっている理由
  • しゃべるのが得意ではないから
  • 時間が限られているから
  • かえって早くおわるから
2年経ってもYouTube投稿の台本をつくっている理由

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