独立をしてからこれまで、ひとり税理士として仕事をしています。いまのところ、「ひとり」をやめるつもりはありません。では、その「ひとり」の意味とは? についてまとめました。
これまでもひとり、これからもひとり。
2016年4月に独立をしてから、「ひとり税理士」と名乗り(師匠にならい)、税理士としてひとりで仕事を続けています。いまのところ、「ひとり」をやめるつもりはありません。
では、ここで言う「ひとり」とは? 文字どおりの「1人」という見た目もあるわけですが、それ以外にも、いくつかの意味があるよなぁ、と考えているのでまとめてみます。
すでにいま、ひとり税理士・ひとり仕事をしている人に対してはもちろん、これから先に「ひとり」になることを考えている方のご参考になるようでしたら幸いです。
というわけで、ひとり税理士(ひとり仕事)の「ひとり」の意味とは? わたしが考えているのがこちらになります↓
- 物理的なひとり
- 心理的なひとり
- 雇用面でのひとり
- 自由としてのひとり
- 責任の所在としてのひとり
それではこのあと、順番に見ていきましょう。
ひとり税理士(ひとり仕事)の「ひとり」の意味とは?
物理的なひとり
物理的なひとりとは? 冒頭でも触れたとおり、見た目上の「ひとり」だということです。
基本的には、仕事スペースにいるのはじぶんひとり。会社勤めをしているときのように、上司や同僚、部下もいません。物理的にひとりぼっちなのです。
こういう状況が苦手だという人もいることでしょう。わたしは得意ですし、ひとりのほうが高いパフォーマンス(生産性)を発揮できることを実感しています。
たまには、カフェやコワーキングスペースなどでも仕事をするのですが、まわりに人がいる状況だと、じぶんのパフォーマンスはグッと下がることも実感しています。
わたしとは逆に、まわりに人がいるほうが集中できるという人もいるでしょうから。物理的なひとりに対する得意・苦手については、自己認識しておくのがよいですね。
ちなみに、人がいるほうが集中できるようにおもえても、実は「その場のフンイキでテンションが上っているだけ」ということもありえます。つまり、パフォーマンスは上がっていない。
なので、パフォーマンスは数値(たとえば所要時間とか)で測定することも大切です。
心理的なひとり
物理的にひとりだということは、「心理的なひとり」にもつながります。
たとえば、上司や同僚などがいれば、じぶんのことを気にかけてくれたり(というフンイキがあったり)、会話をする・飲みに行くなどしてコミュニケーションをとることも可能です。
が、ひとりの場合には、それができません。代わりに「ひとりごと」は多くなります。これだけ聞くと、なかなか切ない状況です。
でも、わたし自身はむしろ、この状況を好んでいます。なぜなら、心理的にひとりだということは、他人から心理的な「ジャマ」を受けにくいということでもあるからです。
いちいち例は挙げませんが、他人の言動が原因でイライラしたり、モヤモヤしたり、悲しくなったりすることってありますよね。ひとりであれば、それらを減らすことができますから、じぶんのやりたいこと・やるべきことに集中しやすくなるわけです。
また、「孤独は人を強くする」というのは、多くの偉人がクチをそろえて言っていることでもあります。なぜ、孤独が人を強くするのかの理由はいろいろでしょうが、大きなものを1つ挙げるのであれば、「じぶんとの対話が増えるから」というのがわたしの考えです。
言い換えると、他人を気にする生き方、他人に影響される生き方から解放されやすくなる。これは、ひとりであることの大きなメリットでもあります。
雇用面でのひとり
わたしは、他人を雇っていませんし、他人に雇われてもいません。つまり、ひとりには「雇用面でのひとり」という意味もあります。
もちろん、雇用にメリットがあることは知っているつもりです。いちおう、20年以上も会社勤めをしていましたし、そのあいだに3件の会社を経験もしました。
とりわけ、雇用をされているということには「いちおうの安定」があるもので、少々カラダをこわして会社を休んでもお給料をいただけたりします。ひとり仕事だと、そうはいきません。
では、雇用のデメリットはなにか? わたし自身の体験から、わたしが一番に考えるのは「上司・部下の関わり」です。
それなりに長く会社に勤めていると、なんだかんだで上司になり、部下ができるようになります。上司の役目のひとつは、部下を育てること。でも、わたしはそれが苦手なんですね。
部下を育てるよりも、じぶんの手足を動かしているほうが好きだしラク。わたしは、えーかっこしー(八方美人)なところがあるので、部下の顔色を見てしまうのでなおさらです。
結果、じぶんの首を締めることになりますし(残業に次ぐ残業で心身をこわす…)、部下も育ちませんから、部下や会社にも迷惑をかけることになります。
というわけで、「上司・部下の関わり」に対する適応度の違いが、ひとりの向き・不向きに影響するのでは? と考えているところです。
自由としてのひとり
ひとりであるということは、自由であるともいえます。完全無欠に自由とまでは言えないにせよ、会社勤めをしているよりは、自由度が高いのは間違いありません。
働く時間も自由、休みをとるのも自由、なにを仕事にするかも自由です。いっぽうで、自由であるがゆえの「危険性」もあります。
たとえば、あまりに自由なので、ついつい怠けてしまう…とか。当然、稼がなくては生きていけないので、生活費に困るような怠け方をすることはないでしょう。
ですが、ほんとうに恐ろしいのは、生活費は稼げるくらいの怠け方をしてしまうことです。いうなれば、「成長へのがんばりはなく、ただただ維持の状況」とでも言いましょうか。
もっとも、会社勤めをしていれば成長できるのか? といえば、必ずしもそうとはいえません。ただそれでも、会社には「他人(上司や同僚、部下)の目」がありますし、個人目標が課されることもあるでしょう。
ところが、ひとり仕事となると、他人の目はなく、目標はじぶんで課さねばなりません。なので、わたしは「意識的」に、「目標を課す(あまり怠けないで済む)しくみ」づくりをしています。
ルールあっての自由、とも言われるところです。じぶんにとってのルール、じぶんのためのルールを課せるかどうかは、ひとりの適性に関わるものと考えています。
責任の所在としてのひとり
ひとりですから、なにをするにも、さいごはじぶんで決めなければいけません。そういう意味で、責任の所在は常にじぶんにあります。
そういうのが苦手な人にとって、ひとりはツラいものであり、上司や会社が責任をとってくれる会社のほうがよい、という考え方もあるでしょう。そこは好き好きです。
わたし自身は、なにかをするのにいちいち上司や会社にお伺いを立てるのにもだいぶ疲れましたので、いまの「身軽さ」には満足をしています。
とはいえ、責任の「所在」には気をつけているつもりです。たとえば、仕事上の判断について、他人にアドバイスを求めるのはよいにしても、責任の最終的な所在はじぶんにあるものと考えています。
ところが、他人からのアドバイスを「責任の最終的な所在(≒判断の根拠)」だと考えてしまうと、「ひとりの身軽さが活かしきれず、じぶんの意見・判断が育ちにくい」という点ではもったいないといえるでしょう。
話は変わって、ひとりになると、じぶんのカラダに対する責任が重くもなります。ひとり仕事の「替え」はありません。そういう意味で、ひとりは「心身の健康ありき」です。
ひとりになると、いろいろ管理の対象が増えますが、「健康管理」もまた、けしておざなりにはできない重要項目であり、実際に管理できるかどうかは「ひとりの資質」の1つだと言えるでしょう。
まとめ
独立をしてからこれまで、ひとり税理士として仕事をしています。いまのところ、「ひとり」をやめるつもりはありません。その「ひとり」の意味とは? についてお話をしてみました。
人の考え方、価値観はそれぞれなわけですが。今回のお話が、すでにいま、ひとり税理士・ひとり仕事をしている人や、これから先に「ひとり」になることを考えている方のご参考になるようでしたら幸いです。
- 物理的なひとり
- 心理的なひとり
- 雇用面でのひとり
- 自由としてのひとり
- 責任の所在としてのひとり