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1年中・1日中仕事をしているのかもしれないし遊んでいるのかもしれない

1年中・1日中仕事をしているのかもしれないし遊んでいるのかもしれない

1年中、ブログを書き続けている。1日中、仕事や勉強、読書をしている。それってどうなの? あまりよくないのでは? ということを、実体験をもとにお話してみます。

目次

ずっと仕事をしているような、ずっと遊んでいるような。

このブログは、いまのところ年中無休です。毎日1記事更新を続けて、きょう(2022年10月29日)で 2,387日めになります。メルマガも同じく年中無休で、毎日配信を続けて 2,221日めになりました。

そういう意味では、1年中仕事をしているように見えるかもしれません。

また、「1日」というくくりで見ても、早朝(5時〜5時半に起床)から「朝のルーティーン」にとりかかり、夕方(15時〜17時のあいだ)に仕事を切り上げてからは、調べ物や勉強をしたり、寝る直前まで読書をしています。

というと、1日中仕事をしているように見えるかもしれません。あるいは、遊んでいなさそうに見えるかもしれません。

この点、その昔は「メリハリがだいじ」だと考えていました。つまり、仕事と遊びの境目をはっきりさせる。平日は仕事詰めだとしても、休日(ほぼ完全週休1日でしたが)は遊びに切り替える! みたいな。

でもいま(独立してから)は、メリハリをつけるどころか、どんどんとあやふやになっているような気がしています。なにしろ、状況は前述したとおりです。

いやいや、ずっと仕事をしているようには見えても、遊んでいるようには見えないけど… と、おもわれるかもしれません。

でも、わたしはそんな状況を、「1年中・1日中仕事をしているのかもしれないし遊んでいるのかもしれない」と考えているところです。

それっていったいどういことなのか? よいことなのか悪いことなのか? といったことについて、次のようなお話をしてみたいとおもいます↓

このあとのお話
  • 仕事でもあり遊びでもある
  • じぶんが決めたことならば苦は少ない
  • 気分のムラが小さくなる

それではこのあと、順番に見ていきましょう。


仕事でもあり遊びでもある

1年中、ブログやメルマガを書いている。と、言いました。ブログやメルマガは、たしかに仕事でもありますが、それだけでもありません。

遊びでもある、と言ったら言い過ぎになるかもですが。いまの時点では、「ライフワーク的」な位置づけにあると言ってよいでしょう。つまり、じぶんが「好き」でやっているのです。

言い換えると、仕事だから「イヤでも、やらなければいけない」というわけではありません。そういう意味ではやはり、ブログやメルマガも遊びのようなもでもあります。そして、実に「真剣」な遊びです。

いずれにせよ、年中続けているからといって仕事ばかりではない、ということなんですね。

勉強や読書なども、同じような位置づけにあります。仕事に活かす、活かせる内容の勉強や読書がほとんどなのですが、勉強や読書自体が「好き」で続けているものでもあるのです。

勉強にしても読書にしても「じぶんが知らないことを知る楽しさ」って、ほかのどんな遊びにもひけをとらないものだとおもうのですがいかがでしょうか。

などというと、ときおり「奇異の目」で見られるのですがしかたない。なにを好きになるか、なにを楽しいと感じるかは人それぞれなのですから、別に気にすることはないでしょう。

なにはともあれ、1年中・1日中仕事をしているように見えても、当の本人は、遊んでいるようなところもある、という話なのでした。

好きを仕事にする、などというハナシもありますが。そこまで極端なものではなくとも、じぶんにとっての仕事と遊びを近づけるという「生き方」もあるよね、とおもうわけです。

逆に、ほんとうに1年中・1日中仕事だけだったら、そりゃあツラいよね… ともおもいます。自分の過去の経験からも。

ちなみに、「ランニング」や「筋トレ」も好きで続けています。これらは、一見すると仕事とは関係なさそうに見えますが、「仕事のパフォーマンスを維持・向上させるため」という目的もあるので、仕事のうちだとも考えています。


じぶんが決めたことならば苦は少ない

仕事でもあり遊びでもある、という話をしました。これを聞いて、「詭弁」とおもわれたかもしれません。たしかに、「物は言いよう」ということはあります。

とはいえ、もし、ブログやメルマガも、勉強や読書も「遊びではなく仕事」だとしても、それでもなお、わたしは「大きな苦しさを抱える」ことはありません。

なぜなら、じぶんが「やる」と決めたことだからです。イヤなら、じぶんの意思だけでやめることができます。

ゆえに、じぶんが決めたことというのは、苦が小さなものなのです。少なくとも、だれかに指示されたり、強制されて、やむなく「やらされている」ことに比べれば。わたしは、やらされているときの「苦の大きさ」を身をもって知っているから断言できます。

そう考えると、たとえ遊ぶにしたって、「1年中・1日中、指示されたとおりに遊べ」と言われたらツラいものになるでしょう。ですから、大事なことは「じぶんが決める」ことだと考えています。

そんなのあたりまえだ、とおもわれるかもしれません。ですが、じぶんが決めたようでいて、実は他人に決められているケースもあります。それは「他人の基準」で、「やる」と決めたときです。

ブロブやメルマガの例を続ければ、他人に「やったほうがいい」と言われたからやるとか。他人の目が気になって、やめたくてもやめられずに続けているとか。これは、「苦」です。わたし自身が経験していることなの、ようくわかります。

他人の基準を「きっかけ」にするのはいいでしょう。なにかをはじめるにあたって、他人の言動がきっかけになることはあるものですから。ただし、その基準はどこかで、じぶんの基準に置き換えるようにしましょう。

そうでなければ、じぶんが大きな苦しさを抱えることになりかねません。


気分のムラが小さくなる

またまた昔話をすると、平日と休日とでメリハリを効かせていたころは、いまに比べて「気分のムラ」が大きかったようにおもいます。

休日のおわりには、いわゆる「サザエさん症候群」のような状態ですね。月曜日の朝は気が重くて、金曜日・土曜日に向かってヤケに気分が上がっていく… みたいな。

これは疲れます。うん、疲れる。マラソンでは、「心拍数を大きく上げたり下げたりすると、疲労の原因になる」みたいなことが言われますが、それと同じようにおもえるのですね。

人生という長い距離を走るのであれば、気分のムラは小さいほうが幸せなのではないか? と、おもうのですがいかがでしょうか。ひとことで「気分」と言っても、気分の種類もいろいろですが、少なくとも仕事に関わるときの気分は、ムラがないほうがいい。というのが、私見です。

この点で、「1年中・1日中仕事をしているのかもしれないし遊んでいるのかもしれない」みたいな状態は、気分のムラを小さく抑える1つの過ごしかたであるように考えています。

仕事でもあり遊びでもあるというように、仕事と遊びの「境目がなだらか」であるほうが、境目がはっきりしているより、「わりと生きやすく快適かも」ということはあるようです。

わたし自身は、いまの生き方・過ごし方が、じぶんには合っていると感じています。まぁ、合う・合わないは人それですが。

なお、平日の日中も、仕事のあいまにランニングやウォーキング、買い物に出かけたり、カフェに出かけたり。会社員であれば、休日にするようなことをしていたりもしますから、そういう面でも、「境目がなだらか」だと言えます。

境目をなだらかにしやすい(スケジュールの自由度が高い)のは、独立することのメリットの1つでしょう。

まとめ

1年中、ブログを書き続けている。1日中、仕事や勉強、読書をしている。それってどうなの? あまりよくないのでは? ということを、実体験をもとにお話してみました。

一見すると、仕事ばかりのように見えても、当の本人は遊びに近い部分もあったりします。当の本人には、メリット(苦は少ない、気分のムラが小さい)さえあったりするものです。

言うまでもありませんが、いろいろな生き方・過ごし方があります。

1年中・1日中仕事をしているのかもしれないし遊んでいるのかもしれない

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