理念なき目標・計画なき目標、そして目標なき計画の危うさと。

理念なき目標・計画なき目標、そして目標なき計画の危うさと。

理念なき目標・計画なき目標、そして目標なき計画の危うさについて。目標を立てるきっかけとして、あるいは、目標を見直すきっかけとなるような話になれば、うれしくおもいます。

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新年の目標は立てましたか?

きょうは 2023年1月8日、年が明けて1週間がたちましたが。新年の目標は立てましたか?

立てたよ! という人もいれば、立てていない… という人もいるでしょう。いずれにせよ、きょうは「目標」をテーマにお話をしてみます。

結論として、「理念なき目標や計画なき目標、そして、目標なき計画は危ういよね」というお話です。目標を立てるきっかけとして、あるいは、目標を見直すきっかけとなるようでしたら、うれしくおもいます。

それでは、いってみましょう。

理念なき目標の危うさ

突然、「理念」などと大仰なことを言われても… と、おもわれるかもしれませんが。ここで言う「理念」、わたしが考える「理念」とは、平たく言えば「どう生きたいか?」です。

ちなみに、わたしの理念は「じぶんの人生を生きる、他人の人生を生きない」。この点で、会社勤めをしていると、会社からの拘束が増えるために、じぶんの人生を生きづらくなります。

会社員だから、じぶんの人生を生きられないわけではありませんが。独立して仕事をしている場合に比べると、相対的に自由度は下がるだろうということです(わたし自身の実体験からも)。

なので、独立して仕事をし続ける(食べていける)ためには、「年収 〇〇万円」が1つの目標になります。これは、理念にもとづく目標の立てかたです。

いっぽうで、ただただ「年収 〇〇万円あったらいいなぁ」というのは、理念なき目標であり、願望・羨望だと言ってよいでしょう。

それはそれ、という考え方はあるものの。理念(どう生きたいか?)がないと、「なんのために働いているんだっけ?」との迷いに陥りがちだったりします。

また、年収が高い人を見るたびに、「年収は 〇〇万円よりも、もっと多いほうがいいよなぁ…」などと目標が揺らぎがちだったりもします。

そう考えると、理念とは「目標の根拠」だとわかります。根拠がない目標であれば、そりゃあ迷いもするし、揺らぎもするよねぇ、というハナシです。

とはいえ、理念なんて言われてもよくわからない… と、おもわれるかもしれません。であれば、5年先や 10年先といった「少し先の未来」をイメージするのがよいでしょう。

その未来で、「じぶんはどうありたいのか? どうあってほしいのか?」。言い換えると、「いまは、できていないこと」でもあります。

目標もまた、「いまは、できていないこと」なのですが、理念との違いは「時間軸」です。理念が「少し先の未来」なのに比べると、目標は「もっと近くの未来」というイメージになります。

なお、わたしが新年に立てている目標は、「1年先の未来」を見据えたものです。その目標を達成できれば、理念の実現に近づけるのか? 近づけるのであれば、それはわたしにとって「正しい目標設定」だという考え方です。

計画なき目標の危うさ

理念を前提にして目標を立てましょう、という話をしました。あたりまえではありますが、「目標を立ておしまい」というわけにはいきません。目標は達成してこそです。

とはいえ、目標を達成するためにはどうすればよいのか? わたしはまず、計画を立てることだと考えています。

いやいや、そんなのあたりまえだろう? と、おもわれるかもしれませんが。そのあたりまえが、なかなかできていないものではないでしょうか。少なくとも、過去のわたしはそうでした。

目標を立てて満足をするタイプです。そして、気がつけば半年。あれれ〜、なにもしてないぞぉ… みたいな。

ですから、目標を立てるのと同時に、計画を立てるのがおすすめです。と言っても、わたしは必ずしも「年間計画」を立てているわけではありません。

多くの目標については、「この1ヶ月でなにをするか?」を決めるだけ。月初めのタイミングで、「この1ヶ月のあいだ」になにをするのか? だけを決めておきます。その先は未定です。

たとえば、「Excelマクロを利用して、〇〇の作業時間を〇〇%削減する」という目標なら、今月の計画は「Excelマクロの本を〇冊読む」といった具合です。

そのうえで、週初めに進捗状況を確認すれば、手つかずのままにはならずに済むでしょう。

また、わたしは毎日のスケジュールのなかにも、計画を織り込むようにしています。本を読むのであれば、「〇時〜〇時まで〇分のあいだ本を読む」とスケジュールしておくのです。

つまり、計画実行のための時間を「あらかじめ天引き」しておく。ここまでしないと、じぶんがやらないこと、計画なき目標が達成されないことを、わたしは経験として知っています。

だいじなことは、綿密な年間計画を立てることではありません。実行可能性が高い計画を立てること。その計画に沿って、具体的な行動を起こすことです。わたしにとっては、「毎朝、時間を天引きする」のがカギになっています。

目標なき計画の危うさ

毎日のスケジュールのなかに、計画を織り込むといいですよ、という話をしました。この点で、毎日のスケジュールを綿密に組んでいる、という人もいるでしょう。

ところが、そのスケジュールが「目標」に沿ったものでなければ、そこにもまた危うさがあります。

極端な例で言えば、1日のスケジュールが、目標の達成とは関係がない会議やら、来客対応やら、メール・電話の対応やらで埋まっているのだとしたらどうでしょう?

どれだけ綿密に組まれたスケジュールであったとしても、目標は達成できず、ひいては理念の実現にいたることもありません。これはなかなかツラい状況だと言えます。

似て非なる状況として、そもそも目標がない計画にも注意が必要です。目標はないが、スケジュールはみっちり、綿密に組まれている… といった状況です。

ややもすると、がんばっている感があるかもしれませんが、あるとき、ふと気がつくでしょう。あれ? なんのためにがんばっているんだっけ… と。これもまたツラい状況だと言えます。

目標がないと、スケジュールは「目先の雑事」で埋められがちになるものです。目先の雑事とは、言い換えなるなら「過去の後始末」であり、未来を変えられない行動です。

未来を変えたいとおもうのなら、理念を実現したいとおもうのなら(わたしはおもいます)、目標に沿ったスケジュール・目標に沿った計画を立てるのがよいでしょう。

目標なき計画もまた、理念なき目標・計画なき目標と同様に危うさがあるものです。

まとめ

理念なき目標・計画なき目標、そして目標なき計画の危うさについてお話をしました。わたし自身は、「理念・目標・計画」はどれひとつ欠けてもいけない、「3つで1セット」と考えているところです。

目標を立てるきっかけとして、あるいは、目標を見直すきっかけとなる話になったようであれば、うれしくおもいます。

理念なき目標・計画なき目標、そして目標なき計画の危うさと。

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