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誰のために書くかよりも誰かのために書く、そして何のために書くか

誰のために書くかよりも誰かのために書く、そして何のために書くか

書くことについて、「誰のために書くか」というハナシがありますが。誰のためよりも、誰かしらのためでいい。そのうえで、何のためにかくか? ということについて、じぶんの考えをまとめました。

目次

誰のためよりも、誰かのためでいい。

2016年4月にブログをはじめて以来、きょう(2023年5月6日)まで、毎日なにかを書き続けてきました。

この点で、「書いてはみたいけれど、何を書けばよいかわからなくて書けない…」との声を見聞きすることがあります。たしかに、ブログをはじめた当初のわたしもそうでした。

また、読者(ターゲット層)をあきらかにして書きましょう、といったハナシもあります。さらには、ペルソナ(より具体的な読者像)を設定して書きましょう、というハナシまで。

それができれば苦労はしない、とおもわれるかもしれません。わたしもやっぱり、そんなことをおもっていましたし、いまなお、おもっているところがあったりもします。

つまり、「誰のため」に書くのかを決めるのってカンタンじゃない、そうおもうわけです。結果、「誰のため」にこだわるあまり、書けないのでは本末転倒な気もします。

だから、わたしはいつのころからか、「誰のため」はあまりこだわらなくなりました。そのうちまた変わるかもしれませんが、いまのところは、そんな感じです。

そのうえで考えているのは、「誰のため」にまで明確ではなくとも、「誰かのため」に書くでいいんじゃないか? ということです。そんな、テキトーなことを言う… とおもわれるかもですが。

試行錯誤、暗中模索の日々をゆく。

誰かのために書く、とは。すなわち、誰かの役に立つために書くことです。書きたい! という欲求の源泉は、突き詰めると「誰かの役に立ちたい」ということなのではないでしょうか。

その「誰か」が明確であるに越したことはありませんが、不明確なら不明確でも、誰かしらの役に立てる分には欲求は満たされるところはあるわけで。

そういう意味では、なにかを書くごとに「誰か」は変ってもいいのではないか、ともおもうのですね。つまり、読書層や読書像がブレてもかまわない、書くたびに変化してもかまわない。

なので、「これを書いたら、どこかの誰かの役に立つかもしれないなぁ」と考えるのであれば、ひとまず書いてみる。書いてみて、世の中に向けて発信してみる(ブログ、メルマガ、SNSなど)。

そこで「手応え」をえられれば、次は確信をもって「誰か」を特定することもできるでしょう。

とはいえ、手応えなどないこともありますから(わたしの場合にはそれがほとんどです)、そのときには、また別のなにかを誰かに向けて書いてみればいい。試行錯誤であり、暗中模索です。

なお、「誰かしらの役に立てばいい」ということなら、同じことを何回書いてもいい、同じことを何回発信してもいい、と考えることもできます。

なぜなら、「誰か」は不特定多数ですし、その「誰か」がいつ、じぶんの書いたものを目にするか? そのタイミングをコントロールすることはできないからです。

なんども書き続けることで、ようやくリーチできる(誰かに届く)ということもありえます。なので、同じことをなんども書くのは1つの方法ですし、うっかり同じことを書いてしまったとしても「まいっか」というのがわたしの考えです。

そんなことで稼ぎにつながるのか?

ところで、わたしがブログを書き続けるのは、「稼ぐため」という理由がゼロではありません。というか、多分にあります。ブログに限らず、メルマガしかり、Kindle本しかり。

もっとも、わたしに限らず、「書くからには稼ぎたい」「稼ぐために書きたい」という人がほとんどであるものと推測します。だとすれば、書いたことが稼ぎにつながらなければいけません。

この点で、「誰のためよりも、誰かのためでいい」などとノンキなことを言っていてだいじょうぶなのか? と、おもわれるかもしれません。その心配はごもっともです。

ただ、それでも稼ぎにつながると言える理由が、わたしには3つあります。次のとおりです。

理由1・書かねばはじまらない

ノンキなことを言っていては、稼ぎにつながるはずもない。と、考えてばかりいて(実際には、考えているフリをしているだけだったりしますが)、いっさい書かなければどうでしょう。

当然、なにも起こりません。バッターボックスに立たなければ、ホームランを打つことは絶対にできないのですから、とりあえずバッターボックスに立つのは大事なことだとおもっています。

もちろん、マグレ当たりでホームラン! なんてことはありませんが、デッドボールで出塁くらいはできる可能性があります。要は、チャレンジなき場所に、チャンス無し。そういうことです。

書いて稼ぎにつなげたいのであれば、書くしかない。書いてナンボです。誰かしらの役に立てばいい、とノンキに書き続けることでも、「手応え」をえられることもあるのは前述したとおりです。

理由2・楽しくなければ伝わらない

稼ぐためであれ、なんであれ、そもそも「書きたい」のは、「書くのが好きだから」だったりするものです。書くのが嫌いな人は、別に稼ぐ道を探すのがフツーでしょうから。

では、書きたいから書くのであれば、何を書けばよいのか。そりゃあ、「書きたいこと」を書くのが一番です。誰かの役に立つことを考えるあまり、書きたくもないことを書くのは苦行にほかなりません。

いっぽうで、書きたいこと、つまり、じぶんが好きなことを書くときには、「他とは違う輝き」が宿るものだと考えます。同じテーマで書いたとしても、他人とはデキが違う! みたいな。

よく言いますよね、好きこそものの上手なれって。そして、好きなものを楽しんでいる姿というのは、ハタから見ていても魅力的に映るものです。

結果、仕事の依頼に繋がりやすくなる、稼ぎに繋がりやすくなる、ということもあるでしょう。

理由3・書けばストックが増える

書くことによる稼ぎは、書いたものからえられる直接的な収入ばかりではありません。

なお、ここで言う「直接的な収入」とは、たとえば、ブログの広告収入やアフィリエイト収入、noteのような課金コンテンツであれば、その収入など。

それらも、大事な収入ではありますが、もっと大事なのは、書くことで「ストックが増える」という点です。

人は、書くことによって、ほんとうの意味で「理解」ができます。書かずとも、考えることで理解はできるじゃないか? と、おもわれるかもですが。考えるだけでは、明文化しきれません。

なので、わかっているとおもっていたはずのことを、誰かに説明しようとしたらうまくできなかった… ということがあるのではないでしょうか。明文化せず、わかったつもりになっていたことが原因です。

いっぽうで、いちど文章として書いたことがあると、格段に説明がしやすくなります。じぶんのなかに「言葉のストック(理解)」ができているからです。

このストックを活かして、セミナーを開催したり、YouTubeのコンテンツをつくったり、別の道で稼ぎやすくなるのは、書くことの効果だと言ってよいでしょう。

まとめ

書くことについて、「誰のために書くか」というハナシがありますが。

誰のためよりも、誰かしらのためでいい。そのうえで、何のためにかくか? ということについて、じぶんの考えをまとめてみました。書くことについて、考えるきっかけにしていただけるようでしたら幸いです。

誰のために書くかよりも誰かのために書く、そして何のために書くか

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