7年半以上のあいだ、ブログを書き続けています。なぜなら、そこにはメリットがあるから。ラクではないにもかかわらず、書き続けるほどのメリットなのか?そのあたりをお話ししてみます。
いままた独立をするのだとしても。
気がつけば7年半以上のあいだ、ブログを毎日書き続けています。いまなら生成AIを使って、お手軽にブログを書くこともできるわけですが。それでもなお、自力で書き続けているのはなぜなのか?
ブログを書き続けることにはメリットがあるからです(メリットだけが理由ではないにせよ)。ということで、そのメリットをあらためて整理してみます。
オワコンと言われて久しいブログですが、いまだにおわっていないのは、書き手にメリットがあるからかもしれません。だとしたら、これからブログをはじめるのも、まだまだアリでしょう。
わたしは、独立と同時にブログをはじめました。もし、いままた独立をするのだとしても、ブログをはじめることを選びます。
ポジショントークと言われたらそれまでですが、生半可に続けられるほど、ブログの毎日更新もラクではありません。それでも更新をしていることは、たしかにメリットが存在する証だともいえます。
と、前置きが長くなりましたが、わたしがおもう「ブログを書き続けるメリット」がこちらです↓
- 売りになる
- 学びになる
- 負荷になる
- 自信になる
- 素材になる
それではこのあと、順番にお話をしていきます。
ブログを書き続けるメリット
売りになる
ブログを7年半、書き続けています(しかも毎日更新)。などという人は、それほどいるものではありません。ですから、どちらかといえば「奇異な目」で見られることになるでしょう。
とはいえ、独立して仕事をしていると、それも大事なことです。つまり、「ほかの人とは違うなにか」は売りになります。記憶の片隅にでも、残してもらいやすくなるものです。
すると、仕事の依頼をいただきやすくなる、ということはあるでしょう。まずは知ってもらう、覚えてもらうのは欠かせませんから、売りがあればアドバンテージになります。
もちろん、売りはブログに限りません。極論なんだってよいわけですが、ブログのいいところは「カタチに残る」ところにあります。だれの目から見ても存在があきらかです。
これが「〇〇に強い」のように抽象的な売りとなると、だれの目から見てもあきらかとはいえなくなります。すると、実際の売りにはなりづらいのが困ったところです。
また、ブログはネット上に蓄積されることでもカタチに残りますから、のちのちの検索からでも、仕事につながることはあります。よって、長きにわたって売りになるのもメリットです。
同じ書くでも、次から次へと流されてしまうSNSでの投稿とは異なります。
学びになる
いうまでもありませんが、ブログを書き続けるには「ネタ」が必要です。そのためには、相応のインプットが欠かせません。わかりやすいところでは、たくさん本を読むとか。
ただ、同じ読書であっても、ブログを書いているのと書いていないのとでは、学びの質・量が異なるのでは…?というのが、わたしの経験則です。
ブログを書き続けていることで、わたしは常にネタを求めています。それが、読書中にも無意識的にはたらいているので、より多くの気づきをえやすく、より多くのアイデアにつながりやすい。と、そんなふうに感じるのですね。
この点、ブログをはじめたころには「ネタがない〜」と、頻繁にアタマを抱えていたものですが、7年半もたったいまではそのようなことはなくなりました。
ネタがない、なんてことはありえない。との思考に変わったからです。というように、ブログを書き続けることは、学びの質・量が変化するという点で、メリットがあるものと考えます。
負荷になる
ブログを書き続けるのもラクではない、と前述しました。1年365日、毎日1時間はブログを書く、ということをイメージしていただければ、ラクではないことがわかるでしょう。
もっとも、毎日書き続ける必要はありません。それでもなお、毎日書き続けているのは、じぶんにとっての良い負荷になるからでもあります。手首や足首に、常に重りを付けている感じです。
すると、自然にチカラがつきますから、重りを外したときには、まるで羽が生えたかのごとく身軽に動けます。って、いまのところ、重りを外すことはないわけですが。
ただ、ブログを書く時間を確保することは、「時間を有効に使う」ための動機になることは間違いありません。逆に、ブログを書き続けていなければ、わたしはもっとグータラしてるでしょう。
人間とは弱いものですから、少々負荷をかけるくらいがよいだろうともおもうわけです。まぁ、それも後付けであり、はじめは負荷に振り回されていました。なんど重りを外そうとおもったかわかりません。
それでも外さなかった重りが、いつしかチカラになる。実体験が証のメリットです。
自信になる
負荷になる、という話をしましたが。ひいては、自信にもなるものです。なんど重りを外そうとおもったかわからない、とも話をしました。それでも外さなかった胆力は、自信になります。
わたしはもともと、飽きっぽいし、投げ出しやすいタチです。そんなわたしだからこそ、書き「続ける」ことは自信にもなるのでしょうが。とはいえ、自信になるのは胆力だけではありません。
これまた前述した「学び」も、自信となってあらわれます。書き続けることで、そのあいだに、学びの質・量が変わったのだとしたら、やっぱり自信になるものです。
本当に変わったのか?と、おもわれるかもしれませんが。それは、過去のブログ記事を見返してみればわかることでもあります。ここでも、カタチに残るブログはメリットです。
ここに、「考える・話す」と「書く」との決定的な違いがあるとおもっています。考える・話すとは、ある部分では手抜きであり、ラクをする行為です。手間を惜しまず書くからこそのメリットがあります。
素材になる
再三の繰り返しですが、ブログはカタチとして残ります。記事のひとつひとつが、のちのちの素材として活かせるのはメリットです。
たとえば、過去の書いた記事をまとめなおして、セミナーを開催するとか、Kindle出版をしてみるといったことができます。というように、書き続けたブログは「素材」になるわけです。
すると、発信の幅が広がります。じぶんの発信を目にする人の裾野が広がります。ところが、ブログなどを書くことなく、考えているだけ・話しているだけとなると、そうもいきません。
カタチとして残っていないものは、素材にはなりえない(あるいは、なりにくい)からです。
この点、毎日のブログはじぶんの思考の記録でもあります。人の記憶は頼りないものですし、考えも変わるものですから、記録が残っていることであとから確認できるのもメリットです。
いずれにせよ、ブログはのちのちに素材として活かせるよさがあります。
まとめ
7年半以上のあいだ、ブログを書き続けています。なぜなら、そこにはメリットがあるから。ラクではないにもかかわらず、書き続けるほどのメリットなのか?そのあたりをお話ししてみました。
情報発信ということを考えるのであれば、「まずはブログ」が、わたしのおすすめです。結局のところ、「書き続ける」という行為自体にメリットがあるのであり、だとすると、ブログが本質的にオワコンになることはないだろう、とおもっています。
- 売りになる
- 学びになる
- 負荷になる
- 自信になる
- 素材になる