じぶんが書いた本が書店の棚に並ぶということ

じぶんが書いた本が書店の棚に並ぶということ

じぶんが書いた本が、出版されました。というわけで、書店の棚に並びもしたのですが、いろいろとおもうところがあり、そのあたりの正直な気持ちをお話をしてみることにします。

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想像と体験のあいだにあるもの。

先日(2023年12月19日)、はじめての単著による本が販売開始となりました。これを受けて、じぶんが書いた本が書店の棚に並ぶ、という経験をすることができたわけですが。

これを受けて、いくつかわかったことがあったので、お話をしてみることにします。といっても、とくに目新しい発見というのではなく。あらためてわかりました、といった内容です。

だったら、あえて書くほどのものでもなくね?という指摘があれば、もっともだといえます。ただ、想像しているのと、実際に体験してみるのとでは「相応の違い」もあるだろうということで。

じぶんが書いた本が書店の棚に並ぶということ

あこがれの平積みは難しい

平積みとは、書店において「棚に並べられる」のではなく、表紙を上に向けた状態で積み重ねる陳列方法をいいます。というのは、多くの人が知っていることでしょう。

実際に、書店では平積みの本を見ているはずですし、平積みの本に注目をしているはずです。で、わたしの書いた本はどうなのかというと。わたしが知るかぎり、平積みはされていません。

近所の書店、加えて横浜駅近の書店に足を運んでみましたが、棚に並べられているのみでした。冊数も1冊ということで、正直、まわりの平積みを目にするとさみしい気持ちにもなりますね。

わたしが執筆した本のタイトルは「税理士必携 顧問先の銀行融資支援スキル 実装ハンドブック」というものであり、表向きは「税理士向け」です。つまり、対象読者が税理士に限られます。

だとすれば、そもそもの発行部数が少なめにならざるをえないのであり、あこがれの平積みが難しいことは理解していました、アタマでは。でも、いざ目にしてみると、ちょっとさみしかったり。

ということで、じぶんの本が書店の棚に並んでみると、「平積みがいかにスゴいことであるか」が、あらためてわかったというしだいです。

出版したからといって、平積みになるわけではなく。平積みにしたいからといって、できるわけでもなく。平積みどころか、そもそもの配架が1冊のみだったりもするわけで。

おいおい、せっかく出版できたのに、そんな悲しいこと言うなよー。と、おもわれるかもですけど。まずは、いつわらざる正直な気持ちを打ち明けてみました。とはいえ、けして悲観ばかりをしているのでもありません。

それでも、ゼロイチの喜びは大きい

さきほど、わたしが書いた本は「税理士向け」だと言いました。だとすればむしろ、一般書店に並ぶことのほうが驚きだったりもします。来店者に占める税理士の割合は、ごくごく少ないものでしょうから。

という意味では、書店の棚に並んだ本を見て、嬉しい気持ちもあります。ゼロであったところに、イチを生み出した。いわゆるゼロイチの喜びというものを、感じてもいます。

あこがれの平積みではないさみしさもありますが、どちらかといえば、ゼロイチの喜びのほうが断然に大きなものであることを、書店の棚を眺めながら実感をしたわたしです。

この光景を写真におさめたいなぁ、とおもったものの。勝手にスマホをかまえれば、デジタル万引きの疑いをかけられることにもなりかねず。だからといって、店員さんに声をかけてまでは…

みたいなことで、書店に並ぶ本の姿は、写真に収められずにいます(笑)記念としては、撮っておきたいのですけどね。いつか機会があればとおもいつつ、いまは、心のシャッターを切るにとどめておくことにします(←急にポエム)。

ちなみに、リアルの書店とは別に、Amazonなど、ネット上の書店もあるわけで。そちらでも、わたしの本は売られていますし、書店よりもそちらで買われる方のほうが多いことでしょう。

それはそれで嬉しいものですが、にしても、リアルの書店に「実物」が並んでいる姿は、別モノの嬉しさであることがわかりました。

これだけネット社会になり、じぶんもまた、本はほとんどネットで買うくせに、なぜリアルの書店に本が並ぶこと(それも平積み)に魅せられるのか?不思議なものではあります。

多くの人のチカラによって実現されたこと

書店でじぶんの本を目にすると、こんなふうにも考えます。世の中には、これだけたくさんの本があり、じぶんの本はそのなかの1冊にすぎない。それは、どの本にあっても同じことです。

が、だからといって、カンタンに本を出版できるわけでもありません。書店の棚に本が並ぶまでには、多くの人のチカラが必要であり、多くの人のチカラによって実現されたことがわかります。

そもそも、わたしは、誰かのチカラがなくとも、じぶんのチカラだけで文章を書くことは可能です。ところが、それを書店に並べるとなると、出版社のチカラが必要になります。

出版社が本を出す以上、わたしの書いた文章を「素通し」で本にするわけにはいかず。わたしのクセすごな文章を、編集者さんが根気強く手を入れてくださいました。構成面などもあわせて。

そうして文章が完成しても、書籍タイトルやカバーデザイン(表紙)の考案やら、印刷やらで、多くの人のチカラをお借りしていることになります。わたしのあずかり知らぬところで。

本ができたらできたで、こんどは売り込み(営業)です。わたしのチカラでは絶対にムリなところにまで、出版社が売り込みをしてくれます。書店もまた、その1つです。

わたしが、じぶんで本を書いて書店に持ち込み、「1冊でいいから置いてください!」とお願いをしても、聞いてくれるものではありません。1冊でさえ、書店の本棚に並べるのはタイヘンなのです。

そういえば、わたし。じぶんのチカラだけで文章を書くことができる、といいましたが間違いですね。わたしが文章を書くようになったのも、書けるようになったのも、多くの人たちとの出会いがあって、そこから学び続けることができたからこそでした。

そのうえ、今回の出版にいたったきっかけとして、複数の方々による出版社への推薦もありました。わたしの場合、本当に多くの人のチカラがあって、出版は実現されていることなのです。

書店の棚に並ぶ、1冊の本を見ながら、あらためて感謝のおもいを強くしたのでした。

まとめ

じぶんが書いた本が、出版されました。というわけで、書店の棚に並びもしたのですが、いろいろとおもうところがあり、そのあたりの正直な気持ちをお話をしてみることにしました。

なお、初出版にいたるまでの過程について、セミナーを開催します。定員は少人数なのに、まだ残席あります…(←人気ないの?って感じです)。詳しい内容やお申し込みはこちらから↓

じぶんが書いた本が書店の棚に並ぶということ

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