つい最近も、とある企業で、巨額の粉飾決算があかるみになりました。でも、ちょっとした粉飾決算ならバレないんじゃないの?というのであれば違います。粉飾決算は必ず罰を負う、そんなお話です。
そして社長は手を染める
実際には赤字なのに、会計帳簿を操作して黒字と見せかける…いわゆる粉飾決算があります。
この点、中小企業が粉飾決算をする最大の理由は、「銀行融資を受けるため」だと言ってよいでしょう。赤字となると、銀行は融資をしてくれない。このままでは資金繰りがもたない。融資を受けるためには、黒字でなければならない。
そうして、社長は粉飾決算に手を染めるわけです。
つい最近も、とある企業で、巨額の粉飾決算があかるみになりました。金額もさることながら、約50もの銀行に対して粉飾決算をおこない、融資を引き出していたというから驚きです。
だったら、ちょっとした粉飾決算などバレないんじゃないの?と、おもわれるかもしれませんが。それは間違いです。粉飾決算をすれば必ず罰を負う。というのが、わたしが知っている真実です。
ではなぜ、「必ず」などと言えるのか?
いまはバレていないだけ
ときおり、「粉飾決算をしてもバレない・バレていない」という社長のハナシを見聞きします。でもそれは、「いまは」バレていないだけのことにすぎません。いつかはバレるのです。
前述した、とある企業の粉飾決算でも、約50もの銀行にいたるまで粉飾決算がおこなわれてはいたものの、結局はバレました。粉飾決算をしている過程ではバレていないとしても、さいごはバレるわけです。
この真実を、理解できていない社長がいます。ではなぜバレるのか?
1つは内部告発です。みながみな、粉飾決算という悪事に飲まれるものでもありません。なかには、不正を正そうと試みる人もあらわれます。ゆえに、粉飾決算をはじめとする悪事の多くが、内部告発によってあかるみになるのです。
加えて、もう1つ。粉飾決算に関していえば、「銀行の目」があります。社長がダマそうとしている相手たる銀行が、ダマされることなく粉飾決算を見抜いている。つまり、銀行にはバレている。
この点、「いやいや、銀行からは何のおとがめもありませんよ」という社長もいますが。銀行が何もいわないことと、バレていないことはイコールではありません。
社長との直接のトラブル(粉飾を指摘したら社長が逆ギレ…とか)を避けようとする、賢明な銀行員であれば、粉飾決算は見て見ぬフリをしつつ、新規融資を控えて既存融資の回収をはかるだけです。
これを「おとがめなし」と勘違いしているのであれば、愚の骨頂だと言ってよいでしょう。
で、融資が受けられず、徐々に資金繰りが悪くなっていく会社は、気がつけば倒産…そして、多額の粉飾決算をしていたことがあかるみになる、ということもあるわけです。
というように、粉飾決算は必ず罰(さいごは倒産)を負うものと、わたしは考えています。安易な気持ちで粉飾に手を出さないこと、バレないとタカをくくらないことです。
いつかバレるかもという恐怖心
粉飾決算をしてしまう社長であっても、「罪」の意識はあるものです。よって、粉飾決算をしているあいだは「いつかバレるかも」という恐怖心を抱えることになります。
その恐怖心は、折にふれてあらわれるものであり、ツラいものであるはずです。などというと、ツラさがわかるのは、オマエが粉飾をしたことがあるからなのか!?とおもわれるかもしれません。
もちろん、粉飾をしたことはなく、あくまで想像をしているだけです。でも、ある悩み事を抱えていると、ふとしたときにも思い出してしまい、ツラい気持ちになる…という経験ならば、誰にでもあるでしょう。
だから、恐怖心もまた似たようなものだろうと想像しています。そのうえで、もし、本当に恐怖心にさいなまれるようなら、それもまた「罰」だと言えるでしょう。
粉飾決算をしているあいだずっと、恐怖に怯え続ける日々を送らなければならない…わたしは想像するだけで、ウンザリします。朝起きた瞬間から、「きょうもバレずに過ごすことができるだろうか?」などとは考えたくないものです。
ちなみに、恐怖心は多かれ少なかれオモテにあらわれます。話をしていても、挙動に不自然なところがあったり、発言にも自信が感じられず、不審な点があったり、など。
そういったオモテのようすは読み取れるものだ、というハナシを銀行員の方から聞いたことがあります。銀行員は百戦錬磨、多くの社長と相対しているのですから、読み取れるのも当然でしょう。
なので、つい見え隠れしてしまう恐怖心がもとで、粉飾決算を銀行に見抜かれることもあるわけです。恐怖心とはヒトのあかしなのであり、避けられないものでもあります。
だとすれば、粉飾決算を隠すのがいかに無理ゲーであるかもわかるはずです。
恐怖心もなければ極悪人です
いましがた、ヒトであれば恐怖心は避けられない、という話をしました。これを聞いて、「いやいや、わたしは大丈夫ですよ。粉飾決算をしていても恐怖はまるで感じません」というのであれば、もうヒトではない何かでしょう。
百歩譲ってヒトだとしたら、「極悪人」です。あなたは極悪人として生きたいですか?と聞かれて、「はい、生きたいです」と答える人は、ごくごく少数派だとおもわれます。
にもかかわらず、極悪人として生きることになるのだとすれば、それもまた「罰」を背負わされたと考えるべきでしょう。
つまり、本来は極悪人などではなかったはずなのに、粉飾決算をきっかけに、極悪人になってしまった…なんともツラい罰です。本人がツラいのはもちろん、親兄弟、妻や子供など、家族を悲しませることになります。
悲しませるだけでは済まず、孫の代まで影響を与えることになりかねません。極悪人に近しい者として、社会的な制裁を受け続けることになるかもしれない、ということです。
ここまでの話をすれば、さすがに「極悪人はイヤだ」とおもえる人も増えるでしょう。
というわけで、百にひとつ、粉飾決算がバレなかったとしても、そして、いつかバレるかもという恐怖心がなかったとしても、極悪人に成り下がるという「必罰」が待っているのです。
あらためて、粉飾決算は必ず罰を負うことを理解しておきましょう。
まとめ
つい最近も、とある企業で、巨額の粉飾決算があかるみになりました。でも、ちょっとした粉飾決算ならバレないんじゃないの?というのであれば違います。粉飾決算は必ず罰を負う、そんなお話をしてみました。
今回のお話が、「ほんの出来心でつい…」という粉飾決算への抑止力となれば幸いです。