かれこれ4年ほど、YouTube投稿を続けています。が、ある意味では成果が振るわず。では、そんな状況でもなぜYouTubeを続けられるのか?その理由についてお話をしてみます。
ふつうだったらやめちゃうよねー、という状況
2020年4月にYouTube投稿をはじめるようになって、まもなく4年になろうとしています。チャンネル登録者数は4,400人くらいです。
と聞けば、多くの人は「よくそんな状況で続けられるなぁ」と、驚かれることでしょう。もちろん、感心の驚きではなく、呆れるほうの驚きです。
つまり、4年もYouTubeをやっていて、そのような成果(多くの人は「チャンネル登録者数=成果」と見ています)では、やめたほうがよくない?みたいな。
実際、直接的にも、間接的にも、そのようなことを言われることもあるわけで。とはいえ、いまのところ、YouTubeをすぐにやめる予定はありません。
ではなぜ、そんな状況でもYouTubeを続けられるのか?ふつうだったらやめちゃうよねー、ということを前提に、お話をしてみようかとおもいます。具体的には次のとおりです↓
- ツラすぎないから
- 結局は好きだから
- 反応を頂けるから
- 自分が凡人だから
- 効率化されるから
このあと、順番に説明をしていきます。
そんな状況でもYouTubeを続けられる理由
ツラすぎないから
YouTubeで、どのていどの投稿をするかは人それぞれです。たとえば、頻度。わたしの場合は、ほぼほぼ週に1回です。けして、頻度が高いわけではありません。
基本的には、頻度が高いほど負荷が増してタイヘンになるでしょうから、頻度が高くないことは続けやすくする要素の1つだと考えています。タイヘンじゃないから続けられる、ということです。
裏を返せば、タイヘンだったらやめたくもなるでしょう。いうまでもなく、ツラければツラいほど、続けられなくなる可能性は高まるわけです。
そのうえで、続けたいと考えるのであれば、ツラすぎない環境づくりをおすすめします。投稿頻度が高ければ高いに越したことはありませんが、それが原因で続かないのでは元も子もありません。
いっぽうで、ツラすぎない頻度を決めたのであれば、それを「守る」のも大事なことだと考えています。これが、「今週は忙しいから投稿はやめておこう」などとなれば、継続を妨げるきっかけになるものです。
ヒトは弱いものなので、いちどラクを覚えると「今週も忙しいから…」となってしまいます。なので、わたしは頻度こそ高くはありませんが、投稿をサボったことはありません(いまのところ)。
結局は好きだから
いましがた、ツラすぎないようにというハナシをしましたが。そうはいっても、続けることはけしてカンタンではありません。頻度が高くはないとしても、ツラいときだってあるのです。
人間、毎日生きていればいろいろあるものでしょう。わたしにだってありますよー、というハナシです。それでもなお、心折れずに続けることができるのはなぜなのか?
これは極論かもしれませんが、「結局は好きだから」です。もしも、わたしがイヤイヤながらもYouTubeをやっているのだとしたら、さすがにここまでは続いていません。
このブログもそうなのですが、結局は好きだから続いている、というのは無視できない要素だと考えています。だから、続けたければまずは好きになりましょう!とは、いかないわけで。
誰だって、始めるときには興味を持って始めるし、楽しそうかも・好きそうかもといった気持ちが少なからずあるはずです。つまり、「結局は好きかどうか」は続けてみないとわからないものでもあります。
ツラい局面がありながらも、なんだかんだと続けているときに「あー、結局は好きだったんだな」と実感をするのですね。まぁ、身もフタもないハナシではありますが。
反応を頂けるから
正直にいうと、好きだからというだけでは「やっぱりツラい」ということはあります。そんなときでも、じぶんを支える励みとなるのが「反応」です。要は、視聴者からの評価やコメントです。
おいおい、承認欲求がバリバリじゃねーの。と、おもわれるかもしれませんが。そのとおりです。ヒトである以上、承認欲求から完全に逃れることはできないものと、わたしは考えています。
まぁ、完全に言い訳です。承認欲求を克服できない言い訳です。それはさておき、やっぱり発信をしている以上は、高評価をいただいたり、感謝のコメントなどをいただければ嬉しくなります。
あー、続けていてよかったな。ようし、もっと多くの人の役に立てるようにがんばろう!となる気持ちは、わかっていただけるものとおもいます。人間とは(わたしだけ?)単純なものです。
ということもあって、わたしはコメント欄を公開にもしています。非公開にすれば、せっかくのコメントをいただくこともできませんから。
ちなみに、ごくごくまれに、批判的・否定的なコメントが入ることはありますが。考えは人それぞれなので、「そういう考え方もあるよねー」でいいでしょう。議論はしないようにしています。
自分が凡人だから
別に、じぶんを卑下する意図はありせんが、わたしは凡人です。凡人が何かことを成そうとするのであれば、「継続」は欠かせないものであり、大きな武器にもなるものと考えています。
逆に、凡人が継続を放棄することは、あまりよい選択だとはおもえません。もちろん、続けることが必ずしも正解とは限らないのですが、多くの人は「早くにやめすぎ」です。
言葉を選ばずにいえば、胆力なさすぎ。そんなにカンタンにうまくいったら、誰も苦労はしていません。苦労もまた、必ずしも必要な要素ではないものの、苦労を避けすぎるのもいかがなものかです。
わかりやすい例を挙げるなら、365日素振りを続けたバッターと、1週間で素振りをやめてしまったバッターと、どちらが成果を挙げられそうかといえば、前者でしょう。
なかには、とんでもない天才がいて、素振りなんかしなくてもOK!というケースはありえます。でも、じぶんは天才なのか?わたしは凡人です。だから素振りが必要だとおもっているし、「続けることは大事なこと」だと考えています。
世の中には、継続を過小評価する向きもあるようですが、凡人は注意したほうがよいでしょう。
効率化されるから
いまは、YouTubeを1本投稿するのにかかる時間は、3時間くらいです。企画→台本づくり→撮影→編集→サムネづくり→アップロード、これらをまるっとぜんぶで3時間。
この点、YouTubeをはじめたばかりのころは、倍くらいはかかっていました。と考えると、だいぶ効率化されたわけです。これは、ものごとを続けることのメリットでもあります。
何ごとも、続けることでコツをつかんだり、くふうができるようになって、効率化の効果を得やすくなるものです。結果として、前述した「ツラさ」は軽減されるようになります。
ところが、効率化の効果を得るにも相応の継続は必要です。ちょっと続けたくらいでは、効率化の効果はあらわれず。ゆえに、ツラいからやめてしまう人が少なくありません。
あともうちょっと続けていたら、状況は変わったかもしれないのにね。と、わたしは実体験をへて考えられるようになりました。あえて抽象的なアドバイスをするのなら、「ツラいときほど粘り腰」です。
やめるのは、そのあとでも遅くはありません。
まとめ
かれこれ4年ほど、YouTube投稿を続けています。が、ある意味では成果が振るわず。では、そんな状況でもなぜYouTubeを続けられるのか?その理由についてお話をしてみました。
続けることが必ずしも正解ではないものの、続けられない人が多いからこそ、続けるにはどうしたらよいかを優先的に考えてみるのはいかがでしょうか。今回のお話が、そのときの参考になれば幸いです。
- ツラすぎないから
- 結局は好きだから
- 反応を頂けるから
- 自分が凡人だから
- 効率化されるから