決算書にはウソがあるから見ても意味ない、というハナシを見聞きすることがあります。が、そんなことはないだろうというのが、わたしの考えです。なので、その理由をお話ししていきます。
ウソとはつまり、粉飾・誤り・選択の幅
会社の決算書について、ときおり見聞きするハナシとしてこんなものがあります。それは…
「決算書にはウソがあるから見ても意味ない」
ここでいう「ウソ」とは、端的にいえば、粉飾決算や経理処理の誤りです。
粉飾決算とは、実際よりも利益を水増しすることであり、税金を減らすために利益を少なく見せることを「逆粉飾」といいます。いずれにせよ、事実と比べたときには「ウソ」です。
また、粉飾決算のように「意図」したものではなくとも、経理処理を誤れば、結果としてはやはり「ウソ」になります。
この点、多くの中小企業では(大企業のように厳しい監査はない)、多かれ少なかれ粉飾や経理処理の誤りはあるんじゃないの?ウソがあるんじゃないの?と、いう見方もあるわけです。
さらにいえば、経理処理には「幅」があります。たとえば、複数の減価償却方法から選択できるなど。だとすれば、各社の選択によって利益も変わりうることになります。
そうなると、何が真実の利益かはわからないともいえるのでは?そのようにウソがある決算書を、一生懸命に見たところで意味がないのでは?ましてや、他社と比較するなんてさらに無意味だ。
みたいなハナシがあるのですね。が、わたしはそうは考えていません。
ウソがあったとしても、決算書を見ることには意味があるし、他社と比較をすることにも意味があると考えている派です。では、その理由とは?について、このあとお話をしてみます。
具体的には、次のとおりです↓
- 数字は唯一無二のモノサシ
- だからこそ正す意志を持つ
- 他社もウソがある中での比較
このあと、順番に解説をしていきます。
決算書にウソがあっても見る意味がある理由
数字は唯一無二のモノサシ
いうまでもありませんが、決算書には「数字」が記載されています。数字を扱うメリットは、ほかにはない「客観性」です。1は誰が見ても1であり、10は誰が見ても10で変わりありません。
いっぽうで、「たくさん」とか「ちょっと」といった言葉には、主観が混じります。わたしが考える「たくさん」は10かもしれませんが、あなたが考える「たくさん」は20かもしれません。
ですから、もし、会社の業績をあらわすのに「数字」が使えないとなると、やっかいなことになります。社長が、社員と業績の共有ができない(実績や目標を、社員に明確には伝えられない)。あるいは、銀行などの外部関係者にも業績を理解してもらえません。
そもそも、社長自身が困ります。なぜなら、数字がなければ、自社の業績を「計測可能」なカタチで把握することができないからです。そういう意味では、毎月の試算表をつくっていない会社では、社長の業績把握は「あいまい」といわざるをえません。
ことほどさように、数字はほかにない客観性を持つ道具であり、唯一無二のモノサシです。となると、その数字によって業績が示された決算書を見ない、という選択肢はありえないことがわかるでしょう。
おもうに、「決算書にはウソがあるから見ても意味がない」というのは、決算書を見たくない・見方を知らない人の言い訳です。ほかには同等の客観性を持つ道具はない以上、決算書をないがしろにすることは理にかないません。
だからこそ正す意志を持つ
数字が唯一無二であることはわかった。とはいえ、その数字にウソがあるのだとしたら、やっぱり意味はないでしょう?と、おもわれるかもしれませんが。
ウソがあるかどうかは、数字を見たからこそわかることです。言い換えるなら、数字を見たからこそウソに気がつくこともできる、ということになります。
そうしてウソに気がつくからこそ、それを正そうとする意志が生まれるのだとすれば、やはり、決算書を見る意味はあります。逆に、決算書を見ずにいれば、ウソを放置することになりかねません。
意図的な粉飾のほかにも、意図しない経理処理の誤りや、選択の幅もあるといいました。決算書を見ることで、それらと向き合い、あらためていくのは「社長の仕事」です。
だとすれば、ウソがあるから見ても意味がないなどというのは、社長の怠慢だといえます。多かれ少なかれウソがあることを前提に、決算書を見ること。そのうえで、ウソがあるからこそ、それを正す意志が大切であるものと考えてみましょう。
結果として、より意味のある決算書に近づくはずです。
他社もウソがある中での比較
多くの中小企業には、多かれ少なかれ決算書にウソがあるというのなら、いわゆる「同業他社比較」など意味がない。というハナシも見聞きします。でも、それもまた違います。
なぜなら、ていどの差こそあれ、多くの中小企業にウソがあるのだとすれば、みな条件はいっしょだからです。というのは、やや詭弁にすぎるので、もう少し現実的な話に置き換えると…
たとえば、粉飾決算をする会社には、「共通する傾向」があらわれるものです。売上債権回転期間が延びるとか、利益とおカネの動きが乖離するとか。これらは、粉飾によるウソの影響です。
したがって、そういった会社の傾向と、自社の傾向とを比較することで、自社のウソや自社の危険性(粉飾は倒産へのはじまり)に気づくきっかけにできます。
もちろん、粉飾であれば、社長に自覚があるのでしょうが(ないのはさらに問題)、同業他社比較をすることで、自社の経理処理の誤りや、同業他社との違いに気づけるのもメリットです。
ちなみに「同業他社との違い」とは。たとえば、自社の「棚卸資産回転期間は長い」とか。一見すると弱みのようにもおもえますが(過剰在庫や不良在庫?)、実は「豊富な品ぞろえで短納期が売り」なのであれば、むしろ強みです。
その強みは、銀行融資を受けるにあたって、銀行にアピールするのに役立ちます。
と、少し話が逸れましたが、多くの中小企業にウソがあるのだとすれば、みな条件はいっしょです。同じ条件のなかでの比較なのですから、まったく意味がないなどということはありません。
まとめ
決算書にはウソがあるから見ても意味ない、というハナシを見聞きすることがあります。が、そんなことはないだろうというのが、わたしの考えです。なので、その理由をお話ししました。
もちろん、ウソは正したほうがよいことは大前提として。たとえ、ウソがあったとしても、それでも決算書を見る意味を理解しておきましょう。
ウソがあるから見ても意味がない、というのは、決算書を見たくない・見方を知らない人の言い訳にほかなりません。
- 数字は唯一無二のモノサシ
- だからこそ正す意志を持つ
- 他社もウソがある中での比較