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どこであきらめるか?「あきらめない」の判断基準

どこであきらめるか?「あきらめない」の判断基準

あきらめるか、あきらめないか。迷ってしまうことがあるでしょう。そんなときのために、「あきらめない」の判断基準があるといいですよ。というわけで、具体的な基準を提示してみます。

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数々のことをあきらめてきたクチだから

あきらめたらそこで試合終了ですよ。とは、いわずと知れた名言であり、あきらめないことの大切さを教えてくれます。とはいえ、ものごとはけして「一辺倒」ではありません。

勇気ある撤退もあれば、引き際の美学もあるでしょう。あきらめないことと同様に、あきらめることだって重要なのだ。だから、オレは・ワタシはあきらめる!などというのであれば詭弁です。

わたしもそうして、数々のことをあきらめてきたクチだからわかります。それでもいまは、昔に比べればだいぶマシになっただろう、というのが自己評価です(←注・じぶんに甘い)。

このブログにしても、メルマガやYouTubeにしても、ランニングや筋トレ、瞑想などにしても、年単位で続いているものが増えました。ブログにいたっては、3,000日毎日更新が迫っています。かつてのじぶんからすれば、まさに奇跡です。

とはいえ、「やめてしまおう、あきらめよう」と考えたこともありました。そのたびに自己問答を繰り返し、なんとかかんとかあきらめずにきた過去があります。

なんだかだいぶ説教臭くなってきましたが…要は「過去から得られた教訓」があって、具体的には「あきらめない」の判断基準について、お話をしてみようとおもっているわけです。

つまり、あきらめるか・あきらめないかで迷ったとき、どういうときにはあきらめないのか?という目安になるものを提示してみます。「あぁ、じぶんはあきらめがちなんだよな」と自覚される方にとって、何かしらのご参考になれば幸いです。

「あきらめない」の判断基準

他人との比較

まず、1つめの基準は「他人との比較」です。たとえば、「じぶんは、〇〇さんと比べて全然ダメだなぁ。だから、あきらめよう…」みたいな。これって、ありがちだとおもうのですよね。

ひと昔前と比べても、いまは「他人との比較」が容易な時代になりました。良くも悪くも、です。スマホが普及し、SNSアプリが普及し、1億総発信者時代ともいわれます。ゆえに、誰もがカンタンに他人と比較できてしまうのです。

むしろ、比較などしたくもないのに、比較せざるをえない状況が、スマホやSNSにはあります。ええいっ、SNSなんかやめてやる!スマホなんて捨ててやる!ともいかないところが、ツラいところです。

では、どうするか。他人との比較をできるだけやめることです。とはいえ、何かをやめる「だけ」が難しいことは研究でもわかっています。やめるためには、「代わり」にすることがあるほうがよいことがわかっているのです。

たとえば、「お菓子を食べるのをやめよう」だけだと難しく、「お菓子を食べたくなったらガムをかもう」だと、ガム(代わり)によって、お菓子をやめやすくなる。みたいな。

同じ要領で、他人との比較も「代わり」を用意します。もうわかっちゃったかもしれませんが、他人と比較するのではなく、「じぶん自身」と比較をすることです。

もう少し具体的にいうと、きのうのじぶんや、1年前のじぶんなど、「過去」のじぶんと「いま」のじぶんとを比べます。そのときに、「成長」や「変化」を確認できれば、それが自信や満足となり、「まだ、あきらめない」との選択もできるでしょう。

人間は、他人と比較をするのがサガでもあるので、完全にやめることはできないものです。それでも、できるだけ他人との比較を避ける、ということであれば実現可能だと考えます。

他人との比較であきらめるなんてもったいない。他人との比較をしているうちは、あきらめないようにしましょう。あきらめるなら、じぶんとの比較においてです。

成果が出ない

これだけやっているのに成果が出ない…もう、やめちゃおっかな。などと考えたことが、誰にもいちどくらいはあるでしょう。わたしは、たくさんあります!(←注・自慢にならない)

ただ、ここ最近は(4〜5年くらい?)、「成果を急ぎすぎではないか」を自問するようになりました。もちろん、成果が早く出るに越したことはありません。ですが、ものごとのなかには、時間がかかることだってあります。

取り組む人間の能力の違いもあれば、時の運(タイミング)だってあるわけで。何より、望む成果が大きいことほど、時間がかかると考えたほうが自然でしょう。にもかかわらず、ちょっと試したていどで「成果が出ない」のは当然です。

これをわたしは、「胆力なさすぎ症候群」と名付けています。世の中の99%くらいの人たちは、基本的に胆力なさすぎなのです。あきらめるのが早すぎな人がほとんどなのです。

もっとも、胆力なさすぎにも「ていど」があります。わたしもまた、胆力なさすぎだとの自覚はありますが、その昔に比べれば、胆力は鍛えられました。それこそ、じぶんとの比較です。

いやまぁ、言っていることはわかるけど、そうはいっても成果が出ないのはツラいじゃない?と言われればそのとおりです。というわけで、ここでも「代わり」を用意しましょう。

成果を評価する代わりに、「挑戦」を評価する。これがいま、わたしが実践していることです。できる・できない(成果)も大事ではあるけれど、それ以前に「挑戦」していることに意義がある。そう考えることにしています。

あきらめないということは、何かしらの課題を自覚し、その課題に取り組んでいる証です。ゴールは見えずとも、ゴールへの一歩を踏み出そうとしているじぶんは「評価」したってよいはずです。

いっぽうで、あきらめて何もしないのであれば、それは怠慢であり、評価に値しないともいえます。だから、成果が出ないからといってカンタンにはあきらめない。もっと長い目で、胆力をもって臨みましょう、というハナシです。

ツラい

ツラいことを続けても意味がない、とのアドバイスがあります。人生は有限なのだから、どうせなら楽しいことをやりましょう!たしかに、それも否定はできません。

とはいえ、これもまた、長い目で見たほうがよいでしょう。なぜなら、楽しいもののなかには、「ツラい」からスタートすることだってあるからです。

たとえば、わたしにとってのランニング。はじめたのは、いまから8年くらい前になります。もともとは長距離走が苦手で、数km走るのがやっとでした。それでも、習慣としてのランニングを続けていくうちに、いまではなんとかフルマラソンも走れます。

さすがにフルマラソンはツラいですが、ふだんのランニングは大好きになりました。気がつけば。

つまり、ツラいからはじまり、楽しくなることもあるのです。これって、「できるようになるから、楽しくなる」という順序もあるよね、といったハナシだと考えています。

何でもはじめからできるものでもないので、すると、つまらないし、ツラいとも感じるものでしょう。でも、そこをちょっとガマンして、できるようになってくると、少しずつおもしろくなってくる。少しずつ楽しくなってくる。

では、どのくらいからできるようになるのかは、ケースバイケースです。ものごとにもよりますし、各人の資質や能力によるところもあるでしょう。

そこをふまえたうえで、ツラいことを理由にあきらめない、という考え方ができるとよいだろうとおもうわけです。言い換えると、「できるようになってもツラいのか」を自問してみる、ということになります。

できるようになってもなおツラいのであれば、それはやめたほうがよいのかもしれません。でも、できるようになったら楽しそうだ、というのであれば、まだあきらめるのは早いかも。わたしは、そう考えるようにしています。

まとめ

あきらめるか、あきらめないか。迷ってしまうことがあるでしょう。そんなときのために、「あきらめない」の判断基準があるといいですよ。というわけで、具体的な基準を提示してみました。

わたしなりの基準ですから、万人にあてはまるものでも、受け入れられるものでもありません。それでも、気になるものがあれば試してみたり、じぶんにとっての基準を考えるきっかけにしていただければ幸いです。

どこであきらめるか?「あきらめない」の判断基準

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