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発信はみなに必要だとおもうワケ

発信はみなに必要だとおもうワケ

SNSやブログ、メルマガにYouTubeなど。発信の手段が増えているなかで、発信することはみなに必要だとおもうワケについてお話をしてみます。

目次

ずいぶんと煽ってくるじゃないの

わたしはこうして日々、ブログで「発信」を続けています。ほかにも、SNSやYouTube、メルマガなどでも発信を続けているところです。

どこまでを「発信」というのか、その定義は人それぞれかもしれませんが、それでも発信の手段が以前に比べれば増えているという点では、異論が少ないものと想像します。

そのうえで、わたしがおもうのは「発信はみなに必要だ」ということです。つまり、これだけ発信の手段が増えているのだし、お手軽にもなっているのだから、誰もが発信をしたほうがいいよ。

などと言えば、「それは、アンタのポジショントークだろう」と責められるのかもしれません。まぁ、それはそれで否定もしませんが、発信はみなに必要だといえる「根拠」はあるし、実際の「経験」をへたからこそのおすすめでもあります。

というわけで、発信はみなに必要だとおもうワケがこちらです↓

発信はみなに必要だとおもうワケ
  • インプットが定着する
  • 情報を知識に変換する
  • 伝えるチカラを鍛える

どっかで聞いたことがあるような…と、おもわれるかもしれません。そんなことはわかっている!と、おもわれるのかもしれません。でも、わたしは知っています。それでも多くの人が、発信をしていないという現実を。

おいおい、ずいぶんと煽ってくるじゃないの?というのであれば、違います。なにより、ひと昔前のわたし自身が発信の「は」の字もしていなかったのであり、エラそうにいえる身分でもないからです。

なので、この話は過去のじぶんに向けた懺悔でもあり、また、ひと昔前のわたしのような人に対して、発信をはじめるきっかけになればとの思いでする話となります。

それでは、前掲した「発信はみなに必要だとおもうワケ」について、説明をしていきましょう。

発信はみなに必要だとおもうワケ

インプットが定着する

発信には、インプットした内容が定着するという働きがあります。あまり断言するのもどうかとはおもいますが、少なくとも、何も発信をしないよりは定着しやすいとはいってよいでしょう。

ここでいうインプットとは、たとえば「読書」が挙げられます。いろいろと本は読むけれど、その内容が身につかないのよね…というのは、読書あるあるのひとつです。

それは、インプットするだけでアウトプットしていないからなんじゃないの?ということは、脳科学的にもさまざまな実験により、あきらかにされています。

そのアウトプットとして、発信が有効な手段であることもまたあきらかです。実際、わたしも読書でインプットしたことを、発信することで身についているのを実感しています。

なお、発信は一度や二度ではなく、同じ内容を、日々の発信を通じて何度も繰り返し発信をしていることも少なくありません。すると、インプットした内容がより定着しやすいとも感じています。

そりゃそうでしょう、というハナシですが。でも、日々発信を続けたり、何度も繰り返し発信をしたりしている人は「ごく少数派」でしょうから、そりゃそうだろうというハナシをあえてお伝えしています。

とはいえ、いきなり発信といわれても…という人もいるでしょう。お手軽なのは、X(旧Twitter)やThreadsあたりではないでしょうか。少ない文字数からでも、発信がしやすい手段です。

読書に関していえば、読書記録として投稿をしてみるのもよいでしょう。ひとまず、「じぶんのため」の記録とおもえば、他人の目もそれほど気にせずにすむはずです。ハードルはできるだけ下げて、とにかくはじめてみることをおすすめします。

情報を知識に変換する

インプットに関していえば、わたしたちは日々膨大な量の情報を見聞きしています。現代において、ヒトが1日で接する情報量は、平安時代の人々の一生分、江戸時代の人々の1年分などともいわれているところです。

ただ、その膨大な情報も、単なる情報でしかありません。単なる情報とはつまり、個別分散した情報であり、体系立ってはいないということです。

いっぽうで、体系立てられた情報とは、端的にいえば「知識」であり、知識が深まれば「知恵」とも呼ばれます。だとしたら、情報よりも知識や知恵のほうが役立つことはわかるでしょう。

この点、発信をすることが、情報を知識や知恵に変換する「きっかけ」となります。

たとえば、「複数の事実」を整理することで、判断や行動の指針となる「知識」を発信する場としてのブログが一例です。いっぽうで、日々、SNSやニュースアプリを閲覧することで、膨大な量の情報に接しているだけで、知識にまで変換されていないことはよくあります。

1か月前に見たニュース(2か月前でも、1年前でもいいですが)で、いまのじぶんに役立っていることはありますか?いまのじぶんに変化を与えたニュースはありますか?

といわれても、多くの人は回答に困ってしまうでしょう。ヘタをすれば、ニュースの内容すら思い出せないかもしれません。なぜなら、単なる情報を「記憶」するにも限度があるからです。

もっとも、記憶しているだけではあまり役にも立たないので、発信を通じて、まずは情報を知識に変換していきましょう、というハナシをしています。知識とは、日々の判断や行動にも利用されることから身につきやすく、記憶に頼る必要もなくなるものです。

伝えるチカラを鍛える

いまいちど、情報について。このあいだ聞いたばかりの〇〇のことを、誰かに説明しようとしたけどうまくできなかった…みたいな経験は、誰にもあるのではないでしょうか。

これは、「情報が知識にまでなっていないから」ということはありますが、それとは別に、言語化できていないからだともいえます。

言語化とは、カンタンにいうと、じぶんの考えていることを言葉にすることです。これがなかなか容易ではありません。〇〇について聞いたことはあっても(情報として知ってはいても)、それをじぶんのクチから誰かに伝えることは、それほどカンタンではないのですね。

この点、発信とは言語化の場であり、発信を通じて、伝えるチカラを鍛えることができます。いやいや別に、わたしは作家でもなければ、ライターでもないから伝えるチカラなんて関係ない。

というのであれば、違います。伝えるチカラは誰にも役立つものであり、ないよりあったほうがよいものです。仕事でメールを書くにしても、プライベートでLINEのメッセージを送るにしても、伝えるチカラが弱い人からの言葉や文章はわかりにくい。

結果として、こちらが求める成果を得にくくなったり、誤解を招きやすくなったりす、損をするのはじぶん自身です。もちろん、伝えるチカラは文章だけではなく、会話にもあらわれます。

なんか、ハナシがわかりにくいなぁ…という人は、ふだん発信の機会がない人・少ない人である可能性が高いでしょう。進化するテクノロジーへのカウンターカルチャーとして、人間的なコミュニケーションの重要性があらためて問われるいまだからこそ、伝えるチカラを鍛えることも大切です。

まとめ

SNSやブログ、メルマガにYouTubeなど。発信の手段が増えているなかで、発信することはみなに必要だとおもうワケについてお話をしてみました。

要は、発信をすることが、誰かの役に立つかもしれないのと同時に、じぶんにとっても大きなメリットがあるということです。

発信はみなに必要だとおもうワケ
  • インプットが定着する
  • 情報を知識に変換する
  • 伝えるチカラを鍛える
発信はみなに必要だとおもうワケ

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