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がんばる・がんばらないの基準

がんばる・がんばらないの基準

すべてをがんばればいい、というのは正論です。が、すべての資源は限られているのですから、そうもいかないのが現実…だとすれば、がんばる・がんばらないの基準が大事だというお話です。

目次

僕が真面目かどうかは

ひとつの精神論ではありますが、「がんばるか・がんばらないか」という判断がありますね。もちろん、「すべてをがんばればいい」というのは正論です。とはいえ、すべての資源(気力・体力・時間…)は限られているのですから、そうもいかないのが現実でしょう。

では、どうするか?

がんばる・がんばらないの判断基準が役立ちます。逆に、そのような基準を持たなければ、なんでもかんでもがんばってしまうのはリスクです。なんでもかんでもがんばってしまう真面目な人ほど注意を要します。

僕が真面目かどうかはわかりませんが、僕が考えている「がんばる・がんばらないの基準」について、お話をしてみることにしましょう。

がんばる・がんばらないの基準

がんばるか・がんばらないか、その基準はおおむね3つあります。

好きか・楽しいか

1つめの基準は、好きか・楽しいか。って、好きや楽しくなければがんばらないでしょう?と、いわれるのであれば、そうでもありませんよね。

一般論として、楽しくもない仕事をがんばっている(寝る間も惜しんで仕事をしている)というハナシはあるわけで。実際には、嫌いなこと・楽しくないことほどがんばっている…そんな状況はありえます。

ありえます、などというのは無責任なので。僕自身がそうでした、という話を申し添えましょう。好きでもない仕事、楽しくもない仕事も、かつてはがんばっていました。

誤解のないように、さらに申し添えると、会社が悪いわけではなく、万人にとって好きでも楽しくもない仕事ではありません。あくまで、「僕にとっては」という点は強調しておきます。

それはさておき、いまは独立をしたことで、好きな仕事・楽しい仕事が増えました。たとえば、このブログはその1つです。仕事のためにはじめたブログではありますが、いまや趣味もかねてます。

好きや楽しくなければ、8年半ものあいだ、毎日更新し続けることなどできません。もっとも、短期的には、ツラい局面はあります。長い目で見れば、好きで楽しくとも、いまこの瞬間など短い時間で捉えれば、ツラいことはあるものです(たまーに、体調が悪いときとか)。

それでも、大局的に眺めてみれば好きか・楽しいかが、判断の基準になるものと考えています。要は、結局、気がつけばまたやっている…みたいなことです。がんばる理由になります。

カラダを壊さないか

2つめの基準は、カラダを壊さないか。1つめの基準として、好きか・楽しいかを挙げました。じゃあ、好きだから楽しいからといって、めちゃくちゃにがんばればいいかといえばそうでもない。

カラダを壊してまでがんばるのは、僕は違うとおもっています。どんなにがんばっても、どんなに好きで楽しくても、カラダを壊してしまえば元も子もなくなってしまうからです。

これは、僕ががんばった結果、カラダを壊したことがあるという経験にもとづいています。ここでいうカラダには、ココロも含まれるのであり、いずれにせよツラいことです。

もっとも、短期的にはムリをしてでもがんばる!という場面はあるでしょう。人生には、「ここぞ!」という場面もあるものですから、「一時的」にはムリをするのはアリだといえます。

ただそれでも、ムリが続くのであればがんばりすぎだよね、という話です。

さらにいうなら、一時的ではあってもムリはしないほうがいい。これが、僕のいまの考えです。なにをアマちゃんなことをいってるんだ?と、おもわれるかもしれません。

が、僕からしたら、ムリをしなければできないことをしているほうがアマちゃんです。カラダを壊すほどにムリをするような自己管理しかできないアマちゃんだ、ということです。

なので、カラダを壊さないようにがんばるのが、僕はプロだとおもっています。

ほかを捨てられるか

3つめの基準は、ほかを捨てられるか。しかし、ほかを捨てるとはどういうことか。さきほど、カラダを壊さないようにがんばるのがプロだといいました。そのためにはどうするか?

ほかを捨てることです。がんばるものを「コレだ」と決めたら、ほかのものはがんばらないと決める。それが、ほかを捨てるということです。

冒頭でもいったとおり、すべての資源は有限です。じぶんの体力も気力も無限ではありません。時間は有限であり、人生もまた有限です。すべてをがんばるという、総取りはできないのです。

それでもがんばろうとすれば、すべてが中途半端になるおそれがあります。望ましい状況ではないでしょう。だから、ほかを捨てることが重要になるのです。いうなれば、捨てる勇気。

多くのヒトは、これがなかなかできませんね。僕もそうです。そして、あれもこれもと手を出しては、どれも中途半端…になったりしています。そういった現状を目の当たりにするにつけ、「ほかを捨てるのだ」と言い聞かせている僕です。

そんなわけで、ほかを捨ててでもがんばれるかどうかは、がんばる・がんばらないの基準になるものと考えます。このブログもまた、「ほかを捨ててでも」という思いがあります。

その体現として、ブログは原則、朝の早い時間帯に書きおえるのがマイルールです。ほかよりもブログの毎日更新を優先しているからこそ、といってよいでしょう。

まとめ

すべてをがんばればいい、というのは正論です。が、すべての資源は限られているのですから、そうもいかないのが現実…だとすれば、がんばる・がんばらないの基準が大事だというお話です。

がんばる・がんばらないの基準

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