きょうの一冊一言は、
サンテグジュペリさん著 『星の王子さま(池澤夏樹・新訳版)』
この一冊から、きょうの自分に活きるひとことを、名言を。レビューしながら見つけ出していきます。
内容紹介
フランスの小説家、サンテグジュペリさんの代表作「星の王子さま」。言わずと知れた名作小説ゆえ、一度は読んだことがあるという人も多いことでしょう。
ところがわたしときたら、42歳を迎えたいまもなお読んだことがないようで。読んだのかもしれませんが全くもって記憶にない。このたび縁あって、本書を開いた次第です。
この「星の王子さま」、主たるジャンルは「児童書」に分類されることが多いようですが、歳を重ねた大人にもじゅうぶんに響く。むしろ、子どもの気持ちを忘れた大人にこそ読んで欲しい。そんな1冊。
さて。物語は、小惑星B612に住む「王子さま」が、ワケあって星を飛び出すところからはじまります。その後、王子さまは星々をめぐり、やがて地球にたどり着き「ぼく」と出会います。
そんな「ぼく」はというと、操縦する飛行機のトラブルにより、広大な砂漠のど真ん中に不時着。ひとり途方に暮れるというシチュエーションで、かの「王子さま」と出会うのです。
そして、「王子さま」と「ぼく」は、ふたりぼっちな砂漠で言葉を交わし、心を通わせていく。そして、衝撃のラストが・・・ 超ダイジェストだと、だいたいそんな感じ。
ところで、「王子さま」は王子らしくワガママです。自分の聞きたいことは納得がいく答えを得るまでは相手を許さない。いっぽうで、受ける質問については関心が持てなければ聞き流す。
ワガママな「王子さま」は世の中の子ども代表のようであり、子どもを象徴するようなキャラ、といったところでしょうか。
そんな「王子さま」ですが星々をめぐり、いろいろな人(ときには動物)との出会いの中で。純粋に貪欲に、多くの大切なことを学び、過去への深い自省を抱えていまに至ります。
徐々に語られる「王子さま」の言葉、明らかになる過去に、大人の「ぼく」は、忘れかけていた「ほんとうにたいせつなこと」へと導かれていくのです。
そこには、教訓と言うか、真理と言うか、寓意とでも言おうか。とにかく、深イイ言葉の数々が散りばめられている。
ゆえに、児童書だと侮るなかれ。やはり、子ども心を忘れた気ぜわしい大人にこそ相応しく。「ほんとうにたいせつなこと」を思い出したいあなたに、おすすめの1冊です。
きょうの一冊一言
『星の王子さま(池澤夏樹・新訳版)』から、わたしが見つけ出したとびきりの名言、一冊一言は・・・
ものは心で見る。肝心なことは目では見えない
おそらく、「星の王子さま」でもっともポピュラーな名言と言えるものがこれでしょう。
これは、王子さまが「ぼく」に出会う前、地球での道中出会った「キツネ」から受けた言葉です。
「キツネ」は「王子さま」と、絆をつくることを目指し、その過程で実に多くの真理を説き、実践をはかろうとします。
そんな「キツネ」の言葉に、「王子さま」は気が付きます。目に見えるものばかりに、心奪われた過去。たいせつなものを心で見ようとしなかった過去に気が付きます。
読者もまた、ふと気が付くことでしょう。どうして目に映るもの、耳に聴こえるものばかりに、日々気を削がれているのかと。
それでも費やした目に見えぬものの中に
「キツネ」は、さらに続けます。
きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ
「王子さま」には、住んでいた小惑星に残してきた「一本のバラ」がありました。「王子さま」の上を行くほどワガママなその「バラ」は、愚痴や自慢、無理難題を言っては「王子さま」を困らせていました。
それでも「王子さま」は綺麗で美しい「バラ」のために、絶えず世話を続けます。ところがある日、我慢の限界を迎え、星を飛び出した・・・ 「バラ」による愚痴や自慢、無理難題に心乱されたわけですが。
「キツネ」の言葉で、「王子さま」は確信します。
ほんとうにたいせつなものは、”それでもバラに費やした時間”の中にあったんだ。”それでもバラに尽くそうとした自分”の中にあったんだ、と。
もし、目で見える(あるいは耳に聴こえる)ものを、ある種の雑事と捉えるのであれば。情報過多の現代にあって、わたしたちはどれだけ多くの雑事に心奪われていることでしょう。
ほんとうにたいせつなものは、心で見る。心で見ようとしなければならない。サンテグジュペリの描いた「キツネ」は、時を超えて、わたしたちにも訴えかけているようです。
その他 注目の一言
一冊一言以外に、『星の王子さま(池澤夏樹・新訳版)』から見つけた気になる一言を。
だけど、ぼくたちみたいに生きるということの意味がわかっている者には、数字なんてどうでもいい。
大人(つまらない人間)は「数字」にばかり関心を寄せ、物事の本質を見ようとしない。
- Aさん「家を買ったんだ」
- Bさん「へぇ、いくらしたの? 広さはどれくらい?」
言われてみれば、ごもっとも。「家のステキなのはどこ?」と聞きたいものです。
「一度なんかね、ぼくは44回、日が沈むのを見たよ!」そう言ってからきみは付け加えた―
「ほら、淋しいときほど夕陽を見たいって思うものだから」
「その44回の夕日のときは、きみはそんなに淋しかったの?」とぼくは訊ねた。
王子さまは返事をしなかった。
「王子さま」と「ぼく」のやりとりの中で、わたしが気に入っているやりとり。「王子さま」の可愛らしさ、ちょっとした切なさがキュンとくる。
ちなみに、「王子さま」の住んでいた小惑星はあまりに小さいものなので、ちょっと歩けばすぐに、なんどでも夕日が見られるのだそうで。
ぼくは何もわかっていなかった! 言葉じゃなくて花のふるまいで判断すればよかったのに。
星に残してきた「バラ」についての後悔を「王子さま」は語ります。言葉にならないこともまた大事なのであり。それでもヒトは言葉を求めてしまうもの。ですよね? 生きるって難しい。
権威というものはまずもって理性に基づいているべきものだ。臣民に向かって、海に行って身投げしろと命令したら、彼らは革命を起こすだろう。理性に沿った命令だからこそ、余は服従を期待できる
「王子さま」がある星で出会った「王様」の言葉です。人の上に立つものとして、権威の分別をわきまえた理解と言えるのではないでしょうか。わからずやの上司には教えてあげて。
「ではおまえはおまえ自身を裁けばよい」と王様は答えた。「最もむずかしいことだ。自分を裁くのは他人を裁くよりむずかしい。もしも自分を正しく裁ければ、おまえは本当の賢者ということになる」
ふたたび、「王様」の言葉。実は、この王様にはひとりの臣民もいないという滑稽な状況なのですが。言われることは、どうしてなかなか深イイです。
「それで、人間はどこにいるの?」としばらくして王子さまが聞いた。「沙漠はちょっと淋しいから・・・・・・」
「人間たちの間にいたって淋しいさ」とヘビは言った。
見てのとおり、「王子さま」と「ヘビ」の会話です。「ヘビ」の気障なセリフがイカしてます。人間はひとりが淋しいのではない、「人の間」に居る時がいちばん淋しい。って、そんな言葉なかったっけ?
「みんな自分がいる場所で満足できないの?」
「誰も自分がいる場所に満足できないのさ」と転轍手(てんてつしゅ)は言った。
気障なセリフシリーズ第2弾。ヒトは「ここ」に満足できず、隣の芝を羨むものです。隣の芝の住人もまた、さらに隣の芝を羨んでいるというのに。外ではなく、中に目を向けよう。自分の中の問題に目を向けよう。
「沙漠がきれいなのは」と王子さまは言った。「どこかに井戸を1つ隠しているからだよ」
気障なセリフシリーズ第3弾。物語もクライマックスに近づき、「王子さま」が「ぼく」に向かって放ったひとこと。もう「王子さま」には、ものごとの本質しか見えていない。開眼した王子、ここに降臨。
王子さま「大事なことは目で見えない・・・・・・」
ぼく「知ってるよ」
王子さま「花のときとおんなじなんだよ。どこかの星に咲いている花が好きになったら、夜の空を見ることが嬉しくなる。ぜんぶの星に花が咲く」
ぼく「知ってるよ」
王子さま「水のときとおんなじだよ。きみが滑車と綱を鳴らしたおかげで・・・・・・きみのくれた水は音楽のようだった・・・・・・覚えているだろ、とてもおいしかった」
ぼく「知ってるよ」
注)上記のうち、「王子さま」「ぼく」の語は、わたしが付しました
衝撃のラストを前に交わされた「王子さま」と「ぼく」との会話。もはや多くを言葉にすることができず、「知ってるよ」を繰り返すだけの「ぼく」。切なさ全開です。ここだけ読んでも伝わらないか・・・
とにかく。「王子さま」は物語のエンディングに向かって、一気に真理を説き続けていく。そういうシーンです。
まとめに代えて
『星の王子さま』というタイトルからしても。
大の大人がいまさら読むには情緒的に過ぎる、感傷的に過ぎる、という意見もあるかもしれません。
けれども。先述したとおり、物語の中にも、教訓や心理に溢れた1冊と言えます。
読む日、読む場所、読む時間によって。感じるところは変化する、感じることは増えていく、不思議で懐の深い本であるとも言えます。
昔読んだなぁ、というあなたにも。読んだことがないなぁ、というあなたにも。「ほんとうにたいせつなこと」を思い出したいあなたにおすすめの1冊です。
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きょうの執筆後記
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