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『◯◯を逃しているかも』を怖がらない!最高ではなく最適を求める

「逃しているかも」を捨て、最高から最適へ

FacebookやTwitterなど、SNSの情報をダラダラと見続けてしまう・・・

それは、「なにか見逃しているかも」という怖さがあるのかも。そんな「◯◯を逃しているかも」をやめて、「最高ではなく最適を求める」という考え方について。

目次

「なにか見逃しているかも」の問題とは?

以前、FacebookやTwitterをダラダラと見続けてしまう時期がありました。

そんな行動の背景には、「なにかいい情報を見逃しているかも」という怖さがあったように思います。

結果、いい情報が見つかることもありますが、見つからないこともあるわけで。「あ〜、ダラダラ見ちゃったなぁ」という後悔は数知れず。

そんな経験はありませんか?

最高を求めず、最適でガマンする

後悔ばかりをしているわけにもいかないので。以来、FacebookやTwitterには制限をかけています ↓

  • 見てもよい「時間帯」を決めている
  • 見てもよい「最大時間」を決めている
  • 「必要以上」に交流しない(コメント、いいね、など)

これらの制限によって、「たくさんの情報を見る」という点では「最高」の成果を挙げることはできなくなりました。限られた投稿やツイートしか見れませんので。

とはいえ、ダラダラと時間をムダにしないという前提の中で、「ほどほどの情報を得る」という点では「最適」の成果を挙げることができた。と、評価ができます。

つまり、「なにか見逃しているかも」という怖さを捨てることで、最高ではないけれど最適を求める」ことにしたわけです。

SNSも必要だけれど、そこに最高を求めれば、「他のいろいろなものの最高・最適」が犠牲になります。それを解決する考え方が「見逃しているかも」を捨てること。

 

「◯◯を逃しているかも」的な発想はいろいろある

FacebookやTwitterなどについての「見逃しているかも」に限らず。「◯◯を逃しているかも」的な発想は、ほかにもいろいろあります。

「◯◯を逃しているかも」的な発想が多くなれば、やはり、ひとつのことにこだわりすぎて全体としてのバランスが悪くなりますから。

同じように、「最高ではなく最適を求める」という考え方をするようにしています。たとえば、こんなこと ↓

読み逃しているかも【読書】

わたしは、平均して2日に1冊のペースで本を読みます。世の中の平均から見ると、どちらかと言えば、読書が多いほうでしょう。

では、読書の時間がたっぷりあるかというとそうでもなく。読むのが速いかというとそれほどでもありません。

それでもあるていどの読書量を保つことができるのは、「読み逃しているかも」を怖がらないからです。

具体的には、1冊の本をアタマからオシリまで全文読むことはまずありません(ビジネス書に限る)。

まずは「はじめに」と「あとがき」をさらっと読んで、著者が「言いたいこと」を探る。そのあと、「目次」を見て「どこが大事か」にあたりをつける。

あとは、書中の「見出し・小見出し」と「その後の数行」を中心に読みます。その他の部分は、基本的にナナメ読みです。

なにかを「読み逃している」可能性はじゅうぶんにありますが、おおむね大事な部分は押さえているだろうと割り切っている。最高ではなく最適、そういう読み方です。

人付きあいを逃しているかも【人脈】

人付きあいについて、ムリをしないようにしています。たとえば、交流会に行かない、2次会にいかない、お付き合いでの営業を受けない、など。

「人付きあいを逃してしまうかも」を恐れていたのですね。結果として、仕事が取れないとかそういうことも含めて。

以前は、ムリをしていたものもありますが・・・ いまはわりとあっさりと「お断り」も言えるようになりつつあります。

もちろん、人付きあいを一生懸命にすることで人脈がつくられることは多々あります。ですが、やみくもな人付きあいでは、疲弊することも少なくないのです。わたしはそうでした。

ですから、「人付きあい」ではなく「縁」を大事にしています。お客さま、ブログやメルマガを通じて知り合った方や自主開催セミナーに来ていただいて知り合った方、など。

「縁」のチャンスは「人付きあい」のチャンスほど多くはありません(わたしにとっては)。「縁」に人脈としての広さは期待しづらいものの、深さはじゅうぶんです。

人脈の広さという点では最高を求めずに最適を求める。人付きあいを逃しているかも、を怖がらないようにしています。

お客さまを逃しているかも【仕事】

わたしは税理士をしていますが、「なんでもやります・できます」型の仕事をしていません(というか、できませんが)。「これはやります・できます」型です。

「ひとり」でやっている(これからもそうしていく)ということもあり、仕事の量も幅も広げすぎないようにと考えているからです。いたずらに「面」を広げるのではなく、「点」を深掘りするイメージ。

ですから、「あれはできない・これはできない」「こういう方のお役には立てません」といったことを、当ブログ内にあるサービス案内でも掲載しています。

結果として、「集客」という視点で見ると、とてもとても「最高」とは言えないわけで。わたしが「やります・できます」としている仕事でしかお客さまは集まりません。

でもいいのです。そもそも、ひとりのわたしにできる「量」は限られています。仮に(あくまで仮に)、「最高」にお客さまが集まっても、対応することができないのです。

わたしが自信を持って「やります・できます」と掲げる仕事に、わたしが対応できるだけのお客さま。それがわたしの「最適」です。

これについては、「お客さまを逃しているかも」という発想をしないようにしています。

成長を逃しているかも【事業拡大】

わたしは「ひとり」で仕事をしていると前述しました。人を雇っていませんし、必要がないので仕事専用の事務所を持ちません。自宅兼事務所です。

見方によっては「成長を逃しているのかも」ということではあります。事実、開業以前は、税理士事務所は「雇用してなんぼ、事務所が大きくてなんぼ」という「拡大ありき」の世界だと考えていました。

いまでも、周囲からは「人は増やさないのですか?」「事務所はないのですか?」という声をちょうだいします。やはり、周囲も「拡大ありき」が多いようです。

でもいまのわたしにとって、拡大の面で「最高」を目指すことはありません。ひとりでやっていくにあたって「最適」な拡大でじゅうぶん。

ですから、職員数や顧問先数、事務所の立地・大きさなど「拡大」をモノサシにした成長については、逃しているかもとは考えません。じぶんが考える成長は、拡大とは別なところにある。

とはいえ、周囲はそんなわたしを「成長を逃している」と見る向きがあるので、強いハートが必須になるのは社会の厳しさ。といったところでしょうか。

おカネもうけを逃しているのかも【投資】

「おカネもうけ」とはちょっと下世話な言葉を使ってしまいましたが。いわゆる「投資」です。

具体的には、株式・債券・投資信託・外貨・仮想通貨などなど、わたしもやっています。

それらの成果は、相場との兼ね合いで、増えることもあれば減ることもある。もうかることもあれば、もうからないこともあるのが「投資」です。

そんな「もうかる・もうからない」に一喜一憂することはできるだけ避けたく。わたしの投資は基本、毎月積立型です。

相場を見て、ドーンと買ったり売ったりはしません。粛々と積み上げるばかり・・・(いったいいつ売るんでしょう?)。

そういう意味では、投資成果は「最高」からはほど遠く。もう少し相場を見て、売り買いすれば成果は「最高」に近づくのかもしれません(ほんとうの最高は神のみぞ知るですが)。

とはいえ、わたしの投資目的は「資産の分散」と「勉強」の2点。この2点で言えば、毎月積立の投資成果は、「最高」ではないけれど「最適」です。

始終、相場ばかりを気にして「おカネもうけのチャンスを逃しているかも」と考えずに済むように。毎月積立、という手段をとっています。

 

まとめ

「なにか見逃しているかも」という怖さを捨てて、最高ではなく最適を求める。ということについてお話をしてきました。

あなたにとっての「◯◯を見逃しているかも」とはなんでしょう? ぜひいちど、自問してみましょう。

最高を手放し最適でガマンすることで、いままでにない「幸せ」を手にできるかもしれません。

 

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  きょうの執筆後記
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