決してラクではない、ブログの毎日更新。それを妨げることにもなる周囲からの声「悪魔のささやき」と、じぶんなりの反論についてのお話です。
周囲からの声は「助言」か、それとも「雑音」か?
ブログの「毎日更新」をはじめてから、きょう(2020年1月18日)で 1,371日めになります。3年と9ヶ月。
飽きっぽいじぶんにしては、我がことながら「よく続いているなぁ」というところではありますが。それでも、ここまで来るのにはいろいろありました。
もうムリだ、やめてしまおうか… と考えた日もあります。毎日更新もラクではなく。くじけてしまいそうになることもあるわけです。
そんなときに気をつけなければいけないものに「周囲からの声」があります。言い換えると、ブログの毎日更新を妨げる「悪魔のささやき」。
具体的にはこちらです ↓
- 量より質がだいじ
- 間違った方向の努力はやめたほうがいい
- わりに合わない・もうからないのに意味はある?
これら「悪魔のささやき」は直接言われたこともあれば、ネットやら書籍やらで目にするということもありました。
いずれにせよ、感謝をすべき「助言」ではあるのでしょうが。それでも、毎日更新を続けていこうとする身にとっては、「雑音」とも言えるものです。
そんな「悪魔のささやき」に思わず負けてしまうことがないように。わたしはいつも、じぶんの心に「反論」を携えておくようにしています。
悪魔のささやきを見聞きしたときには、じぶんの心のなかで、その反論を静かに繰り返す。面と向かって言い返せば、それはそれで言い争いにもなりかねません。そもそも言い争うまでもなく、「考え方の違い」でしかありませんし。
まぁ、それはそれとして。毎日更新を続けようとするのなら、わりと見聞きすることが多いであろう「悪魔のささやき」への反論は不可欠だ、というのがわたしの考えです。
というわけで。わたしなりの反論について、このあとお話をしてみます。
ブログの毎日更新を妨げる「悪魔のささやき」と僕の反論
《悪魔のささやき1》量より質がだいじ
量より質、そのとおりだと思います。ただし、それは「じゅうぶんな質」をじぶんが提供できるなら、です。
じゅうぶんな質とはなにか? などと言い出すと、それはまたややこしくなるわけですが。ある部分では、「じゅうぶんに上限はない、じゅうぶんすぎることはない」とも言えます。
たとえば。一流のプロ野球選手(バッター)は、きょう素振りを休むのでしょうか? より高い質のバッティングを求めて、より高みを求めて、きょうもあしたもバットを振っているはずです。
ブログも似たようなものだろう、わたしはそう考えています。素振りのようなものとして、日々のブログを書いているところがあります。
それに、わたしは「一流」ではありません。だとしたら、なおのこと余計に、だれよりもバットを振らなければならないはずです。練習しなければ上手くはなりません。
とくにブログをはじめたばかりであれば、質がどうだのこうだの言うレベルではないはずで。まずは黙って素振りをするところがはじまりでしょう。
わたしは、「質を高めるために量だって必要だ」との考え方でやっています。その量が、いまのわたしにとっては「毎日」だということです。
ところで。
ブログをはじめたばかりの方が、「ちっともブログを読まれない・見てくれない」と言われることがあります。かく言うわたしも、当時は言っていましたね、はい。
これは、いわゆる「PV(ページビュー)」についての嘆きであり、「PV」がちっとも増えないんだ… という悩みです。
そんなPVを見て、「じぶんには能力がないのかなぁ」とくじけてしまうのも「量より質」の話に似ています。ブログをはじめたばかりでは読まれない・見られないのは当然であって、能力うんぬんはもっとあとの話だからです。
よく言われるように、まずは 100記事とか、まずは6ヶ月とか。あるていど量(あるいは期間)がなければ、世の中の目に触れるようにはならないのがブログです。
なかには一瞬にして世の中の目に触れる猛者もいるわけですが、それは例外だと言えます。質や能力はもちろんだいじですが、絶対的に必要な量もある、ということです。
《悪魔のささやき2》間違った方向の努力はやめたほうがいい
さきほど、「質を高めるために量だって必要だ」と言いました。
とはいえ、やたらに量を増やせば良いというわけでもないだろう。という点で、「間違った方向の努力はやめたほうがいい」との助言はもっともです。
じゃあ、間違った方向なのか? を考えてみると。じぶんはじぶんなりに、いま現在、正しいと思われる方向だと信じて毎日ブログを書いています。
ほかの人から見れば違った方向かもしれませんが、じぶんにとっては正しい方向だと信じてはじめた。だったら、それを信じて努力を続けることが必要です。
にもかかわらず。かんたんに努力をやめてしまうから、なにごとも成し得ない。と、わたしはじぶん自身の過去を振り返って思います。努力が足りなかったし、いまも足りない。
努力をしたからといって、必ずしもなにかを成せるのではないにせよ。なにかを成す人というのは、すべからく努力をしているものでしょう。
じぶんの努力が足りないのを棚に上げて「間違った方向の努力はやめたほうがいい」などという言い訳をしないように、とわたしは考えています。
いま現在、ブログの毎日更新は3年9ヶ月。「努力」と呼ぶにはまだ道半ばです。
ちなみに。似たような「悪魔のささやき」として、「つらい思いをしてまで続ける必要はない」というものもあります。
繰り返しになりますが、毎日更新もラクではありません。つらい思いは当然あります。そんな思いが顔に出ちゃっていたんですかね。実際に、そう助言を受けたことがあります。
でも、やはり同じです。つらいからとかんたんにあきらめてしまったら、なにも成し得ない。それを忘れないために、この名言をよく見返しています ↓
今日いい稽古をしたからって明日強くなるわけじゃない。
でも、その稽古は2年先、3年先に必ず報われる。自分を信じてやるしかない
千代の富士さん/元大相撲力士
もっとも、つらいばかりではさすがに参ってしまいます。つらいことがあるけれども、「結局、ブログを書くのが好きなんだよね」という気持ちは大切かと思います。
わたしにも、「つらくても結局は書きたい、書き続けたい」との気持ちがありますので。
《悪魔のささやき3》わりに合わない・もうからないのに意味はある?
わたしの場合、ということにはなりますが。ブログの毎日更新による直接的な「金銭のもうけ」は振るいません。
いっぽうで、毎日だいたい2時間半をブログの執筆に費やしています。もしも時間給に換算したらブラックです。言えないくらいに超ブラックです。
そういう意味では、わりに合わないし、もうからない。だったらやる意味あるの? と、言われたこともあります。
たしかに。仕事としてやっているブログである以上、わりに合わない・もうからないのは問題です。
けれども、いまとなっては「仕事のためだけ」にブログを書いているわけではありません。ひとことで言えば、「ライフワーク」。ブログは、じぶんの「人生のひとつ」になりつつあります。
ブログを続けてきたことをきっかけに、次の面で、じぶんの人生に変化がありました ↓
- メンタルが整う(他人に向かって文章を書くことで冷静・中立になれる)
- フィジカルが整う(毎日更新するために摂生が進む)
- 段取りじょうずになる(毎日ブログを書く時間を確保するために)
- 伝えるチカラが上がる(毎日ブログを書いていれば少しずつ)
- じぶんの「軸(価値観や仕事観)」ができる、磨かれる
- 夫婦げんかが減る(毎日ブログをチェックしてもらわないといけないので)
などなど。ブログを続けてきたからこその変化であり、ブログによって人生がより豊かになった、とも言えます。
仕事の面ばかりではなく、人生を変える・人生を豊かにするチカラがブログにはある。だからブログの毎日更新を続けている、というところがわたしにはあります。
また、わりに合わない・もうからないとはいえ、仕事の面でも決して小さくはない変化がありました。
ブログを続けているなかで、あらたに「銀行融資の支援」という仕事を打ち出すことができたり、セミナー開催もできるようになりました。本を執筆する、という経験もできました。
「金銭のもうけ」だけでは測ることができない利益だってあるわけです。
ゆえに、「わりに合わないから、もうからないから」という基準だけでブログを語ることはできない。というのが、わたしの考えです。
まとめ
ブログをやるにあたって、どういう頻度で更新するかは人それぞれですが。
もしも、「毎日更新」と決めるのであれば、周囲の声「悪魔のささやき」に負けないように。じぶんなりの反論を携えておくのがおすすめです。
あらかじめ携えておかないと、くじけそうな局面で、弱いじぶんと戦うこともできませんので。
- 量より質がだいじ
- 間違った方向の努力はやめたほうがいい
- わりに合わない・もうからないのに意味はある?