だから忘れ物がなくならない。「意識高い系(笑)」の人に足りていないもの

改札

なんども同じ忘れ物を繰り返す、そんなことはありませんか?
もしかしたら「意識低い系」のサインかも。

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「意識高い系」と笑われないために

先日、知人が「意識の高い人、低い人」というような話をしていました。

「あの人は意識が低い」などという話なのですが、そう発言している人自身が「意識が高い」かというと・・・?

前向きな思いばかりで空回りする人を「意識高い系(笑)」と表現することがあります。さてさて、自分はだいじょうぶなのか。

身近な「忘れ物」を例にあげながら考えてみます。

意識が高い人と低い人の2つのちがい

たとえば、定期入れ。「あ~、よく忘れるんだよなぁ」という方はいませんか。そんな方がよくやること。

明日は忘れないように、「玄関の目につく場所」に置くことにしよう。

なにかの加減で物陰に落下していたら?こどもがいたずらでどこかへ移動していたら?
用があって定期入れを触ったあと、場所に戻すのを忘れたら?

やっぱり、定期入れを忘れることになります。

そんなの仕方ないよ、と思いますか?「定期入れ」ならばそれでもよいでしょう。
でもそれが、人生のたいせつなイベントにかかわることだったとしたら?

なにごとも一事が万事です。「定期入れ」レベルから訓練しておくことは悪いことではないはずです。

結論めいた話を先にしておきます。

忘れ物を「意識の高低」で考えるとき、「高い人」と「低い人」の間には2つの差があります。
「ほんとうに意識が高い人」にあって、「意識が低い人(意識高い系(笑)含む)」にないもの。それは、

  • 分析
  • 行動

この2つ。といってともに「2文字」で表せるほどカンタンな話でもありません。
忘れ物を例にしたまま、話を続けます。

分析 -すぐ近く、ちょっと前ばかりをみている人へ

もう忘れ物をしないようにしようということで、誰でも思いつく話として。
「なぜ、忘れ物をしたのか」という原因の「分析」があります。

いつもの場所に置いていなかった、カバンに入れ忘れた、出がけに確認し忘れた・・・?
気が付く人は気が付きます。これらは「ほんとうの原因」ではなさそうだと。

ほんとうの原因を知ること、それがここで言う「分析」です。

「分析」をするときに、重要なことがひとつあります。
それは「すぐ近く、ちょっと前ばかりをみない」ということ。

「意識が低い」というのは、「すぐ近く、ちょっと前ばかり」を探している状態です。

  • いつもの場所に置いていなかった → すぐ近い場所で、せいぜい昨日のこと
  • カバンに入れ忘れた → やっぱり、すぐ近い場所で、せいぜい昨日のこと
  • 出がけに確認し忘れた → すぐ近い場所で、とても直前のこと

では、定期入れを忘れてしまう「ほんとうの原因」は?
そうです、「定期入れを毎日使うだいじなものとして認識できていない」こと。

「認識」は、自分自身の深層にあるものであり、手に取れるような近くにあるものでもない。

また、認識というのは最近に形成されたものばかりではありません。ずいぶんと以前に形作られたということもあるでしょう。

さきほど言いました。分析するときは「すぐ近く、ちょっと前ばかりをみない」。
原因と結果は、「すぐ近くにある、ちょっと前のこと」とは限らない。むしろその逆です。

この点、わたしの座右の書「学習する組織」の著者であるピーター・M・センゲさんはこんな風に言っています。

私たちが直面する困難の根源は、手に負えない問題でもなければ、邪悪な敵でもない―それは、私たち自身なのである。複雑なシステムにおける現実の性質と、その現実についての私たちのごく一般的な考え方の間には、根本的なずれがある。そのずれを修正する第一歩は、原因と結果が時間的にも空間的にも近くにあるという考えを手放すことだ。

「原因と結果が時間的にも空間的にも近くにあるという考え」を手放す。

気を抜くとすぐ近く、ちょっと前ばかりを探しがちなわたしたちは心して「分析」しなければいけません。

行動 -想像力が欠けている人へ

分析ばかりでもいけません。実際に動かなければ。
「行動がない」というのは、「意識が低い」と言われる人の特徴のひとつでもあるでしょう。

では、「行動」していればそれでいいのかというと、そうとも言い切れない。

余計なことばかり、的外れなことばかりしているようではそれこそ「意識高い系(笑)」です。

「ほんとうに意識が高い」人の「行動」は何がちがうのか?
それは、「想像力」です。

定期入れを忘れる原因を「分析」したうえで、ふたたび忘れないようにするために手段を講じます。

「定期入れを毎日使うだいじなもの」として認識したうえで、予防策をたてる。これが「行動」です。

このとき、重要なのが先ほど触れた「想像力」。具体的には「5W1H」で考えます。
とりあえずやってみましょう。

  • Who(だれが)・・・自分が
  • When(いつ)・・・電車に乗るとき
  • Where(どこで)・・・駅で
  • What(なにを)・・・定期入れを
  • Why(なんのために)・・・運賃を支払うために
  • How(どのように)・・・自動改札機にタッチして

あたりまえだと馬鹿にしてはいけません。わたしだったら、今回のポイントはWhenとHowです。

電車に乗るとき(When)というのは、周囲の人の流れもありますのでモタモタはできません。

だとすれば、定期入れを用意すべき場所は、たとえばジャケットの内ポケット。あるいはカバンの中の出しやすいポケットとか。

ときどきいらっしゃいますよね、自動改札機の直前で「あれ?あれれ?」みたいな人。ジャケットのサイドポケットだっけ?カバンの中だっけ・・・?

自動改札機にタッチして(How)使うのですから、すぐ出せるいつもの場所に準備すべきです。

つまり、自分が「行動」するシーンを具体的に想像することで、行動の精度を高めます。

より具体的に想像する手段として、「5W1H」は便利な道具として機能する、ということです。

そして。
そのことを踏まえて、「分析」と結びつけます。

分析と行動とがそろってこその「意識高い人」

結論に向けて、定期入れバナシを継続します。

定期入れを使うシーンは想像できた。

でも、明日はこのジャケットかもしれないけれど、あさってはあっちのジャケットかも。そもそもジャケット着ないかも。

カバンについても同じです。いつも同じカバンを持っているとは限りません。パターンは何通りもありそうです。

だからこそ、「行動」だけではダメなのです。いつもジャケットに入れておこう、カバンに入れておこうではだめなのです。

パターンが変わったときにやっぱり忘れてしまうことが起こりえます。

「行動」だけでなく、「分析」と合わせたところではじめて「ほんとうの意識高い系」です。

では、「定期入れ忘れ物問題」をどう収束させるのか?

想像した結果、パターンが多かった(いつもおなじジャケットやカバンではない)。だったら、そのパターンに応じるほかありません。

「分析」で得た「定期入れを毎日使うだいじなもの」との認識があるのですから、パターンが多かろうとなんだろうとやるしかない。

ジャケットを着ているときには、家を出る前に内ポケットを確かめてみる。
ジャケットを着ていないのなら、カバンの所定の位置を確かめる、とか。パターンごとに行動を定着させます。

これは、冒頭の「玄関の目につく場所に置いておく」ということととは似て非なるものです。

「毎日使うだいじなもの」と「認識」して、パターンごとに「想像」したうえでの「行動」です。

「だから、定期入れひとつでおおげさだって」そう言われるのかもしれません。たしかに、そのことだけをとらえればその通りかもしれません。

しかし。
繰り返します。一事が万事です。

「意識高く」あるためには、近くばかりをみないという「分析」と、想像力をもった「行動」を心がける必要があります。

小さなことからでも訓練を重ねてみましょう。

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  きょうの執筆後記
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昨日は、はじめての自主開催セミナーの検討。
自主開催をするには、便利な場所、機材、決済方法など考えるべきことはたくさんあります。
想像力です。

改札

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