ついつい使ってしまう言葉に、「忙しい」や「時間が無い」があります。
そこで、時間管理・多忙の悩みに効く名言をご紹介していきます。
僕は白ウサギのごとく忙しい。
毎日を過ごしているなかで、ついつい使ってしまう言葉に「忙しい」があります。「時間が無い」も似たようなことでしょう。
使ってしまう、などと言うと。まるで「悪いこと」をしているかのように聞こえるかもですが。わたしは「悪いこと」だと考えています。
なぜなら、1日は 24時間。どんな人にとっても、時間は等しいものだからです。隣のだれかは3時間多くて、僕は3時間少ない… なんてことはありませんよね。
にもかかわらず。まわりを見渡せば、「忙しい」と言っている人と、そうではない人がいる。1日24時間の条件は同じはずなのに。だとしたら、「忙しい」と言うことには問題があるのではないか? ということです。
かく言うわたしも、以前は「忙しい、忙しい。あ〜忙しい」を連発していました。不思議の国のアリスに登場する白うさぎのごとく。それにいまでも、口をついて出ることはあります。「あ〜忙しい。しまった…」みたいな。
と、まぁ。時間管理や多忙に関する悩みは尽きないものでもあるわけで。そんなときには、偉大なる先人の知恵、いわゆる「名言」を参照するのがおすすめです。同じように悩み、そのなかから導かれた言葉には価値があります。
ということで。昔からちょいちょいコレクションしている名言のなかから、時間管理・多忙の悩みに効く名言をご紹介していきます。こちらです ↓
- 時間の使い方が下手な者は、真っ先に「時間が足りない」と言う。
- 私たちの生きる時間が短いのではなく、多くを無駄にしているのだ。
- 朝が遅い人は、一日中小走りしなくてはならない。
- もともとやらなくてもよいものを、効率よく行うほど無駄なことはない。
- 石の上にも三年という。しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。
- 人生とは、今日一日のことである。
- 待ってはいけない。ちょうどいい時間なんて決して無い。
- 1分遅すぎるよりも、3時間早すぎるほうが良い。
- 昨日は終わった。明日はまだ来ていない。私たちには今日しかない。さあ始めましょう。
- 時間は平等に与えられるが、結果は平等ではない。
それでは、このあと順番に見ていきましょう。
時間管理・多忙の悩みに効く名言10選
時間の使い方が下手な者は、真っ先に「時間が足りない」と言う。
ジャン・ド・ラ・ブリュイエールさん /作家
まずは、「自覚」するところからはじめなければいけません。という意味で、この名言は実に的を射ていると言えるでしょう。
「忙しい」とか、「時間が無い」とか言っているような人は、時間の使い方が下手な人なんですよ、と。だから、なんとかなさいよ、ということです。
忙しいことが勲章であるかのように、誇らしげに忙しがっている人もいるわけですが(わたしもそうでした…)。それは時間の使い方が下手であることをみずからさらしているようなものであり、なんともまぁ恥ずかしいことです。
では、問題があることを「自覚」できたところで、具体的にどうするかを考えていくことにしましょうか。次の名言です。
私たちの生きる時間が短いのではなく、多くを無駄にしているのだ。
ルキウス・アンナエウス・セネカさん/政治家
しかしまぁ、どうして「忙しい」「時間が無い」と言わざるをえない状況になってしまうのか? という問いに対する答えが、この名言です。
時間が無いんじゃない、おまえが「無駄」にしているんだ。と、セネカさんはおっしゃったわけですね。ほんとうは「あるはず」の時間を「無駄」に使っているから時間が無い。
言われてみればあたりまえのようですが、実はいちばん大切なところであり、意外と忘れているところでもあります。
じぶんはやるべきことをやっている、やらなければいけないことをやっている。無駄など無い、一切ない。もし、そう考えているのなら、あらためたほうが良さそうです。
でも、いったい。無駄はどこにあるというのだろうか? ということで、次の名言を見てみましょう。
朝が遅い人は、一日中小走りしなくてはならない。
ベンジャミン・フランクリンさん/政治家
時間管理がじょうずだなぁ、と感じる人の話を聞くと。不思議と早起きの人が多いものです。早起きだから時間管理がじょうず、だとまでは言いませんが。時間管理がじょうずな人には早起きな人が多いのです。
では、「早起き」と「時間管理」にどのような関係があるのか?
わたしが考えていることは、「早朝のメリット」です。朝早く起きると、邪魔が少ない。電話もメールもそうそうないでしょう。だれかに声をかけられることもないでしょう。
電話にしてもメールにしても、声をかけられるにしても。じぶんの作業を中断されると考えれば「無駄」のひとつです。そのような無駄が少ない、あるいは無いのが「早朝のメリット」です。
そのタイミングを逃してしまうから、無駄に追われて「一日中小走り」することになるんじゃないの? とフランクリンさんはおっしゃっているわけですね。
もともとやらなくてもよいものを、効率よく行うほど無駄なことはない。
ピーター・ドラッカーさん/経営学者
さきほどから、時間が無いことの原因である「無駄」はどこにあるのか? に着目して名言を見ているところです。その点で、ドラッカーさんも実に核心を突いた名言を残されています。
効率化しよう! というのは、よく見聞きすることでもあるわけですが。そもそも、やらなくていいことなのであれば効率化もなにもありません。やるのをやめるのがいちばんの効率化です。
これって、盲点でしょう。ふだんあたりまえにやっていることほど、効率化を考えてしまうものですが、「実はそれ、やらなくてよくない?」ということです。
このあたり、他人の無駄には気づいてもじぶんの無駄には気づきにくいものでもあります。だから、「やらなくてもよいものが絶対にあるはず」くらいの偏見をもっているくらいがちょうどいい、とわたしは考えるようにしています。
石の上にも三年という。しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。
松下幸之助さん/実業家
やらなくてもよいものはやめればいい、というのがドラッカーさんの名言ならば。やらなくてはいけないものは効率化せねばならない、というのが松下幸之助さんの名言です。
「石の上にも三年」は、あまりにも有名な考え方であり。あきらめずに取り組むことの大切さを説く言葉です。
けれども、ただ取り組めばいいというわけではなく。短い期間で済ませる努力もしなさいよ、と。「じぶんはがんばっている」との認識があると、取り組んでいることに満足しがちで、短い期間で済ませる努力はおろそかになりがちです。わたしの場合は、ですが。
なので、このような名言は「じぶんを戒める」ものとしてたいへん役立ちます。
人生とは、今日一日のことである。
デール・カーネギーさん/作家
時間を「無駄」にする、ということで言えば。単純にただただ怠けている、無駄な時間を過ごしている、ということもありえます。
だれひとり完璧ではない人間ですからね。そういう時期もあるでしょう。わたしもあります。
とはいえ、いつまでもそんなことをしているわけにはいきません。人生には限りがあることを思い出して、立ち上がらなければいけない。と、じぶんを奮い立たせるチカラになる名言です。
人生は、きょう1日の積み重ね。1日1日の大切さを、カーネギーさんはとても端的に教えてくれています。
待ってはいけない。ちょうどいい時間なんて決して無い。
ナポレオン・ヒル さん/著作家
決して怠けているのではないけれど。タイミングをはかっているのだ、と自分に言い訳をしているときもあります。結局、なにもしていない。あるいは、先送りをしているような状態です。
ところが、いつまで待ったところで、ちょうどいいタイミングなんて無いんだよ。と、言っているのがこの名言です。考えていることがあるのであれば、いいからやれ。という話ですね。
わたしは「すごく待ってしまう」タイプなので、そんなことを言われると、すごく胸が痛みます… だから「あとで」と思ったときには、この名言を思い出して、「ほんとうにあとででだいじょうぶ? ほんとうにあとでやるの?」と自問自答をするようにしています。
それでも、「やっぱりあとで」と考えてしまうのが人間の恐ろしいところです。
1分遅すぎるよりも、3時間早すぎるほうが良い。
ウィリアム・シェイクスピアさん/劇作家
前述の「待ってはいけない」と同じようなことですね。数字が入っていると、より具体性が増して、説得力があるように感じます。
たとえば、だれかと 朝9時に待ち合わせしたとして。なるべく無駄がないように9時ギリギリに到着できるようにと電車に乗りました。すると、通勤ラッシュに巻き込まれ、車内では本も開けず、体力も奪われ… おまけに混雑により遅延。
そんなふうにして待ち合わせに遅れるくらいなら。家を早く出て、空いている電車でのんびりと本を読んで、着いた先ではコーヒーでも飲みながらひと仕事してしまう。わたしはそういうタイプです。さすがに3時間早く、はありませんが。
昨日は終わった。明日はまだ来ていない。私たちには今日しかない。さあ始めましょう。
マザー・テレサ さん/修道女
話は変わって、「きょう」に集中できない… ということはありませんか。つまり、過去を悔い、未来を憂いてしまう、みたいな。おそらく、そういうときもありますよね。
けれども、それもまた「時間の無駄」だと言えるのではないか? そんなことを問われているかのような名言です。
いくら悔いたところで、昨日を変えることはできないし。いくら憂いたところで、未来を直接変えるチカラもありません。できるのは、「きょうを懸命に生きる」こと。
きょうを懸命に生きたかどうかで、その先になにが変わるのか? を教えてくれるのが次の名言です。
時間は平等に与えられるが、結果は平等ではない。
野村克也さん/プロ野球選手
冒頭、こんなことを言いました。「1日は 24時間。どんな人にとっても、時間は等しいもの」だと。そう、時間は万人に平等なのです。
ところが、同じ時間を過ごした人たちでも、その結果は人それぞれバラバラである。時間は平等でも、過ごした時間の先にある結果は平等ではない。見ないフリをしがちな「現実の厳しさ」を突きつけられる名言です。
きょうを懸命に生き続けた人と、きょうを怠けて生き続けた人とがいた場合。ふたりともに「同じ結果」だとしたら、それは不公平というものでしょう。納得がいかない。
でも、そんなことはなくて。人は報われるべくして報われるし、報われずべくして報われない。そういう場面をいくどとなく見てきたであろう野村克也さんだからこそ、言い切れることなのでしょう。
報われる人生か、報われない人生か? どちらの人生を生きたいかは明らかですよね。だったら、平等に与えられた時間をどう生きるか。考え続けなければいけません。これまで見てきた名言の数々も、ぜひ参考にしてみましょう。
まとめ
毎日を過ごしているなかで、ついつい使ってしまう言葉に、「忙しい」や「時間が無い」があります。
時間管理や多忙に悩みを抱えているのなら、先人の知恵である「名言」を参照してみるのはいかがでしょうか。きっと、解決への糸口が見つかるはずです。