じぶんはどうもせっかちで困る、ということはありませんか? わたしはあります。
というわけで。せっかちなわたしが、じぶんに待ったをかけるための5つの基準についてお話をしていきます。
短所は長所でもあり、長所は短所でもある。
じぶんのことを「せっかちだなぁ」と感じることがたびたびあります。
小さいころからせっかちだった、とは思えず。わりと後天的に身についた特性のように思う。どうしてそうなったのかはよくわからないけれど、とにかく、いまはせっかちです。
そんな「せっかち」を、「短所」だととらえるならば(当然、長所ととらえることだってできる)。じぶんに「待ったをかける」ことも必要だろうと考えています。
そこで。わたしが実際に採用している、じぶんに待ったをかけるための5つの基準についてお話をしてみます。こちらです↓
- わずかな時間かどうか
- 感情的に過ぎないか
- 他人に急かされていないか
- 個人差ではないか
- 疲労があるかどうか
じぶんはどうもせっかちで困る、というのであれば。これらの基準が、参考になるようでしたら幸いです。
それでは、このあと順番に見ていきましょう。
せっかちな僕がじぶんに待ったをかけるための5つの基準
《基準1》わずかな時間かどうか
せっかちな僕がじぶんに待ったをかけるための5つの基準、1つめ。それは、「わずかな時間かどうか」です。
急いだところで、たいして変わりはない。急いだところで、わずかな時間しか変わらないということがあります。
たとえば。まったくクルマが通らないような交差点で、赤信号を待てるかどうか。なんじゃそりゃ? と、思われるかもしれませんが。せっかちさんには苦痛の状況のひとつです。
それはそれとして。急いだところで、かせげるのは「わずかな時間」に過ぎません。1時間も2時間も早くなるわけではなし。数十秒、数分の世界です。
いっぽうで。事故を起こす危険もあれば、そもそもルール違反を犯していることにも問題があります。にもかかわらず、ほんの「わずかな時間」を惜しむ意味はあるのか?
というように。せっかちな行動をとろうとしているときには、「わずかな時間かどうか」をじぶんに問いかけてみるとよいでしょう。
ちなみに、村上春樹さんがこんなことを書いています↓
後ろのセドリックがクラクションを三回鳴らした。信号が青に変わっていた。落ち着けよ、と僕は思った。急いだって、それほど立派な場所に行けるわけでもないだろう?僕はゆっくりと車を出した。
村上春樹さん / 作家(『ダンス・ダンス・ダンス』より)
わずかな時間を惜しんで急いだところで、それほど立派な場所には行けないのです。
《基準2》感情的に過ぎないか
せっかちな僕がじぶんに待ったをかけるための5つの基準、2つめ。それは、「感情的に過ぎないか」です。
思わず感情的に言葉を発してしまう、行動してしまうということ、ありますよね。わたしはあります。
なので、言葉を発する前に、行動する前に、「感情的に過ぎないか」を考えるようにしています。そのうえで、いまは感情的に過ぎるのであれば、いったん思いどどまる。
感情的であるのは良いにしても、感情的に過ぎる場合には注意が必要。という考えです。実際、一時の感情による言葉や行動で後悔したことは、一度や二度ではありませんし…
だから、せっかちになりそうなときには、「感情的にすぎないか」をじぶんに問いかけてみるのもいいでしょう。
なんて、エラそうに言ってはいますが。わたし自身、完全にできているわけではありません。またやってしまった、と思うこともしばしばです。
でもだからこそ、基準を持って、 その基準をないがしろにしてしまったじぶんを反省することがだいじだと考えています。
[ad1]《基準3》他人に急かされていないか
せっかちな僕がじぶんに待ったをかけるための5つの基準、3つめ。それは、「他人に急かされていないか」です。
じぶん自身の意思で急いでいたつもりが、実は他人に急かされていた… ということはあるでしょう。
そのように、他人に急かされている場合は、じぶんが「他人の価値観に従う」ことにもなりかねません。
卑近な例で言えば、バーゲン会場に群がる人だかりを見て、「買わなきゃ損、損」と、じぶんもまた、人だかりに飛び込んでしまう。みたいな。
買った商品は、と言えば。結局、使われることなくしまわれたまま。なんてこともあったり。
ですから、せっかちな行動をしようとしているときには。他人に急かされているのではないか? 他人の価値観で急かされているいるのではないか? 確認をしてみるのも良いでしょう。
他人の価値観ということで言えば、こんな名言もありますし↓
誰かが言いたいことを、じぶんが言わされる愚を避けよ。
カリン・アイルランドさん / 作家
《基準4》個人差ではないか
せっかちな僕がじぶんに待ったをかけるための5つの基準、4つめ。それは、「個人差ではないか」です。
時間の感覚には、人それぞれ「個人差」があります。
たとえば、メールの返信。すぐに返信をするという人もあれば、数日たってようやく返信をするという人もいます。
どちらが良い悪いということではなく、時間の感覚には「個人差」がある、という点が重要です。
わたしはせっかちなので、自然と「早い返信」を期待してしまいます。だから、24時間を過ぎても返信がないと、少々イライラしてしまう。
イライラをとおり過ぎると、こんどは心配になります。もしかしてメールがちゃんと届いていないのではないか?相手に何かあったのではないか?
すると、「メールを受け取ったかどうか」のメールを送ってみようか、などと考え出してしまいます。
けれども、そうこうしているうちに、何もなかったかのように返信が届く。ということもあるわけです。
というように。相手には相手の感覚があり、じぶんにはじぶんも感覚がある。人それぞれ個人差がある。そう考えると、ひとまずはせっかちを抑えてみることもできるものです。
《基準5》疲労があるかどうか
せっかちな僕がじぶんに待ったをかけるための5つの基準、5つめ。それは、「疲労があるかどうか」です。
疲労には大きく分けて、「カラダ」の疲労と「ココロ」の疲労の2つがあります。いずれの疲労も、イライラを高めるものと言えるのではないでしょうか。
疲れていると、ついついイライラしてしまう。結果として、せっかちな言動にも拍車がかかる。まともな判断も難しくなるでしょう。
なので、わたしは日ごろ、「疲労があるかどうか」を基準に置いています。疲労を感じる場合には、ひとまず判断を控える。せっかちに動くのをやめる、ということです。
この点で、「睡眠不足」には注意しなければいけません。
なぜならば。睡眠が6時間以下の日が続くと、「徹夜明け」と同じていどまで脳機能が低下してしまうとか。睡眠不足は「酒気帯び」と同じようなものだ、との研究結果があるからです。
徹夜明けや酒気帯びの状態で、まともな行動、まともな判断ができるとは思えませんよね。
ですから、 そもそも睡眠不足には気をつけています。また、睡眠不足の日であれば、せっかちな行動をつつしむ、大きな判断は控えるようにもしています。
というわけで。せっかちな行動をとろうとしているときには、「疲労があるかどうか」の基準に照らしてみるのもおすすめです。
まとめ
じぶんはどうもせっかちで困る、というのであれば。じぶんに待ったをかけるための基準を持つようにしてみるのはどうでしょうか。
せっかちなわたしが、実際に採用している基準が、なにかしらの参考になるようであれば幸いです。
- わずかな時間かどうか
- 感情的に過ぎないか
- 他人に急かされていないか
- 個人差ではないか
- 疲労があるかどうか