いずれおとずれる「死」を前に、きょうまでの人生を後悔するようなことはしたくない。だからこそ、きょうをだいじに生きる。
メメント・モリ(死を忘れるな)を実践するためにやっている3つのことについて、お話をしていきます。
きょうをだいじに生きるために。
「メメント・モリ」という言葉があります。Wikipediaによれば、
「ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。
Wikipedia「メメント・モリ」より引用
だれにも必ずおとずれる「死」を忘れないように。それが、「メメント・モリ」です。
ちなみに。わたしがはじめて「メメント・モリ」という言葉を知ったのは、Mr.Childrenの「花 ーMement Moriー」という曲でした。当時、まだ 20歳ということもあり、いまいちピンと来ないところがあったように思います。
45歳になったいまは、というと。だいぶ、「死」というものを意識するようになりました。
「死」という言葉には、どこか後ろ向きなイメージがともなうものですが。いずれおとずれる「死」を前に、きょうまでの人生を後悔するようなことはしたくない。だからこそ、きょうをだいじに生きようと真剣に考えられる。
「メメント・モリ(死を忘れるな)」の言葉には、そういった効用があると感じています。
とはいえ、ヒトは楽観的なもので。「死」を他人事のように考えているところがあります。まるで、あしたが来るのがあたりまえのように生きていたりしますよね。
この点で、画家のマルセル・デュシャンさんはこんな言葉を残しています↓
されど、死ぬのはいつも他人ばかり。
マルセル・デュシャンさん/画家
そう、わたしたちが目にするのはいつも「他人の死」であって、「じぶんの死」ではありません。なので、「まさかじぶんが死ぬ」とは、なかなか思えないわけです。
「いやいや、いつか死ぬとは思っているよ」と言うかもしれませんが。じゃあ、死を忘れないためにいったいなにをしていますか? 具体的になにをしていますか? と聞かれると。実際にはなにもしていなかったりします。
以前のわたしが、まさにそうでした。なにもしていなかった。
けれども、41歳のときに独立開業したことをきっかけに、少しずつ「死」を意識しはじめたのです。ひとりで仕事をしていて、もし「急に死ぬ」ようなことがあると、現実的に困ったことにもなりますし。
それはそれとして。本質的には、さきほどもお話をしたとおり、いずれおとずれる「死」を前に、きょうまでの人生を後悔するようなことはしたくない。だからこそ、きょうをだいじに生きる! そのために「メメント・モリ」は役に立つのではないでしょうか。
というわけで。「メメント・モリ」を実践するために、わたしがやっている3つのことについて、お話をしてみます。こちらです↓
- カウントアップとカウントダウン
- あした死ぬとしてもきょうやることを決める
- 手紙(遺書)を残す
それではこのあと、順番に見ていきましょう。
メメント・モリ(死を忘れるな)を実践するためにやっている3つのこと
カウントアップとカウントダウン
メメント・モリを実践するためにやっている3つのこと。1つめは、「カウントアップとカウントダウン」です。
ある日から何日たっているか? というカウントアップ。それから、ある日まで何日あるか? というカウントダウン。具体的には、
- 生まれた日から、きょうで 16,645日め
- 80歳まで、あと 12,576日
- ブログ開始から、きょうで 1,708日め
- 50歳まで 1,619日め
こんな感じです。
もしわたしの寿命が 80歳だとしたら。生まれた日から 16,645日めであることを考えると、折り返しをしてだいぶたっていることがわかります(あと 12,576日ですから)。
単純に歳だけ見ても、折り返しを過ぎたことはわかりますけど。日にち単位で数値化することによって、よりリアルに感じられるところです。毎日、1日ずつ確実にカウントされるリアルさがあります。
実際に、毎日1日ずつ、寿命(いつかはわかりませんが)に近づいているわけですし。
また、独立開業と同時にはじめたブログは 1,708日めを迎えています。50歳をひとつの目標と見た場合には、独立開業時から見ると折り返しを過ぎたことがわかります。
もし 50歳がわたしの寿命だと考えると、あと 1,619日。生まれた日からきょうまでの 16,645日の約 10分の1くらいの時間しか残されていない。毎日をよりだいじに感じられるところです。
このようなカウントアップやカウントダウンを、カンタンに目にすることができるように。スマホの「アプリ」と「ウィジェット機能」を使っています。こんな感じです↓
きょう1日の「位置づけ」や「重み」を視覚的に確認するための方法として、カウントアップやカウントダウンはおすすめです。
あした死ぬとしてもきょうやることを決める
きょうをだいじに生きる、ということに異論をとなえるヒトはそういないでしょう。では、なにをもって「きょうをだいじに生きた」と言えるのか?
ひとつの答えとして、「きょうやるべきことをやった・きょうやりたいことをやった」ということだと、わたしは考えています。
生きていればいろいろありますが。そのなかにあっても、やるべきことや、やりたいことをやりきったのなら、きょうをだいじに生きたと言ってもよいでしょう。
となると、じぶんにとって「きょうやるべきこと・きょうやりたいこと」はいったいなんなのか? を決めておく必要があるわけで。だから、わたしも決めています。
たとえば、このブログ。ブログは毎日更新する、と決めています。きょうやるべきこと、きょうやりたいこと、として決めています(その理由は長くなるので省略)。
どのくらい決めているか、と言うと。もしも、あした、じぶんが死ぬとわかっていたとしても、きょうもブログを書く。そのくらい。
もちろん、いろいろあって書けないことだってあるかもしれないけれど。よほどのことがない限りは書く。それくらいの覚悟は持っています。
神学者のマルティン・ルターさんは、言いました↓
あした世界が終わるとしても、わたしはきょう、それでもリンゴの樹を植える。
マルティン・ルターさん/神学者
いろいろな解釈をできそうな言葉ではありますが。
あしたなにがあっても、きょうできること・きょうやるべきことをやる。あしたなにがあるとしても、きょうをだいじに生きる。その意志が「それでもリンゴの樹を植える」という言葉にあらわれているように感じます。
それにならって、わたしもリンゴの樹を植えたい。植え続けたい。いまのわたしにとって、リンゴの樹のひとつが「ブログ」だということです。
たとえ、あした死ぬとしてもきょうやることを決める。じぶんにとってのリンゴの樹がなにを決めてみる。そして、毎日植え続けることができれば。「メメント・モリ」を実感するとともに、きょうをだいじに生きることにもつながるのではないでしょうか。
手紙(遺書)を残す
メメント・モリを実践するためにやっていることとして、「手紙(遺書)を残す」があります。
具体的には、両親や兄弟を含めた家族それぞれに、Wordで手紙(遺書)を書いてあり、それをとある場所に保管。じぶんになにかあったときには、妻からわたしてもらえるようにしてあります。
遺書と言っても、みんなに分け与えるような財産とかはありませんので(笑)。まぁ、「ただの手紙」だと言っていいでしょう。
けれども、じぶんがフツーに生きているときに遺書を書くことで、かなり強烈に「じぶんの死」を意識することはできます。
じぶんがもうこの世にいないことを前提にして、なにを伝えるべきかを考えなければいけないわけですから。イヤでも、「じぶんの死」とその「影響」とを考えざるをえません。
また、文字としてはっきり残るものでもありますし。おそらくは、遺書を受け取ったほうもだいじにするでしょうから(されなかったら悲しい)、あまりうかつなことを書くわけにもいかない…
死んでしまった人間(わたし)からすると、みなを元気づけたいこともあるので、明るいトーンで書きたいのですが。生きているときのように「つまらないジョーク」とかを書くフンイキでもないでしょう。
とにかく、手紙(遺書)を書くことには、「じぶんの死」とその「影響」とを強く意識させる効用があります。結果として、「メメント・モリ(死を忘れるな)」を実践もできるでしょう。
ですから、手紙(遺書)は定期的に見直してみることも大切になります。それに、時間がたつと、伝えたいことが変わることもありますね…
手紙(遺書)とは別に、「さいごのブログ」も準備してあります。じぶんが実際に死を迎えたからこそ伝えたいこと、伝えられることを記事にしてみました。これもブログ読書に向けた手紙(遺書)と言えば、そうですね。
加えて、現実的な問題を解決できるように、わたしが利用しているネットバンキングやネットサービスのIDやパスワードの一覧。お客さまの情報・連絡先などもまとめて、妻に対応してもらえるようにしてあります。
というわけで。「メメント・モリ」を実践することで、家族やお客さまなど、残されたヒトたちを守ることにもつながるのかな、と考えているところです。
まとめ
いずれおとずれる「死」を前に、きょうまでの人生を後悔するようなことはしたくない。だからこそ、きょうをだいじに生きる。
「メメント・モリ(死を忘れるな)」を実践するために、じぶんなりの方法や習慣を身につけてみるのはいかがでしょうか。
本記事がそのきっかけや参考になるようでしたら幸いです。
- カウントアップとカウントダウン
- あした死ぬとしてもきょうやることを決める
- 手紙(遺書)を残す