書き手の姿が見えないブログだからこそ記事の見た目を気遣ってみる

書き手の姿が見えないブログだからこそ記事の見た目を気遣ってみる

書き手の姿が見えないブログにも、ブログなりの「見た目」はある。

というわけで。書き手の姿が見えないブログだからこそ、記事の見た目を気遣ってみる、というお話をしていきます。

目次

ヒトは見た目が 93%

かれこれ5年ほど每日、ブログを書き続けています(2021年5月29日現在)。そんなわたしの「姿」を、読者は「見る」ことができません。見たいかどうかはともかく。

いっぽうで。直接、面と向かって話をするのであれば、お互いに姿を見ることができます。結果として、「見た目」が相手の印象をかたちづくることがあるでしょう。

人の行動が他人に及ぼす影響のうち 55%は「視覚情報」、38%は「聴覚情報」だというハナシ(メラビアンの法則)もあります。これらだけで9割超え、見た目(視覚+聴覚)は重要です。

じゃあ、書き手の姿を見ることができないブログはどうか? と言えば。ブログにもまた同じように、「見た目」はあるものと考えていますがどうでしょう。

というわけで。書き手の姿が見えないブログだからこそ、記事の「見た目」を気遣ってみる、というお話をしていきます。いますでにブログを書いている方、書こうとしている方のご参考になれば幸いです。

わたしが考えるブログ記事の見た目とは? 具体的には、こちらです↓

書き手の姿が見えないブログだからこそ気遣う、記事の「見た目」
  • 段落 → とっつきやすさ
  • 装飾 → 清潔感
  • 漢字 → やさしさ
  • 一文の長さ → わかりやすさ
  • 文末 → 聞きやすさ
  • カッコ書き → 声量
  • 文量 → 熱量

それではこのあと、順番に見ていきましょう。

書き手の姿が見えないブログだからこそ気遣う、記事の「見た目」

段落 → とっつきやすさ

ブログ記事における段落。これは、見た目でいうと「とっつきやすさ」にあたるものと考えています。

段落、つまり、改行から改行までのあいだの文章が長いほど、読者は「とっつきにくい」と感じるのではないか? そう思うわけです。

なので、わたしは「長くても3行〜5行」くらいを目安に改行して、段落を分けるようにしています(ブログをご覧になる環境によって行数は変わりますが)。段落と段落のあいだには、「空行」も入れつつ。

これに対して、改行が無い・少ない、空行も無いとなると。けっこうな「圧迫感」があることでしょう。とっつきにくいなぁ… と、文章を読む前から気後れしてしまうかもしれません。

このあたりは、「書籍」とは違うところですね。書籍はもともと「長文」を読むことを前提としているため、それでも成り立つのでしょう。たぶん。

というわけで。ブログ記事については、じぶんにとっての「とっつきやすさ」をイメージしながら、段落・改行を考えてみるのがよいのではないでしょうか。

装飾 → 清潔感

ブログ記事における装飾。これは、見た目でいうと「清潔感」にあたるものと考えています。

たとえば、文字に色をつけたり太字にしたり、フォントの大きさを変えたり、アンダーラインやマーカーを引いたり。記事の装飾にもいろいろあります。

現状、わたしはほとんど装飾をしていません(いろいろしていた時期もありましたが)。あまりゴテゴテと装飾すると、清潔感が損なわれるかなぁと感じるからです。

もちろん、このあたりは「個人の感覚」になりますから。装飾をするのが、一概に悪いとは思いませんし、ブログ自体のフンイキや記事の内容などにもよるでしょう。

だから、わたしが「あまり装飾はしない」だけの話です。

ちなみに。いま、装飾としてしているのは「オレンジ色の太字」になります。1つの記事のなかに「3〜5箇所くらいまで」を目安に、とくに伝えたい部分を強調するものです。

色にオレンジを選んでいるのは、ポジティブな印象を持つ色だから。赤は目立つのですが、ネガティブな印象を与える色でもあります。青だとちょっと寒々しいし。みたいな。

漢字 → やさしさ

ブログ記事における漢字。これは、見た目でいうと「やさしさ」にあたるものと考えています。

文章のなかに漢字が多いほど、なんか「いかつく」見えるんですよね。格調高く見える、ということもあるかもしれませんが、わたしの感覚だと「いかつい」のほうが優先します。

なので、「意識的に漢字を抑える、ひらがな表記を増やす」のは、わりと初期のころからしていたことです。

この点で。よく言われるのは、「副詞はひらがなで」というものでしょう。具体的には、「すでに(既に)」とか「おおむね(概ね)」とか。そういったものはあえて、ひらがなで表記する。

加えて、わたしの場合、「複数の読み方が存在する漢字」は、ひらがなにするようにしています。たとえば、「あした・あす・みょうにち(明日)」とか。漢字で表記をした場合には、読み方は読者しだいです。

ところが、「あした」も「あす」も「みょうにち」も、それぞれ字数が違います。

読み方しだいでは、文章のリズムも崩れるところですから。できるだけスムーズに気持ちよく読んでもらうためには、読み方を特定するのも「やさしさ」かなぁ、などと考えているところです。

一文の長さ → わかりやすさ

ブログ記事における一文の長さ。これは、見た目でいうと「わかりやすさ」にあたるものと考えています。

リアルの場で、話を聞いているときもそうですが、一文が長いと「わかりにくく」なるものでしょう。耳で聞くほどではないにしても、ブログ記事もまた一文が長くなるとわかりにくい。読みにくい。

ですから、できるだけ一文は短くしよう、との意識はしています。ただし。いつもいつも、短い一文ばかりを並べているのもうまくない。短い一文がずっと続くと、「稚拙」な印象になりがちだからです。

したがって、基本的には短い一文を意識しながら、たまに、あるていどの長さの一文をミックスする。というのがよろしいのではないか、と考えています。

わかりやすさの点では、主語に対して正しい述語が使われているか、装飾語は装飾する言葉に誤解がない位置に置かれているか、なども注意が必要です。間違いが多いところであり、わたしもまた、ときおり間違えていますけど…

このあたりの間違いを防止するのに、一文を短くするのが役立ちます。一文が長くなっているときには、二文に分けて書くことができないかも考えてみましょう。

文末 → 聞きやすさ

ブログ記事における文末。これは、見た目でいうと「聞きやすさ」にあたるものと考えています。

ここで言う「文末」とは、「です・ます」といった文章の末尾でつかわれる言葉のことです。わたしは、わりと文末には気をつけているほうだ、という自覚があります。だからなんなんだ、というハナシですが。

それはそれとして。「〜です」の文末がずっと続くと、単調になります。「〜ます」の文末がずっと続くと、やはり単調になります。リアルの場であれば聞きにくく、ブログ記事であれば読みにくい。

そこで、記事を書くときには、「〜です」と「〜ます」がなるべく交じるように、文末を変えるようにしています。

「〜です」と「〜ます」のほかにも、「〜でしょう」や「〜しましょう」などとしたり、「体言止め(名詞や代名詞を文末にする)」にしたり。すると、単調さがなくなり、格段に読みやすくなるものです。

文末に関して言うと、「〜してください」とは書かないようにしています。なんとなく語気が強く、読み手に対して威圧感を与えるのではないか? と。代わりにつかっているのは「〜しましょう」です。このほうが、聞き入れやすいのではないかと思います。

カッコ書き → 声量

ブログ記事におけるカッコ書き。これは、見た目でいうと「声量」にあたるものと考えています。

リアルの場では、なにか強調したい言葉があれば、「声量」を上げるという方法があるでしょう。他の言葉よりも、声を大きくすることで目立たせることができます。

じゃあ、ブログ記事の場合どうするか? わたしは、「カギカッコ」をつかって表現するようにしています。文中のなかで、とくに強調したい、目立たせたい言葉は「カギカッコ」のなかに収める。

カギカッコが無いと文章に埋もれてしまう場合でも、カギカッコをつかうことで浮き立たせることが可能です。

強調するのであれば、文字に色をつけたり、フォントサイズを大きくしたり、と「装飾」をつかう方法もありますが。さきほどお話をしたとおり、装飾が多いと「清潔感」が損なわれてしまうところです。

もっとも、このあたりは「個人の感覚」にもよりますから、絶対的な正解などありません。ただ、それでも、ブログ記事で「声量を上げたいときにはどうするか?」は決めておきましょう。

手段がないと、せっかくの言葉もうまく伝わらない可能性が高くなってしまいます。

文量 → 熱量

ブログ記事における文量。これは、見た目でいうと「熱量」にあたるものと考えています。

リアルの場だと、熱量のある人が、怒涛のごとく言葉を並べ立てる… ということがあるでしょう。少々乱暴ではありますが、「熱量がある=語りたい言葉が多い」と捉えるならば、ブログ記事の文量は熱量にあたると言えます。

もちろん、ただただ文量が多ければいい、ということではありません。独りよがりの文章、内容がない文章、おもしろくない文章であれば、文量が多いことがかえってアダになります。

したがって、熱量にあたるのは、読み手にとって「必要な文章」を前提としたうえでの「文量」です。言うは易く行うは難し。かく言うオマエは、必要な文章を書けているのか? と言われると…

とはいえ、「必要な文章を書こう」という努力はしています。こうして每日ブログを書き続けているのは、努力のひとつです。

そのうえで、わたしがひとつの記事を書くにあたって目安にしているのは、「3,000字〜5,000字くらい」になります。目安というよりも、書いているとそのくらいにはなってしまう、というのが正しい表現です。

わたしはこれを、じぶんの熱量だと考えています。ひとり勝手に、そう考えています。

まとめ

書き手の姿が見えないブログにも、ブログなりの「見た目」はあるものと考えます。書き手の姿が見えないブログだからこそ、記事の見た目を気遣ってみる。

本記事が、いますでにブログを書いている方、書こうとしている方のご参考になれば幸いです。

書き手の姿が見えないブログだからこそ気遣う、記事の「見た目」
  • 段落 → とっつきやすさ
  • 装飾 → 清潔感
  • 漢字 → やさしさ
  • 一文の長さ → わかりやすさ
  • 文末 → 聞きやすさ
  • カッコ書き → 声量
  • 文量 → 熱量
書き手の姿が見えないブログだからこそ記事の見た目を気遣ってみる

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