文章を書く機会が多い方はもちろん。まったく文章を書かない、という人はあまりいないでしょうから。
だれにとっても役立つであろう、「文章を書く者が胸に刻んでおきたい名言」をご紹介していきます。
筆が進まないのも地獄、筆が走っても地獄。
2016年4月、独立開業して以来。こうして、每日ブログを書き続けています。また、ブログだけではなく、メルマガも每日、週に1回はYouTube動画の台本も書き続けています。
と、「文章を書く」のには縁があるわけですが。そんなわたしが、胸に刻んでいる「名言」をご紹介してみたいと思います。
文章を書くというのもカンタンではなく。書き続けるとなると、なおカンタンではない。どうしようもない迷いで筆が進まないことがあれば、気分良く筆を走らせた挙げ句ただただ自己満足の文章だった… みたいなことはあるものです。
そんなじぶんを勇気づけたり、戒めたりしてくれる名言。偉人・先人が残してくれた、「文章を書く者が胸に刻んでおきたい名言」を7つ、このあとご紹介していきます。
わたしと同じように、文章を書く機会が多い方はもちろん。まったく文章を書かない、という人はあまりいないでしょうから。メールやSNS、仕事の書類などで、文章は書きますよね?
そう考えると、だれにとっても役立つ名言だと言えるはずです。それでは、いきましょう。
文章を書く者が胸に刻んでおきたい名言7選
まず、1つめの名言がこちらです↓
技術に関係なく、そこに投じられた時間も関係なく、ただただ「雑に書かれた文章」はすべて悪文なのだ。
古賀史健さん / ライター
文章を書くのがヘタだ、ということを思い悩む人は少なくないものと想像します。わたし自身も、そのひとりです。ヘタだから文章を書きたくない、と考える人もいるでしょう。
とはいえ、技術的にヘタな文章よりも、もっとマズい文章がある。それが、「雑」に書かれた文章です。また、どれだけ時間をかけて書かれた文章であっても、「雑」であれば悪文だ。と、古賀史健さんは言っています。
文章には必ず「読み手」がいる以上、雑は非礼にあたるもの。書く以上は、手を抜かない、妥協しない、ということは日々、じぶんに言い聞かせているところです。
ちなみに。時間に追われて書いたり、必要に迫られて書く文章は「雑」になる… という実感があります。したがって、そういった「環境」をできるだけ避けることは注力すべきポイントでしょう。
続いて、2つめの名言がこちらです↓
量は質を生む。書く量が少ない者は消える運命にある。
レイ・ブラッドベリさん / 小説家
四の五の言わずに書け。みたいなハナシは、わりと好きなわたしです。ヘタだから、苦手だから、と「言い訳」ばかりをせずに、それでもチャレンジするからこそ書けるようになる。
という、確信まではないけれど。そうであってほしい!と心から願い、こうして每日書いているしだいです。おかげさまで、消えずになんとかがんばっています。はい。
似たようなところでは、リチャード・バックさん(作家)が「プロの作家とは、書くことをやめなかったアマチュアのことである」とも言っています。
ときおり、量か質か? みたいな議論はありますが。「量だろう」というのは、5年のあいだブログを書き続けてきたわたしの結論です。だって、5年前のじぶんと比べてみれば、「質」はあきらかに違いますから。
続いて、3つめの名言がこちらです↓
ここで僕が言いたいのは、どんな文章にだって必ず改良の余地はあるということです。本人がどんなに「よくできた」「完璧だ」と思っても、もっとよくなる可能性はそこにあるのです。
村上春樹さん / 小説家
文章書く人あるある、「自画自賛」ってあると思うんですよね。はずかしながら、わたしにもあります。これはうまく書けたぞ! どうだっ! みたいな。だれに対して「どうだっ!」なのかはよくわかりませんが。
とにかく、「よくできた」と思うことはあるわけです。そんなわたしを戒めてくれるのが、この名言になります。どんな文章にだって必ず改良の余地はある。
日々のブログは、投稿前にかならず、妻に確認をしてもらっています。ブログをはじめたときからずっと。これは、自画自賛を防止する「ひとつのシステム」として有効なのではないか? というのがわたしの考えです。
なお、村上春樹さんも、かならず奥様に原稿を見てもらうのだとか。なんて言うと、「村上春樹さんを同列に語るな!」と怒られそうですが。そこは言うだけ言わしてくれよ、という感じです。
続いて、4つめの名言がこちらです↓
作家になりたいのなら、絶対にしなければならないことが2つある。たくさん読み、たくさん書くことだ。
スティーブン・キングさん / 小説家
この名言、「作家」を「文章を書く人」に置き換えても、そのまま通用すると思うんですよね。文章を書くためには、文章をたくさん読むことが学びになるし、そのうえでたくさん書いて実践することがだいじ。
だから、というわけではありませんが。単に読書が好きだということもあって、本はそこそこ読みます。数えてみたら、ことし(2021年)は上半期で 281冊。
薄手の本から厚手の本まで、ジャンルもいろいろ。漫画、小説、ビジネス書、自己啓発書などなど。それらのインプットが、じぶんが書く文章(アウトプット)の役に立っているのは間違いありません。
読んで書くから、文章の良し悪しが少しずつわかるようになります。他人が書く文章を見て、「じぶんにはない良さ」に気づいたり、「じぶんだったらこう書く」というヒントを得たり。そうして、読む目はいっそう養わるものと考えています。
続いて、5つめの名言がこちらです↓
書いたから終わったわけではない。読み手の胸に届いたときに、自分の書いた文章は目的を達成し、そこで文章は終わるわけです。
井上ひさしさん / 小説家
これもまた、文章書く人あるあるのひとつ。書いたらおしまい。いや〜、がんばったぁ。いやいや、そうじゃないだろ。と、井上ひさしさんは言っています。
文章は、読み手の胸に届いてはじめて終わる。どんな文章であれ、その目的は「人の気持ちを動かし、行動を起こさせる」ところにある。その目的を果たせないのであれば、文章はまだ終わっていない。
厳しい、ストイック過ぎるよ。言うは易く行うは難し。読み手の胸に届く文章を書く、書き続けるというのがどれだけ難しいかは、まだ5年とはいえ書き続けてきたじぶんがよくわかっています。
というわけで、いまだ終わらぬ文章を、きょうもまた書き続けるわたしです。いつか終わればいいとは思うけれど、文章には「必ず改良の余地がある」以上、ほんとうの終わりは来ないのでしょう。嗚呼、ストイック。
続いて、6つめの名言がこちらです↓
書くということに特別なことは何もない。ただ、タイプライターの前に座り、血を流すだけだ。
アーネスト・ヘミングウェイさん /小説家
ストイックの話になったので(じぶんがそうしたのですが)、この名言を挙げないわけにはいきません。「血を流す」など、おだやかならぬものではありますが。
けれども、書くこと、とくに書き続けることには、血を流すかのような「ツラさ」や「痛み」はあるでしょう。血を吐く思いで書くことも、正直、ゼロではありません。これは、誇張などではなく、ほんとうに。
それをですね、「特別なことは何もない」などと言うのは、ただの自虐か他者への皮肉か。あるいは、その両方か。いずれにしても、「なんかカッケー(カッコいい)!」と感じてしまうのは、わたしだけでしょうか。
それはそれとして。人の文章を見たときに、人が書いた本を手にしたときに、「そこに、どれだけの血が流れたのだろうか?」と考えることがあります。敬意を持って文章を読みたいものです。
さいご、7つめの名言がこちらです↓
文章はすべてプライベートからはじまるものである。
堀井憲一郎さん / ライター
「すべてプライベート」とはどういうことか? つまり、プライベートであることを断りながら文章を書くな! ということです。たとえば、「私見ですが」とか「独断と偏見ですが」といった枕言葉。
逆に、プライベートじゃない文章など無いわけで。文章は、私見や、独断や偏見を伝えるために書くものだと言えます。にもかかわらず、わざわざプライベートであることを断るようでは、とてもプロとは言えない。
プロになりたいかどうかはともかく、プロになりたいのであれば、余計な枕言葉など使わない。言い訳をせずに、堂々と、私見でも独断でも偏見でも書けばいい。でも、使ってしまうんですよね…
ここはどうしても誤解を避けたい、という思いが先行すると。使ってはダメだと知りながら、「私見ですが」的な表現を入れ込んでしまう。そういう意味では、まだアマチュアです。精進します。
まとめ
文章を書く機会が多い方はもちろん。まったく文章を書かない、という人はあまりいないでしょうから。だれにとっても役立つであろう、「文章を書く者が胸に刻んでおきたい名言」をご紹介してきました。
ひとつでも、「役に立った」「覚えておこう」と感じてもらえる名言が見つかるようでしたら幸いです。