ブログやYouTubeによる発信を、無料提供だとは考えていません。だからこその心得について、お話をしてみます。
許容と時間。
2016年4月から、ブログは毎日更新。2020年4月から、YouTubeは毎週投稿を続けています。そのブログもYouTubeも、いずれも「無料提供」での発信ではありません。
ブログ記事からは、広告収入・アフィリエイト収入が。YouTube動画からも、広告収入があります。なので、わたしは「読者・視聴者からおカネをいただいている」という認識です。
いっぽう、読者・視聴者にしてみれば、「おカネを払っている」という自覚はないかもしれませんが。
ブログにせよ、YouTubeにせよ、あいまに広告が入るのを「許容」したうえでご覧をいただいているわけですから。わたしとしては、読者・視聴者の方々あっての収入と考えています。
それに、広告がなかったとしても、読者・視聴者は「時間」という対価と引き換えに、ブログやYouTubeを見ているわけですから。そういう意味でも、タダではなく。けして無料提供ではないだろう、と考えています。
この点で。無料提供じゃないブログ発信・YouTube発信だからこその心得、についてお話をしてみます。情報発信をするうえでの「ひとつの考え方(≠絶対的な正解)」として、ご参考になるようでしたら幸いです↓
- 妥協しない
- 続きを前提にしない
- 名を名乗る
それではこのあと、順番にお話をしていきます。
無料提供じゃないブログ発信・YouTube発信だからこその心得
妥協しない
ブログやYouTubeによる情報発信が無料提供ではないからこそ、「妥協しない」ことを心得としています。そんなの、あたりまえと言えば、あたりまえなんですけど。
とはいえ、あたりまえだと「考えている」のと、あたりまえに「実践する」のとは別モノですから。妥協しない、と心得ておく必要があります。わたしは、もともと妥協しがちなところもありますし。
では、なにをもって妥協とするのか? その「基準」は、人それぞれだと言っていいでしょう。そのうえで、妥協しているか・していないかは、じぶんがいちばんよくわかっているはずです。
もしかすると、読者・視聴者をあざむくことはできるかもしれませんが、じぶんをあざむくことはできないものと思います。だから妥協してもOK、というのでは「不誠実」ですよね。
おカネをいただいているからこそ、「妥協しない」という基準は厳しくありたいと考えています。もちろん、おカネをいただいていないとしても、妥協しないほうがいいわけですが。
ヒトはそんなに強くはなれませんので(少なくともわたしは)。「おカネをいただいている」と認識するほうが、じぶんに厳しくなれる、妥協しにくくなる、というメリットもあるのではないでしょうか。
ちなみに。妥協しないことと、発信内容の出来不出来とに相関はないようです(わたしの場合)。どれだけ妥協せずに挑んでも、「これはイマイチだったな…」ということは正直あります。
そのイマイチに気付くのは、「少しあとになってから」というのは恐ろしいところです。発信直後は、じぶんなりの満足感が強すぎるんでしょうね。
この点。每日更新のブログは「寝かせる(しばらく放置してから見直す)」ことができないのがツラいところです。
[ad1]続きを前提にしない
ブログ記事やYouTube動画のなかには、「続き」を前提にしているものがあります。つまり、「この話の続きは、別商品や別サービスを購入してね」というものです。
もちろん、それはそれで、まったく否定するつもりはありません。ただ、わたしは、ブログ記事やYouTube動画でもって、「完結」するような内容にしています。
続きを出し惜しみはせずに、記事や動画のなかで出し尽くす、ということです。出し惜しむほどのモノを持っていない、と言われればそれまでですが。それだけ、というわけでもありません。
出し惜しみした内容では、それこそ、読者・視聴者が「続きを知りたい」とは思わないだろう。だから、続きを前提にした内容にしない、出し惜しみをしないようにしています。
結局のところ、出し惜しみしないほうが「別商品・別サービス」は売れるのではないか。という、少々いやらしいハナシだったりもするわけで。
また、それとは別に。そもそも、ブログ記事やYouTube動画それぞれが、「無料提供」ではないと考えているわけですから。「ここまでは無料」といった考え方は、ある意味、不誠実だとも言えるでしょう。
それなら、同じ「有料」でも、ブログ記事やYouTube動画と、別商品・別サービスとの差はなんなのか?
わたしの場合、ということで言うと。たとえば、セミナーは「リアルタイム性」です。ブログ記事やYouTube動画は、発信の瞬間はリアルタイムですが、次の瞬間からは情報鮮度が落ちていきます。よって、読者・視聴者が目にするころに、情報が最新である保証はありません。
けれども、セミナーの場合、参加者にはそのときの最新情報をお伝えすることができます。ということもあり、わたしはセミナーの録画配信はしていません。
また、個別コンサルティングには「カスタマイズ性」があります。お客さまにあわせて、個別にカスタマイズしたサービスを提供できる点で、最大公約数的な発信にならざるをえない、ブログ記事やYouTube動画とはあきらかに違います。
[ad1]名を名乗る
ブログやYouTubeで発信をするのに、名(実名)を名乗る必要はありません。匿名・仮名でも発信はできます。
ただ、無料提供ではないからこそ、名を名乗ることも大切だ。というのが、わたしの考えです(匿名・仮名による発信を否定する意図はありません。考え方は人それぞれなので)。
じぶんが、なにかモノなり、サービスなりを買うときに。相手がだれかをたしかめずに買うことって、あまりないですよね。だとしたら、無料ではないと認識している以上、「名を名乗るべきだ」という考え方はあるでしょう。これは、誠意の問題です。
また、発信する情報に対して「じぶんが責任を持つ」という点で、名を名乗るのは効果的です。実名を明らかにしていれば、うかつなことは言えません。間違った発信について、責任を追及される可能性はあるわけです。
もちろん、情報を発信する以上、無料だろうが有料だろうが、責任を持って発信すべきでしょう。ただ、それは「タテマエ」だとも言えます。
名を名乗っているのと名乗っていないのとでは、どうしたって責任感に差がでるのがヒトではないでしょうか。さいごのさいごのところでは、名を名乗っていなければ「逃げ」を選択することが多くなるはずです。
そのときに損害(大きなものでも小さなものでも)をこうむるのは、当然、読者・視聴者です。おカネをいただいているうえに、損害を与えるのでは申し訳ありませんよね。
だからこそ名を名乗るというのは、じぶんのなかに「強烈な責任感」を植え付ける1つの手段になるものと考えています。わたしは正直、逃げを選択しそうなタイプでもあるので余計に。
人によっては、匿名・仮名にせざるをえない事情もあるでしょうから。そのときには、どうしたら「誠意」を見せられるか、「責任感」を見せられるか、代替するものがだいじだと考えます。
たとえば、匿名・仮名の理由をあきらかにするとか、発信に対する問い合わせ窓口を持つとか。
まとめ
ブログやYouTubeによる発信を、無料提供だとは考えていません。だからこその心得について、お話をしてきました。
情報発信をするうえでの「ひとつの考え方(≠絶対的な正解)」として、ご参考になるようでしたら幸いです
- 妥協しない
- 続きを前提にしない
- 名を名乗る