メンドーだから、いっそやめてしまうか? いやいや、もうちょっとがんばるか? なんて、悩んだり迷ってしまうことだってあるかもしれません。
というわけで。面倒くさいにまつわる名言をご紹介していきます。
メンドーばかりが人の世だ。
とかくに人の世は住みにくい、と言ったのは夏目漱石さんですが。生きていれば、毎日いろいろあるのが人生ですから。ときには、「あぁ、もうメンドーだっ!」ということだってあるでしょう。もちろん、わたしもあります。
面倒くさいから、いっそやめてしまうか? いやいや、もうちょっとがんばるか? なんて、悩んだり迷ってしまうことだってあるかもしれません。
そんなときには、偉大なる先人の言葉、いわゆる「名言」にふれてみるのはいかがでしょう。同じような悩みや迷いを抱えて、そのなかで紡がれたであろう言葉には価値があるはずです。
というわけで。昔からちょいちょいコレクションしている名言のなかから、面倒くさいにまつわる名言をご紹介していきます。「あぁ、もうメンドーだっ!」というときにどうするかのヒントになる名言はこちらです ↓
- ああ面倒くさい、面倒くせえぞ。
- 少々面倒で、今はやりたくないと思うようなものが、明日になり、明後日になったら面倒でなくなり、やりたくなることはまずあり得ない。
- 物は、自分の物にしたくなったとたんに、あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。
- すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている。
- 何かに悩んでいる人は、解決策を知らないのではなく、最良の解決策を面倒でしたくないだけだ。
- 面倒な養生のおかげでやっと自分の健康を保っているのは、何かやりきれない病気を患っているようなものである。
- 嫌だと思ったら、すぐやめなさい。面倒くさいと思ったら、もう少し続けなさい。
それではこのあと、順番に見ていきましょう。
もうメンドーだ、やめちゃおうかな…面倒くさいときの名言7選
宮崎駿さんの「面倒くさい名言」と言えば、「世の中のだいじなことって、たいてい面倒くさいんだよ」があります。それはそれで好きなのですが、個人的に好きなのはこっち↓
ああ面倒くさい、面倒くせえぞ。
宮崎駿さん / 映画監督
すごく、「面倒くさい感」が伝わってきます。そんなにメンドーだったら、やめりゃあいいのに。でも、やめないんですね。やめるわけがないんですね。
だいじなことが、たいてい面倒くさいとわかっているから。そのうえで、みずからを鼓舞するかのように、「ああ面倒くさい、面倒くせえぞ」と。
これは、けっこういいかもしれない。と、わたしは思っています。声に出して言ってみる。「面倒」は一見すると、ネガティブワードのようでもありますが。その本意は、「面倒=だいじ」です。
ああだいじだ、すごくだいじだぞ。そう言っているのと同じです。じゃあ、そう言えよ。
とは、なかなかいかないのもヒト。正直な感情もまた、原動力。ときには感情をあらわにしながらでも、だいじなことを続けていきたいものです。
続いての名言はこちら↓
少々面倒で、今はやりたくないと思うようなものが、明日になり、明後日になったら面倒でなくなり、やりたくなることはまずあり得ない。
堀場雅夫さん / 実業家
結局ね、メンドーなことって、ずっとメンドーなんだよね。と、救いようのないことを言っています。救いようがないけれど、すごくわかる。
わたし自身、いろいろと「習慣」にしていることがあります。たとえば、このブログも習慣のひとつです。毎日ブログを書くのは、ある意味では「面倒」だと言えます。
根底では「好き」で続けていることとはいえ、実際には、瞬間的な「面倒」の積み重ねです。じゃあ、それがあす突然に、面倒でなくなることなどありえない。心底、そう感じています。
つまるところ、「覚悟しいや」ということでしょう。
覚悟してまで、面倒を続けるって… と嘆きたくなったときの名言がこちらです↓
すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている。
ピーター・ドラッカーさん / 経営学者
はい、来た。名言製造マシーン、ピーター・ドラッカーさん。あなたにそう言われたら、もうおしまいなのよ。という、数々の名言を残されています。これもまた、そのひとつ。
成功を収めたければ、地味で面倒なことを積み重ねよ。ですよね、やっぱりラクして成功なんてできませんよね。というわけで、「覚悟」を突きつけてくれる言葉です。
ちなみに。「積み重ね」に関しては、多くの偉人が似たような名言を残しています。偉人と言えども、一足飛びとはいかず。積み重ねることがいかにだいじか、ということでしょう。
そんなのあたりまえのように聞こえるけれど、そのあたりまえが困難であるからこそ、偉人が言葉に残し、その言葉が消えることなく、受け継がれているものと考えます。
[ad1]続いて、少しおもむきを変えて、こちらの名言です↓
物は、自分の物にしたくなったとたんに、あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。
スナフキンさん / 旅人
ムーミンの親友にして、稀代のミニマリスト。それが、スナフキン。モノを持つのが嫌いすぎて、ハーモニカ以外はなにも所有をしない。どんだけ? そんな彼が残した名言です。
あまりにも「真理」をついているがゆえに、おそろしさしかありません。要は、「執着」はよろしくないですよ、ということでしょう。執着にはあらゆるメンドーがともなう、と。
モノに執着するばかりではなく、ヒトやコトに執着をすることもあるでしょう。やはり、同じように面倒は生じるものであり、「恋は盲目」といった言葉にもあるとおりです。
というわけで、「なにかメンドーなことになっているな…」と感じたら。もしかして、オレ・ワタシ、いま執着してる? と自問してみるのがいいかもしれません。
続いての名言はこちら↓
何かに悩んでいる人は、解決策を知らないのではなく、最良の解決策を面倒でしたくないだけだ。
森博嗣さん / 工学者
この名言を見て、「痛いところをつかれた…」と感じる人は少なくないのではないでしょうか。わたしは、この名言を見るたびに、胸が痛みます。それはそれで問題ですが。
ほんとうはね、ちゃんと「正解」を知っているんです。わかっちゃいるけれど、それがメンドーなものだから、わかっていないフリ、悩んでいるフリをして、じぶんをごまかしている。
それを見抜かれたときに、胸が痛むのです。わたしは。だいじなことはいつだってメンドーなのであり、最良の解決策もまた、最良ゆえにメンドーをともなうもの。
そんなメンドーから逃げるために、悩んでいるフリをしているだけではないか? やはり、自問が必要なところでしょう。
では、気持ちを切り替えまして、続いての名言を↓
面倒な養生のおかげでやっと自分の健康を保っているのは、何かやりきれない病気を患っているようなものである。
ラ・ロシュフーコーさん / 文学者
貴族であったラ・ロシュフーコーさんは、どうにも「性格」に問題があったとも言われています。だからかどうなのか、皮肉めいた名言が多く。これもまた、そんな名言のひとつです。
面倒な養生に縛られているのって、ある意味、それが病気みたいなもんだよね。って、すごくわかる。わかるわぁ。けっこう、自覚あります。わたし。
健康でありたい! という思いから、食事・睡眠・運動・休暇など、いろいろと手を変え品を変え取り組み続けています。ハタから見たら、「やりすぎ」かもしれません。
でもね、そんなメンドーな養生のかいあってか、いまのところ健康を保てています。46年のじぶん史上、いちばん健康だと言ってもいいかもしれない。だいじなことはメンドーなのです。
さいごの名言はこちらです↓
嫌だと思ったら、すぐやめなさい。面倒くさいと思ったら、もう少し続けなさい。
作者不詳
作者はわからないのですが、示唆に富んだ名言ではないでしょうか。ものごとを続けるかどうかの「判断軸」として使えそうです。
じぶんがイヤだと感じるものは、続ける必要がない。けれども、メンドーだと感じるものは、ちょっと待ったほうがいい。再三の繰り返しになりますが、やっぱり、だいじなことはメンドーだからでしょう。
メンドーだけれど、続けた結果、成功なり成果なりにつながることは数しれず。なにか「もう、やめちゃおっかなぁ…」というときには、それが「イヤ」なのか、それとも、「メンドー」なだけなのかは考えてみるといいかもですね。
いや、両方だよ。ということもあるのでしょうが、そのときは、もうちょっと続けてみたら? と思います。好きになるにも時間がかかることはありますし。嫌よ嫌よも好きのうち、ということもありますし。なんだそれ。
まとめ
生きていれば、毎日いろいろあるのが人生です。ちょっと面倒くさくなってしまうことだってあるでしょう。
とはいえ、メンドーから、いっそやめてしまうか? いやいや、もうちょっとがんばるか? 悩んだり、迷ったりすることがあるかもしれません。
そんな悩みや迷いを断ち切るためのヒントとして。先人が残した名言にふれてみる、名言に倣ってみるのはいかがでしょうか。